血しぶき
○
縁が。
縁が、一つ切れる音がした。
荷馬車の側。
街道際の木々の間で、野営をしていた梅たちは──人の手による不幸にさいなまれたのだ。
三人の男の襲撃に、一緒に食事を取ったあの兵士は、倒れ伏した。
一人を斬る間に、二人に斬られたのだ。
「なんで兵士が、女を護衛してるんだ?」
焚火の向こう側から、男が二人近づいてくる。
血に濡れた剣を、ひっさげた彼らの顔を見た時。
ただの夜盗とは、思えなかった。
仲間が一人死んだことよりも、死んだ兵士を足で蹴り、冷たく見下す方を優先したのだ。
「さあな……だが、兵士が守ってんなら、あっち側の人間だろ?」
二組の凍ったような目が、梅とエンチェルクに向けられる。
エンチェルクは、震えていた。
目の前で、兵士が殺されたのだ。
その上、もはや誰も彼女らを守る者もいない。
「見ろよ、右の女。いまいましいあの連中と同じ人種だぜ」
剣の先が、エンチェルクを指す。
彼女は、ますます震えあがった。
梅は。
焚火の燃えさしを、一つ拾い上げる。
彼らの目的は、ただ殺すことに思えた。
あっち側の人間、とやらを。
うっすらと理解は出来たが、それはこの場をやり過ごす材料にはなりはしない。
せめて山本家の娘らしく、戦えるだけ戦おう。
どうせ自分は、走って逃げることさえできないのだ。
「エンチェルク……お逃げなさい」
彼女を守りながら、戦えない。
だから、梅は彼女を逃がそうとしたのだ。
だが、震える指で梅の服をぎゅっと握りながら、首を横に振るではないか。
出来ませんと、恐怖をいっぱいにためた目で訴える。
困った子だ。
梅は、それに目を伏せて。
「じゃあ……一緒に死にましょうか」
生き残るアテはない。
だが、彼女は──燃えさしを片手で下段に構えた。
※
梅が使えるのは、あくまでも自己防衛手段。
殺傷力があるわけでも、相手を確実に行動不能に出来るわけでもない。
そして、何より。
長くはもたない。
それでも。
梅は、戦わなければならないのだ。
観念したと思ったのだろうか。
男が一人、無造作に近づいてくる。
その手は、迷うことなくエンチェルクに伸ばされようとした。
梅は──突いた。
彼女には、たいした力はない。
面の力を加えたところで、ほとんど相手にダメージは与えられない。
だからこそ、拾った燃えさしを、容赦なく男の腹へと突き立てたのだ。
闇を引き裂く絶叫を聞き流しつつ、前のめりになる男の延髄を叩き落す。
とにかく、脳震盪を起こさせる他、方法を見出せなかった。
不意打ちが完全に決まり、男はそのまま昏倒する。
ひと、り。
縮み上がる肺から、深く深く息を吐いた。
これだけでもう、胸が苦しい。
情けない呼吸を整え、もう一人を見る。
「いいトコの娘かと思いきや……やるじゃねぇか」
だが。
梅の動きを見たもう一人の男に、油断はなかった。
しっかりと剣を構え、じりっとにじり寄ってくる。
対する彼女には、もう何の武器もない。
もはや、相手は剣の届く範囲より近づいてはこないだろう。
「エンチェルク……逃げなさい。いまなら逃げられます」
梅は、もう一度言った。
ぶるっと。
彼女は、一度頭を大きく左右に振った。
それは、否定の意味というよりは、自分を奮い起こしているようにさえ思える。
「わ、わ、私が、あの男に飛びついたら……その間に、勝てます?」
声が、裏返っていた。
相手にも筒抜けの大きさだった。
それでも、エンチェルクは本気だ。
本気でやろうとしている。
「や……やめなさい!」
梅は。
梅は、止めようとしたのだ。
だが、しなやかな彼女の動きは、梅の声よりも速く。
男の前へと飛び出す。
剣が、振り上げられる。
ああっ。
焚き火を──血しぶきが、濡らした。




