来世
○
梅は、目を見開いていた。
血が。
血が、飛び散る。
エンチェルクの──向こう側で。
「ウッ!」
苦悶の悲鳴をあげるのは、男だった。
エンチェルクの向こうで、男は崩れ落ちてゆく。
何が。
一体、何が起きたのか。
いや、もう見えていた。
梅の側仕えでは、隠し切れない長身の男が、倒れた男の影から現れたのだ。
「荷馬車が停まっていると思えば……」
はぁ。
安堵のため息をつくのは──アルテンリュミッテリオ。
そう、テイタッドレック卿の子息、アルテンだった。
どうしてここに?
落ち着かない息を整えられないまま、梅は彼を見た。
「手紙をくれたろう? 都へ行くと」
剣の血を振り払い、彼は倒れ伏す男の首筋にまっすぐに立てた。
「目を、閉じていた方がいい」
アルテンは、穏やかな呼吸のまま、そう言った。
へなへなと崩れ落ちるエンチェルクは、しかし、両手で自分の顔を覆う。
梅は、そのまま見ていた。
もはや、男は助からない。
アルテンはそう判断して、とどめを刺そうとしているのだ。
彼の中に『武士の情け』というものが、はっきりと息づいている。
菊が植えつけたものだ。
だから、梅は目を閉じなかった。
菊の戦いを見るように、彼女はアルテンのことを見たのだ。
そして、ひとつの命が費えた。
「もう一人は、気絶しているわ」
燃えさしで腹を突かれてはいるが、死ぬほどではないだろう。
「さすがだな……」
ふっと、昔を思い出したようにアルテンが笑みを浮かべた。
前に、梅にやられたことを思い出したのかもしれない。
「いいえ……あなたが来なければ、多分私たちが倒れていたわ」
手紙を見て、彼は追って来てくれたのだ。
梅と菊とで作った縁が──闇夜の中できらめいて見えた。
※
結局、死体は四つとなった。
護衛の兵士の死体は、まだそこにある。
ひざ掛けを広げ、彼の上半身へとかけてあげた。
残る三つの賊の死体は、アルテンが見えないところに引きずって行ってくれた。
片方は生きていたが、目を覚ました時、自分が捕縛されていることに気づくや毒死したのだ。
口の中に、常に毒が仕込まれている──そんな覚悟の中で生きている者たちだったのか。
エンチェルクは、兵士の死体さえ見られないようだった。
「大丈夫よ、エンチェルク……あの方は私たちを守って亡くなったの……恐れてはかわいそうよ」
ぜいぜいと嫌な音を立てる自分の呼吸の合間に、なんとか彼女をなだめる。
祖母が死んだ時のことを、思い出す。
身内の死は、悲しくはあるが恐ろしくはない。
この兵士とは、一緒に食事をした。
無骨な人のようで、余り上手に話は出来ずにいた。
でも、はにかむような笑顔を持っていた。
そこに横たわっているのは、見知らぬ死体ではない。
ご縁のあった方の、一生懸命生きた身体だ。
梅は、両手を合わせた。
来世があるのならば。
この人に来世があるのならば、そこで誰よりも幸せになりますようにと。
そう願わずにはいられなかったのだ。
顔を、上げる。
エンチェルクは、震えがとまったようで、一生懸命兵士の方を見ようとしていた。
「来てくれて、本当にありがとう……命の恩人だわ」
剣の手入れをしているアルテンへ、ようやく梅は視線を向けた。
死者との対話の間、彼はまったく邪魔をしないでくれた。
「都まで送ろうと思って、追ってきた。父上も、一生に一度の都詣でに行くなら、今しかないだろうと言ってくれた」
領主になると、おいそれと出られなくなるという意味で、『今』と言ったのだろう。
「だが……まさか、こんな修羅場に出くわすとはな」
ただの夜盗ではないな。
アルテンの言葉に、梅は曖昧に微笑んだ。
いろいろ話はしたいと思っているのだが──梅の体力と気力の限界は、既に超えている。
すぅっと。
目の前が、暗くなった。




