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馬と鹿

 二人の女のおなかがピカピカしている状態で──無事、小さな温室は完成した。


 景子は、ジャングルに分け入って、その温室に移すにふさわしい植物を吟味していた。


 樹木も入れたい。


 南国の植物は、どうにも背が高くなりがちだが、剪定によりそれを制限することも可能ではあった。


 しかし、ロジューは奔放な性質の植物を愛しているようで、剪定を嫌がる気がする。


 地面に膝をついて、景子は手を動かしながらも、色々と考え込んでいた。


 そんな時。


 ガサッ。


 長い植物をかきわけるように、ロジューの馬がジャングルに入ってきた。


 いつも、荷馬車を運ぶ片割れ──ケールリの方だ。


 ケーコが、馬扱いされた原因だった。


「あれ……おまえ、ジャングルに入ってきちゃだめでしょ」


 足元に絡む、力の強い植物も多いのだ。


 普段は、街道を歩くために整えられている馬には、ここは迷い込むにはよくない場所に思えた。


 洋犬を思い出させる長い顔を、暑そうに振りながらも、ケールリは聞いちゃいない。


 景子は、何とか馬をジャングルから出そうとした。


 だが。


 その時、彼女自身が、足元を怠ってしまったのだ。


 あっと思った時には、既に遅く。


 強い植物の根に、足を取られていた。


 その1秒は、10倍ほどに引き伸ばして感じられ、スローモーションどころか、ストップモーションにさえ思えた。


 とにかく。


 景子は、反射的に膝を折った。


 身体ではなく、膝から落ちようと必死に努力したのだ。


 甲斐あって。


「……!」


 景子は、膝で地面を叩いていた。


 い。


 たくない。


 歯を食いしばる。


 そして、慌てておなかを見たのだ。


 ぴかぴか。


 ああ、よかった。



 ※



 みっともないけど。


 景子は、観念した。


 はいずって、ここから出るしかないようだ。


 根っこにひっかけた足と、したたかにうちつけた膝と、身体に変な力をかけてしまったために、腰をやってしまったのだ。


 両手と、わりと平気な方の片足で、自分の身体をずりずりと動かしていると。


「何をしている……」


 フードを下ろした男が、そこにいた。


 スレイだ。


「あ……いえ……あの……」


 妊婦なのに、けつまずいて転んだ挙句、動けなくなりました──そんなこと、正直に答えられるわけがない。


 馬は、ぶるるといななきながら、まだそこにいた。


「蹴られたのか?」


 馬を見た後、表情を険しくしながら、スレイが問いかける。


「ちがっ……蹴られてません! ただちょっと……そのへんで……その……」


 景子は、どんどん小さくなっていった。


「あ、あの……馬を出してもらっていいですか?」


 このまま見られていると、恥ずかしくてはいずれなくて、景子はケールリの方へ、彼を向かわせようとする。


「俺には、お前を出した方がいいように思えるがな」


 景子への言葉にも、ため息を混ぜてくれた。


「わ、私は自分で出られますんで……」


 それに、ますます小さくなる。


 スレイは、むっつりと不機嫌な表情に拍車をかけ、本当に嫌そうにはーっと息を吐き捨てた。


「いいか。手間をかけさせる時は、最小限の最短時間にしろ」


 その息が終わる前に、景子は抱え上げられていた。


「……!」


 驚くよりも先に、痛めたところに激痛が走って、顔をこわばらせる。


「助けて下さいと一言言えば、済む話だろう」


 ざくざくと、スレイはジャングルの中を慣れた足取りで歩いてゆく。


 うう。


 迫力がありすぎて、気軽にそんなことを頼めない。


 自業自得のバカなことをしたのだから、なおのこと。


 だが、もしこれを見ていたのがアディマだったら、もう植物のところへ行かせてもらえなくなったかもしれない。


 もっと気をつけなきゃ。


「すみません……」


 抱えられながら、景子はしょんぼりぼりと反省するしかなかった。



 ※



 屋敷の中。


「おや……面白い」


 景子を抱えてきたスレイを見て、ロジューが本当に笑みをたたえた声で出迎えてくれた。


「ジャングルで転がっていたぞ」


 彼は、景子の事情をいたって簡潔に表す。


 人間の扱いとは、ちょっと違ったが。


「そうかそうか……しかし、そうしているとお似合いだな」


 ばんばんとスレイの腕を叩く振動が、腕の中の彼女にもはっきりと伝わってくる。


「馬鹿なことを言っていないで……これを受け取れ」


 炸裂するため息が、景子の上に降ってくるような気がした。


「あの……もうここで……」


 二人の空気にいたたまれなくなり、彼女は下ろしてもらおうとした。


 彼の望む最短時間なるものから、とっくに期限切れな気がしたのだ。


 それに、ロジューに受け取ってもらうわけにもいかない。


 彼女もまた、景子と同じ妊婦なのだから。


「ついでに、部屋まで運んでやってくれ。頼むよ、スレイピッドスダート」


 さすがのロジューも、一応自重しているようだ。


 しかし、スレイに景子の移送を頼むのは、許して欲しかった。


 だって。


 ほらきた。


 またも、ため息が洩らされたのだ。


 この息は、景子を縮みあがらせる。


 自分が、ただの面倒の塊になった気にさせられるのだ。


 まだ、自分ではいずっていた方が、マシに思わされる。


 景子は、ロジューに目で訴えていた。


 視線には気づいてくれたが、彼女を助ける気配を見せることはない。


「スレイは、自分がやりたくないことは絶対にやらん男だ」


 景子の部屋への道のりを一緒に歩きながら、ロジューはニヤニヤしている。


「その代わり、やると言ったらきっちりやる男だぞ……態度は最悪だがな」


 本人を目の前にして、彼女は言いたい放題だ。


「夫なんだから、何でも頼んでいいからな」


 そして、とどめの一言。


 景子は、そーっとスレイを見上げてみる。


 ギロリ。


 隻眼の瞳は、とてもロジューの言葉を肯定しているようには見えなかった。



 ※



 腰が。


 思いのほか、治らずに苦労した。


 しかし、景子はおとなしく寝ていることが出来ずに、よろよろとジャングルに向かうのだ。


 まだ、温室用の植物の選定は、さっぱり終わっていないのだ。


 立ってうろつくと危ないので、ジャングルの中では、座り込んで作業を始める。


 どうせ、はいつくばるくらいのことはする予定だった。


 この態勢の方が、楽かもしれない。


 背の低い株を選びながら、目印の紐を巻いていく。


 腰がもう少し治ったら、この株を掘り出そうと思ったのだ。


 さすがに、誰か人の手を借りないといけないなあ。


 紐を結びながら、景子がうーんと考え事をしていると。


 その視界に、足が見えた。


 ん?


 足ということは、上に身体がついているワケで。


 景子が、そーっと視線を上に上げると。


 スレイが、立っていた。


「か、か、か、株の選定を……! 今日は転がってるわけじゃありません!」


 回らない舌で、彼女は反射的に言い訳をしていた。


 また怪我をしていると、思われたくなかったのだ。


「立ってみろ」


 言い訳には興味がなさそうに、スレイは噛み合わない一言で、軽く景子を追いつめた。


 一番、触れられたくない部分でもある。


「す、座っていれば仕事は出来ます」


 働いていないと、どうにも落ち着かないのだ。


 好きな植物のことだから、少々の痛みは苦にならないし。


「何故、ロジューストラエヌルに治してもらわない」


 そんな彼女のことを、スレイはきっと理解できないのだろう。


 ため息と共に、ロジューの名前を出す。


「命にかかわりませんから」


 その点だけは、景子はきっぱりと答えた。


 普通の人は、みなそうして治しているのだ。


 腰痛ごときで魔法なんて、ロジューだって甘えるなと言うだろう。


「お前は……」


 ふぅ。


 スレイは、一度目を伏せて。


「お前は……馬鹿だな」


 しみじみと言われると──物凄く傷つくものだと分かった。

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