美しい人
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その町で、最初に彼女と出会ったのは──ダイだった。
二人のイデアメリトスとケイコを、領主の屋敷に預けると、部下と二人で情報を得るために、支部の詰め所へと向かおうとしていた。
既に日は、かなり西に傾きかけている。
「おっ」
そんな、驚きと楽しげな声が、彼の鼓膜を打ったのだ。
ダイは、反射的に振り返っていた。
「ダイ──! ───!」
そして。
彼女は、ダイに近づきながら、分からない異国の言葉で語りかけ始める。
いつもそうだった。
多少言葉を覚えても、この娘ときたら、ダイ相手には進んでこの国の言葉を使わないのである。
「隊長……?」
部下が、怪訝そうにダイを見上げてきた。
「隊長? ダイも、随分偉くなったな」
その声を聞きつけて、ついに彼女は笑い出す。
なまりの少ない、綺麗なこの国の言葉が、ついにその唇から飛び出した。
たどたどしい単語しかしゃべれなかった頃とは、まったく違う。
よほどよい言葉をしゃべる人間に、言葉を習ったのだろう。
ふぅ。
ダイは、ため息をついていた。
別れた時と、まったく変わることのない彼女は、いま自分が問題の種になっていることを知らないのか。
同行しているのが、彼女かもしれない。
そう聞いた時、ダイはそうでなければいいと思った。
だが。
ここで、出会った。
都へ行く者たちの通る道。
歌の噂は、すべてその街道の町から伝えられていて、だんだん近づいてきていた。
その延長線上のこの町で、彼女と出会ったということは──噂にくっついていた者が誰だったのか証明されたようなものだ。
ダイは、ほんの少しだけ視線を動かした。
彼女の近くに、その人物がいないかと探したのだ。
「ああ……そういう理由か」
わずかの視線の移動だけで、彼女は全てを理解した。
「よかったら、一緒に行かないか?」
彼女──ヤマモト・キクは、理解した上で笑ったのだった。
※
出会ったのは、夜の草原。
彼らは、逃げていた。
月の者の、大攻勢に遭っていたのだ。
これまで、こまかい攻撃は受けていたが、ダイ一人でなんとか出来る程度のものだった。
しかし、その時は違ったのだ。
イデアメリトスの君を守りつつ、この人数をさばくのは、とても難しいことだった。
「魔法を使おう……ダイエルファン、広い場所へ奴らを誘いこんでくれ」
一度だけしか使えない魔法を使う場面が来たのだと、そう判断したのだろう。
ダイは、その言葉に従い、平原へと抜ける道を選んだのである。
「───」
だが。
そこで待ち受けていたのは、見知らぬ言葉をしゃべる少女だった。
男と、見間違うことはなかった。
すらりとしたその身を作る骨格は、少年では作りえないものだったのだ。
そして。
少女でありながら、剣と一体だった。
身体の一部であるかのように、彼女は剣と同化しているように見えたのだ。
ぞくりと、ダイの背筋に冷ややかな気が走った。
だが、声と気配に殺気はない。
それを、イデアメリトスの君も気づいたようで、前に進み出る。
リサーとダイは、同時に彼を止めようとした。
いくら殺気がないとは言え、こんな夜に出会った異国の者なのだ。
「この草原は、これより火の海になる。戻られよ」
だが、彼はダイとリサーを制し、自分の身が危ない状態にも関わらず、異国の者に警告したのだ。
この御方と少女の間だけ、時間の流れが少し緩やかに感じた。
彼女の視線が、ダイを見た。
何の迷いもなく、彼を見たのだ。
「───?」
彼女は、ダイに問いかける。
『お前は、戦う者だろう?』
そう、言っているように聞こえた。
夜でも分かる、まっすぐで凛とした瞳。
「魔法を使うのは……しばしお待ちください」
この者とならば、魔法を使わずに乗り切れる気がしたのだ。
しかも、加勢をしたのが女性であれば、イデアメリトスの成人の旅に傷をつけることもない。
だから──イデアメリトスの君に膝を折り、戦いの許可を請うた。
※
美しい、太刀筋だった。
月夜の下、彼女は一太刀ごとに流れるように敵を屠ってゆく。
斬られたことにさえ気づかず、数歩歩く者もいるほどだ。
人の身体が、斜めにずれていくという光景を、ダイは生まれて初めて見た。
自分の剣が、金槌となんら大差のない武器であることを知ったのだ。
しかし、彼はこの剣の使い方しか知らない。
速く、強く、叩き潰していく。
線、が見えるようだった。
暗い月夜が、彼女の剣の刃を妖しく反射する。
その光の線が、軌跡を描くのだ。
ダイは──初めて人工物を美しいと思った。
農村の生まれで、山や川に囲まれて育った彼は、都に来ても美しいと思える物とは出会えなかったのだ。
石で出来た大昔の建物も、店先に並ぶ装飾品も、ダイの心は揺り動かさなかった。
だが。
月の光の下の、あの剣と剣を振るう者の美しさは、この世のものではないとさえ思えたのである。
全ての理屈が、違った。
この世界にある理屈を、見知らぬ方向へ飛び越えているのだ。
戦いは、強さだ。
ひたすらに、強くなければならない。
ダイは、それを信じてずっと剣を振るっていた。
ただ、愚直に。
生まれつきの体格のおかげもあって、彼はとても強い力を得ることが出来た。
しかし、彼女は何ら身体的優位を持ってはいない。
なのに。
強かった。
そして──美しかった。
ただ、それは。
月の美しさにも思えた。
この国では、不吉で危険なもの。
だが。
ダイは、その美しさを否定できなかった。




