月と太陽
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その広場に、異質なものが二つ紛れ込んで来た。
一つは、最初からいた。
路地の影にいるので、フード姿がほんの少ししか見えていないが、風変わりな気配を持っている。
狩りをしない時の、動物に似ている気がした。
ただし、猛禽だ。
狩りをしないと分かっていても、猛禽に近づこうなどという人間はいない。
防衛本能で、無意識に皆が避ける。
だから、こんな初夏のような町で、フード姿であったとしても、誰もその人間を見ようとはしなかった。
ただ敵意は感じないため、菊は放置しておくことにしたのだ。
もう一つは。
歌の途中で現れた。
日の沈もうとしている薄暗い広場に、確固たる足取りで現れたのは、トーと同じほどの年齢の男。
ああ、なるほど、太陽。
菊は、そう理解した。
褐色の肌に、金褐色の瞳。
長く編んだ髪を、首に巻きつけている。
兵士も従えず、ただ一人でそこに現れた。
油断のない、しかし奥行きのある瞳で、歌うトーを見る。
本当に来るとは。
菊は、その肝の太さに感心した。
堂々たる立ち姿。
戦う者として先頭に立つならば、誰もがその背中を頼もしいものと思い、命を預けるだろう。
しかし、威厳はあるが、聖人君子ではない。
御曹司にはまだ足りない、したたかさもそこにはあった。
彼は、トーの歌を見ている。
見ながら、考えているのだ。
トーの首を、胴とつなげておくべきかどうか。
日が落ちる。
広場は、夜に染まってゆく。
それでもなお歌は続き──人々は、帰ろうとはしなかった。
※
月と太陽が対面する場に、菊は立ち会った。
人々は帰って行ったが、フードの男はまだ壁の側にいるし、それより遠巻きに兵士の気配も複数あった。
月が昇ろうととする夜。
こんな、下町の広場の真ん中で。
イデアメリトスの太陽は、トーの目の前に立つのだ。
「息子から、話は聞いている……長旅御苦労だったな」
口火を切ったのは、太陽の方。
余裕のある上から目線の言葉が、なめらかに滑り出す。
「生身で来るとは思わなかった」
一方。
月は、うっすらと笑みを浮かべている。
皮肉ではなく、素直に喜んでいるようにも見えた。
「生身? そうか、そういう知識も、400年たってなお伝承されておるか」
しぶとい連中だ。
太陽は、喉の奥を鳴らしながら笑みをこぼす。
「さて、ひとつ貴公に提案がある」
言葉を返さない月に、太陽はその大きな手を広げて見せる。
あー。
菊は、嫌な予感がした。
「月の連中の本拠地の場所は知っているだろう? その場所を教えてもらいたい」
単刀直入に、太陽は言葉で斬りつけてくる。
「その代わり、貴公のために夜の神殿をこしらえ、その神殿の神官長として夜の名誉回復の権利を与えよう」
続けられた飴に、菊は笑ってしまいそうになった。
素晴らしいな、と。
飴そのものの、内容が素晴らしいのではない。
飴と鞭の狭間にある、罠が素晴らしいのだ。
これでは。
どう答えても、トーは殺されるかもしれないな。
旧知を売り、名誉を得るか。
旧知を守り、名誉を蹴るか。
どちらにせよ、太陽は満足すまい。
トーは、笑った。
そして──こう言った。
「場所を知りたければ、いくらでも語ろう」
※
「場所を知りたければ、いくらでも語ろう」
トーの言葉に、何ら迷いなどなかった。
太陽の罠に、ためらいなく踏みこむのだ。
だが。
「語り終えたら、私はこの世から消えよう。夜は、放っておいても勝手に愛されてゆく……私は旅でそれを知った。逆に、月の者がいるせいで、まつりごとが夜を憎ませるのだ」
最初の鞭には、「はい」を。
次の飴には「いいえ」を。
トーは、笑みと共に差し出したのである。
菊は──どれだけ、吹き出したい気分を我慢しなければならなかったか。
さすがだ、と。
さすがは、トーだ。
景子のおなかの子を、彼は見た。
夜を受け入れる子が、もしかしたら御曹司の次の太陽になるかもしれないのだ。
そうなれば、少しずつ夜への偏見は変わってくるだろう。
その未来を、トーはきっと感じたのだ。
菊は、笑いを我慢したというのに。
自重しない男がいた。
「あっはっはっはっは! そうか、もはや月の者などいらぬか。貴公も含めて。そうか……そう来たか」
太陽だった。
トーの言葉を、本当に愉快そうに笑い飛ばすのだ。
「あい分かった。貴公の身は、イデアメリトスの名において、楽士として預かり受ける。国中、好きなところに行って歌うがいい」
そして。
太陽は、太陽としての答えを、月の前に置いたのだ。
要するに。
いままで通り、好きなところで歌ってよい、と。
ただし、この太陽は──トーの背中に『イデアメリトス認可』の札を張り付けたのである。
トーが何を言わなくても、彼が訪れた町の兵士には通達されるし、そこから町の人に彼が一体何者であるか、勝手に語られるのだ。
トーは、それを否定して回ったりはしない。
結果的に、彼は自由でありながらも、イデアメリトスの神官のような扱いになるのだ。
その上。
イデアメリトス認可のトーは。
月の者たちに、放っておかれることはないだろう。
きっと、全力で彼を殺しに来る。
裏切り者として。
ああ、本当に──悪い男だな。
菊は、この太陽に、ほとほと感心させられる羽目となったのだった。




