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ただの自己満足

 到着した家は、いかにも中堅貴族の屋敷だった。


 現れたのはうら若い女性。


 しかし、彼女は景子やネイディが農林府の役人であることを確認し、使用人によって運び込まれる室長を見た後、つまらなそうにどこかへ消えてしまったのだ。


 最初に現れたということは、この屋敷の名代を預かる立場だろうに。


「室長は、長男じゃないんだよ」


 景子が怪訝な顔をしていると、ネイディが小さくぼそりと補足してくれた。


 ああ、そうか。


 長男以外、貴族の名を継げないのだ。


 この様子を見れば、彼は兄の屋敷に、居候という形を取っているのだろう。


「既に、父親も母親もいらっしゃらないからね、室長は。生きていれば、次男にも屋敷のひとつくらい与えたんだろうけど」


 ネイディは、貴族名鑑でも持っているのではないかと思えるほど、妙な知識がある。


 ロジューを、日向花の名で呼んだこともあったし。


「お医者様、呼んでもらえるのかな」


 景子は、さっきの若い女性の態度を思い出して、心配になった。


 少なくとも、夫が帰ってくるまでは放置しそうな気がする。


「さあね……でも、もう僕たちが関与するところじゃ……って、おい」


 ネイディは、驚いた声をあげた。


 景子は、運び込まれる室長の後に、ついていこうとしたのだ。


 あの光は、本当によくない光のはず。


 景子は、自分を信じようと思った。


 自分のこの、見るしか出来ない目を、ちゃんと理解しようと思ったのだ。


 寝ていれば治るレベルは、とうに越えている。


 頭を冷やすことだけでも、やらなければ。


「すみません、お水と冷やすための布と……」


 ベッドに寝かされる室長を見届けた後、立ち去ろうとする使用人たちに頼みごとをする。


「まったく……知らないぞ」


 扉のところで、ネイディが唸った。


 彼女のことを、いろいろ気にかけてくれるいい人だ。


 なんだかんだいいながら、こうして付き合ってくれるのだから。


 男手が増えたことに、彼女は喜んだのだ。


「ああ、よかった。ネイディ、室長を着替えさせてあげて」


 そして──にっこり笑ってお願いごとをするのだった。



 ※



 ネイディに室長を預けている間に、こっそり景子は厨房へと向かった。


 彼の部屋から借りてきた、空の水差しを持って、だ。


 景子は、旅をしている間、あちこちの屋敷に一時的に泊めてもらうこともあった。


 特に、イエンタラスー夫人の屋敷では、平気で厨房にも出入りしていたのである。


 どこの屋敷の厨房も、さしたる差はなかった。


 そこで、彼女は使用人に頼み、砂糖と塩を分けてもらい、水差しの中に簡単なスポーツ飲料をこしらえたのだ。


 水分と栄養が必要だと思った。


 室長は、ほとんど汗をかいていない。


 既に、脱水症状に近いはずだ、と。


「おい、僕を一人にするなよ」


 戻ると、既に着替えは終わっていたが、ネイディはおかんむりだった。


「ああ、ごめんね……ちょっと室長の身体を起こすの手伝って」


 わびつつも、景子は次のお願いごとを軽く上積みする。


 何でだろう。


 本当に、ネイディには頼みやすいというか、頼みやすい気が出ているというか。


「いい加減にしろ」


 と、言いながらも、やっぱり彼は手伝ってくれるのだ。


「室長、少し水を口に入れますからね」


 ネイディに支えさせた身体を、彼女も片手で補助しながら、杯を唇にあてる。


 ゆっくりゆっくり、休み休み流し込む。


 それを何回か繰り返して、再び横たえる。


 額を濡らした布で冷やしてしばらくすると、ようやく彼の顔にうっすらと汗が浮かんだ。


 景子は、それに少しだけほーっとした。


 彼の身体が、いまの自分の状態をどうにかしようと、動き始めたのが分かったからだ。


 光を、見た。


 爆ぜる光は、そのままではあったが、さっきよりも間隔は長くなってきている。


「もういいだろう?」


 ネイディは、早く出て行きたそうだ。


 景子の視線の端で、ゆっくりと光が点滅した。


「う、うん……でも、もう少し……」


 せめて。


 光が爆ぜなくなるまで。



 ※



 目が──開いた。


 時は、夕刻になろうとしていただろうか。


 まだ、熱は下がりきっていないが、室長はゆっくりと目を開けたのだ。


 景子は、それにほっとする。


「もう少し、水分を取った方がいいです……」


 ソファでうつらうつらしていたネイディを起こして、彼に何度めかのスポーツ飲料もどきを飲ませる。


 熱ではっきりしない視線だが、それでも彼の目は物問いたげだった。


 何故ここに、部下がいるのか分かっていないようだ。


 彼女は、ようやく彼の光が、爆ぜなくなったのを確認していた。


 それに、ほっと胸をなでおろす。


「まだ、水差しには入っていますから、まめに飲んで下さい。お医者様も呼んで下さいね」


 後ろ髪は引かれるものの、彼女に出来るのはこれが精いっぱいだ。


 もうそう遠くなく、彼の兄も帰ってくるに違いない。


 退散すべき時だった。


「それでは、失礼します」


 ネイディは、身なりをきちんと整えて、景子は何度も振り返りながら、そしてようやく屋敷を出て行ったのだ。


 はぁ。


 農林府への道をたどりながら、景子はため息をついた。


「ため息をつきたいのは、僕の方だ」


 ネイディは、本当に肩を落としている。


「僕の出世の道が、このまま閉ざされたら、ケーコのせいだからな」


 そしてまた、彼女に巻き込まれたことを嘆くのだ。


 しかし、景子はネイディを見ながらも、微かな笑顔になっていた。


 まだ、完全に室長が大丈夫だと決まったわけではないのだが、彼女は出来る限りのことはしたのである。


 あの時とは、違うのだ。


 だが、景子は同時に分かっていた。


 これは、ただの自己満足なのだと。


 あの上司に対して、とりわけ強い好意を抱いているわけでもない。


 それは、本当に重々分かっている。


 ただ。


 赦されたかったのだ。


 自分に──赦されたかった。

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