四百年
○
目が覚めたら──エンチェルクの泣きそうな顔があった。
「……!」
彼女は、何か梅に熱烈に訴えようとしたが、言葉がうまく出せないようだ。
「だから、大丈夫だと言ったろう」
そんな側仕えの向こうから、アルテンが近づいてくる。
「心配かけたのね……ごめんなさい」
穏やかになった自分の呼吸を確認しながら、梅はエンチェルクに微笑んだ。
彼女の前で、意識を失うのはこれが初めてだった。
だから、余計に心配したのだろう。
既に、太陽が登ろうとしている。
その間、エンチェルクは一睡もしなかったのか。
「よか……った」
ううっ。
ようやく安心できたのか、彼女はぼろぼろと泣きだしてしまう。
梅は、そんなエンチェルクをなだめながらも、昨夜のことを思い出していた。
あの男たちは、彼女をあからさまに敵視した。
イデアメリトスの君と、同じ人種だったからだ。
ということは。
彼らの言う『あっち側』というのは、イデアメリトス側──現在の政治体制側。
だから、兵士の護衛がいるにも関わらず、襲ってきたのだろう。
逆に、兵士の護衛がいるからこそ、イデアメリトス絡みと判断したのか。
反体制側。
歴史書では、滅ぼされたことになっている一族がいる。
だが、本当に滅ぼされたというのならば、何故最初の草原で、『彼ら』は追われていたのか。
追ってきた集団は、組織だっていた。
その上、ただの夜盗では持ち得ない怒りが渦巻いていた。
彼らは、おそらく月の者と呼ばれる血だろう。
だが。
現体制に、勝てる力はない。
イデアメリトスの旅路を狙って、横やりを入れるのが精いっぱい程度。
民衆に不満はなく、味方につけられないのだろう。
第一。
民衆は──夜を恐れている。
不吉と呼ばれる月の、味方にはならない。
うまいことやるわね。
梅は、イデアメリトスの政治手腕に感心しつつも、不遇な夜の扱いを残念に思ったのだった。
※
「政治的影響の届かないところ?」
修理の到着を待つ間、梅はアルテンと話をした。
疑問に、彼が一部答えられるのではないかと思ったのだ。
彼女が疑問に思ったのは、あの集団がどこを根城にしているかということ。
小さく分散して、町に紛れている分には問題がないだろう。
しかし、彼らには確固たる心のよりどころがある。
だからこそ、口の中に毒を仕込んでまでも、イデアメリトスに反抗しようとしているのだ。
ということは、どこかで集落を形成しているはず。
現体制の、政治力の届かないところで。
「そうだな……砂漠、密林、高山、洞窟……人の行きづらいところであれば、戸籍の管理も税金の取り立てもないだろう」
一部の少数民族が、そこに住んでいることもあるという。
人間を養うには、兵糧がいる。
砂漠や洞窟は、農業に適さないだろうから、密林か高山か──どちらにせよ、人の住みづらい過酷な環境に追いやられているわけだ。
その過酷な環境さえも、イデアメリトスを憎むための良い材料だろう。
盗賊以外が、町を襲う話は聞かない。
襲うのは、イデアメリトスの血筋や政治の関係者、兵士。
捕虜になる前に自ら死ぬので、どこに所属している反抗組織か分からない。
これでは、有力な情報を手に入れるまでは、国側も対処療法以外出来ないだろう。
「月の者……というのは、歴史とおとぎ話の中の悪役でしかないから……よく知らないが。もし、いまも生きていて恨んでいるというのなら、相当な執念深さだな……初代様が国を統一したのは、四百年も前だというのに」
四百年、おおむね泰平であったからこそ、町の人々は明るく働いていられたのだろう。
明日も家はここにあり、畑はあり、作物は実る。
それを、すっかり疑っていないのだ。
こんな状態で、おおっぴらに暴れても、月の者が悪者になってしまうだけ。
そうね、私なら。
ふと、梅は考えた。
四百年反逆し続ける時間があったのならば、政治以外で民衆の心をとりこにしていくことを考えただろう。
反逆には、とにかく数が必要だ。
そうね、たとえば宗教。
菊と同じ結論に達していたことを、この時の梅は知らなかった。




