対峙
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領主の屋敷に先に戻ったダイは、イデアメリトスの君の前へと参じた。
彼の命を救った叔母君も、そこには同席している。
彼女は、片方の長いソファを独占するように、身体を寝そべらせていた。
「申し上げます……」
そんな二人の前に膝をつき、ダイは出来るだけゆっくりとそう宣言した。
これから、自分が言おうとしていることを、出来る限り誤解なく伝えるためだ。
「噂の元と思われる二人組と……町で会いました」
よみがえる記憶をたどりながら、はっきりと言葉にする。
「二人は今夜……この屋敷を訪問します」
ここにいるのは、イデアメリトス二人。
だからこそ、ダイは逆に事実のみを言葉に出来たのだ。
何故に捕まえてこなかった、という叱責が来ることは──まったく考えてもいなかった。
彼らの思考は、貴族たちさえも到底届かないところを飛んでいるのだ。
「そうか」
「ほう……面白いことになったな」
イデアメリトスの君も叔母君も、どちらもダイの報告を静かに受け止める。
軽く、ではない。
二人とも、その意味を噛みしめているのだ。
「ダイエルファン……」
イデアメリトスの君は、彼に呼びかける。
「君は、どう思った?」
問いかけに、一度瞼を伏せる。
報告だけで済むとは、思っていなかった。
「分かりません……」
感想など、言えるはずなどない。
本当に、分からないのだ。
大した学が、あるわけではなく、言葉がうまいわけでもない。
イデアメリトスの君に、分かりやすくこの感覚を説明することなど、出来はしなかった。
「ただ、二人の内片方は……彼女でした」
彼が、伝えられるのは事実のみ。
彼女。
名前を呼べない病は、まだ身の内に巣くったままだった。
※
そして。
不思議な会見が、始まった。
奥に、イデアメリトス二人。
入って来たのは、キクと白髪の男──トー。
入口に控えるのは、ダイ。
いるのは、この五人だった。
イデアメリトスの君は、ケイコをここに同席させなかった。
それ以前に、知らせてもいないだろう。
彼女にとって、残酷な結果になるかもしれない──おそらく、そう気遣った結果なのだ。
ケイコは、とにかく平和に事を進めたがっていた。
ある意味。
彼女の希望は、叶えられた。
こうして、彼らは刃を向けあうこともなく、顔を合わせたのだから。
だが。
ここから先の保障など、何もなかった。
菊も剣を帯びているし、ダイもそうしている。
ここで、何かが起きてもまったくおかしくない。
「元気そうで何よりです、『御曹司』」
キクは、イデアメリトスの君を、名前で呼ぶことはない。
おそらく、本能的に彼がどういう存在か理解していたのだろう。
奇妙な呼び方は、変えないままだが。
「本当に女だったとはな……ケーコと、同じ国の人間とは思えない面構えだが、どっちが普通なのだ?」
叔母君が、身を乗り出しながら、その金褐色の瞳を爛々と輝かせる。
目だけでキクの喉笛に、噛みつかんとするかのように。
彼女は、目を細めてその野生の瞳を見る。
「貴女も、御曹司と同じ血の人間とは思えない面構えですね……どっちが普通ですか?」
女二人の視線の間で、火花が散った気がした。
だが、その火花を笑い飛ばしたのは、叔母君だった。
「なるほど、やはりケーコと同じ国の人間だな。イデアメリトスにはこれっぽっちの興味もないか」
野生の瞳をしまわないまま、叔母君は笑みを続ける。
その瞳が、白髪のトーで止まる。
トーが、さっきから叔母君の方を見ていたからだ。
「子供が苦しんでいる……」
イデアメリトスを前にして、初めて彼が語った言葉が、それだった。
※
「自分の身体に、良くない魔法を使っていただろう……子袋が小さくなり弱って、子供が苦しがっている」
トーの言葉の瞬間。
叔母君の瞳が、大きく揺れた。
眉が釣り上がりかけ、その口は大きく開きかける。
しかし、その唇から怒鳴り声は出てこなかった。
「叔母上……」
「いい、気にするな。話を進めろ」
イデアメリトスの君の言葉を、叔母君は拒否する。
彼女は、妊娠していたのか。
ダイには、残念ながら分からなかった。
イデアメリトスが隠していることを、ダイが知る由などないのだから。
ケイコの妊娠は、知っていた。
この御方から、直々に話をされたからだ。
父親が、誰であるかも。
イデアメリトス以外で、このことを知るのは、リサーとダイだけ。
もし、永遠に隠さねばならないことであるとするなら、ダイは墓までこの秘密を抱えて行くだろう。
では、叔母君の子の父は誰なのか──そんなことは、彼が考えることではなかった。
すぐに思考を止め、いまこの目に見える景色を把握する。
現状では、イデアメリトスの2人は、出鼻をくじかれた形となった。
そして。
「トーの歌に興味があるんだろう? それなら、ちょうどいい」
話は、キクの手に握られたのだ。
「余興に、歌でも聞いてもらおうか」
ああ。
ダイは、剣にいつでも手をかけられるように構えながらも、この場で自分がこれを抜くことはないだろうと確信した。
キクは、逃げも隠れもしない。
伝えることがあるとするならば、まっすぐに伝えようとする。
どんな噂よりも、一度の真実を目の当たりにさせる気なのだ。
夕刻に聞いた歌が、トーの唇からあふれ出る。
イデアメリトスの君は、それを止めようとはしなかった。
身と心に染みいる歌を、この御方も真正面で受けとめようとしている。
左手に、既に髪が一本巻いてあるのを、ダイは知っていた。
拳になったままのそれは、警戒を解くことはない。
しかし。
叔母君は──安らかな寝息を立て始めたのだった。




