表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
189/279

来世

 梅は、目を見開いていた。


 血が。


 血が、飛び散る。


 エンチェルクの──向こう側で。


「ウッ!」


 苦悶の悲鳴をあげるのは、男だった。


 エンチェルクの向こうで、男は崩れ落ちてゆく。


 何が。


 一体、何が起きたのか。


 いや、もう見えていた。


 梅の側仕えでは、隠し切れない長身の男が、倒れた男の影から現れたのだ。


「荷馬車が停まっていると思えば……」


 はぁ。


 安堵のため息をつくのは──アルテンリュミッテリオ。


 そう、テイタッドレック卿の子息、アルテンだった。


 どうしてここに?


 落ち着かない息を整えられないまま、梅は彼を見た。


「手紙をくれたろう? 都へ行くと」


 剣の血を振り払い、彼は倒れ伏す男の首筋にまっすぐに立てた。


「目を、閉じていた方がいい」


 アルテンは、穏やかな呼吸のまま、そう言った。


 へなへなと崩れ落ちるエンチェルクは、しかし、両手で自分の顔を覆う。


 梅は、そのまま見ていた。


 もはや、男は助からない。


 アルテンはそう判断して、とどめを刺そうとしているのだ。


 彼の中に『武士の情け』というものが、はっきりと息づいている。


 菊が植えつけたものだ。


 だから、梅は目を閉じなかった。


 菊の戦いを見るように、彼女はアルテンのことを見たのだ。


 そして、ひとつの命が費えた。


「もう一人は、気絶しているわ」


 燃えさしで腹を突かれてはいるが、死ぬほどではないだろう。


「さすがだな……」


 ふっと、昔を思い出したようにアルテンが笑みを浮かべた。


 前に、梅にやられたことを思い出したのかもしれない。


「いいえ……あなたが来なければ、多分私たちが倒れていたわ」


 手紙を見て、彼は追って来てくれたのだ。


 梅と菊とで作った縁が──闇夜の中できらめいて見えた。



 ※



 結局、死体は四つとなった。


 護衛の兵士の死体は、まだそこにある。


 ひざ掛けを広げ、彼の上半身へとかけてあげた。


 残る三つの賊の死体は、アルテンが見えないところに引きずって行ってくれた。


 片方は生きていたが、目を覚ました時、自分が捕縛されていることに気づくや毒死したのだ。


 口の中に、常に毒が仕込まれている──そんな覚悟の中で生きている者たちだったのか。


 エンチェルクは、兵士の死体さえ見られないようだった。


「大丈夫よ、エンチェルク……あの方は私たちを守って亡くなったの……恐れてはかわいそうよ」


 ぜいぜいと嫌な音を立てる自分の呼吸の合間に、なんとか彼女をなだめる。


 祖母が死んだ時のことを、思い出す。


 身内の死は、悲しくはあるが恐ろしくはない。


 この兵士とは、一緒に食事をした。


 無骨な人のようで、余り上手に話は出来ずにいた。


 でも、はにかむような笑顔を持っていた。


 そこに横たわっているのは、見知らぬ死体ではない。


 ご縁のあった方の、一生懸命生きた身体だ。


 梅は、両手を合わせた。


 来世があるのならば。


 この人に来世があるのならば、そこで誰よりも幸せになりますようにと。


 そう願わずにはいられなかったのだ。


 顔を、上げる。


 エンチェルクは、震えがとまったようで、一生懸命兵士の方を見ようとしていた。


「来てくれて、本当にありがとう……命の恩人だわ」


 剣の手入れをしているアルテンへ、ようやく梅は視線を向けた。


 死者との対話の間、彼はまったく邪魔をしないでくれた。


「都まで送ろうと思って、追ってきた。父上も、一生に一度の都詣でに行くなら、今しかないだろうと言ってくれた」


 領主になると、おいそれと出られなくなるという意味で、『今』と言ったのだろう。


「だが……まさか、こんな修羅場に出くわすとはな」


 ただの夜盗ではないな。


 アルテンの言葉に、梅は曖昧に微笑んだ。


 いろいろ話はしたいと思っているのだが──梅の体力と気力の限界は、既に超えている。


 すぅっと。


 目の前が、暗くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ