馬と鹿
☆
二人の女のおなかがピカピカしている状態で──無事、小さな温室は完成した。
景子は、ジャングルに分け入って、その温室に移すにふさわしい植物を吟味していた。
樹木も入れたい。
南国の植物は、どうにも背が高くなりがちだが、剪定によりそれを制限することも可能ではあった。
しかし、ロジューは奔放な性質の植物を愛しているようで、剪定を嫌がる気がする。
地面に膝をついて、景子は手を動かしながらも、色々と考え込んでいた。
そんな時。
ガサッ。
長い植物をかきわけるように、ロジューの馬がジャングルに入ってきた。
いつも、荷馬車を運ぶ片割れ──ケールリの方だ。
ケーコが、馬扱いされた原因だった。
「あれ……おまえ、ジャングルに入ってきちゃだめでしょ」
足元に絡む、力の強い植物も多いのだ。
普段は、街道を歩くために整えられている馬には、ここは迷い込むにはよくない場所に思えた。
洋犬を思い出させる長い顔を、暑そうに振りながらも、ケールリは聞いちゃいない。
景子は、何とか馬をジャングルから出そうとした。
だが。
その時、彼女自身が、足元を怠ってしまったのだ。
あっと思った時には、既に遅く。
強い植物の根に、足を取られていた。
その1秒は、10倍ほどに引き伸ばして感じられ、スローモーションどころか、ストップモーションにさえ思えた。
とにかく。
景子は、反射的に膝を折った。
身体ではなく、膝から落ちようと必死に努力したのだ。
甲斐あって。
「……!」
景子は、膝で地面を叩いていた。
い。
たくない。
歯を食いしばる。
そして、慌てておなかを見たのだ。
ぴかぴか。
ああ、よかった。
※
みっともないけど。
景子は、観念した。
はいずって、ここから出るしかないようだ。
根っこにひっかけた足と、したたかにうちつけた膝と、身体に変な力をかけてしまったために、腰をやってしまったのだ。
両手と、わりと平気な方の片足で、自分の身体をずりずりと動かしていると。
「何をしている……」
フードを下ろした男が、そこにいた。
スレイだ。
「あ……いえ……あの……」
妊婦なのに、けつまずいて転んだ挙句、動けなくなりました──そんなこと、正直に答えられるわけがない。
馬は、ぶるるといななきながら、まだそこにいた。
「蹴られたのか?」
馬を見た後、表情を険しくしながら、スレイが問いかける。
「ちがっ……蹴られてません! ただちょっと……そのへんで……その……」
景子は、どんどん小さくなっていった。
「あ、あの……馬を出してもらっていいですか?」
このまま見られていると、恥ずかしくてはいずれなくて、景子はケールリの方へ、彼を向かわせようとする。
「俺には、お前を出した方がいいように思えるがな」
景子への言葉にも、ため息を混ぜてくれた。
「わ、私は自分で出られますんで……」
それに、ますます小さくなる。
スレイは、むっつりと不機嫌な表情に拍車をかけ、本当に嫌そうにはーっと息を吐き捨てた。
「いいか。手間をかけさせる時は、最小限の最短時間にしろ」
その息が終わる前に、景子は抱え上げられていた。
「……!」
驚くよりも先に、痛めたところに激痛が走って、顔をこわばらせる。
「助けて下さいと一言言えば、済む話だろう」
ざくざくと、スレイはジャングルの中を慣れた足取りで歩いてゆく。
うう。
迫力がありすぎて、気軽にそんなことを頼めない。
自業自得のバカなことをしたのだから、なおのこと。
だが、もしこれを見ていたのがアディマだったら、もう植物のところへ行かせてもらえなくなったかもしれない。
もっと気をつけなきゃ。
「すみません……」
抱えられながら、景子はしょんぼりぼりと反省するしかなかった。
※
屋敷の中。
「おや……面白い」
景子を抱えてきたスレイを見て、ロジューが本当に笑みをたたえた声で出迎えてくれた。
「ジャングルで転がっていたぞ」
彼は、景子の事情をいたって簡潔に表す。
人間の扱いとは、ちょっと違ったが。
「そうかそうか……しかし、そうしているとお似合いだな」
ばんばんとスレイの腕を叩く振動が、腕の中の彼女にもはっきりと伝わってくる。
「馬鹿なことを言っていないで……これを受け取れ」
炸裂するため息が、景子の上に降ってくるような気がした。
「あの……もうここで……」
二人の空気にいたたまれなくなり、彼女は下ろしてもらおうとした。
彼の望む最短時間なるものから、とっくに期限切れな気がしたのだ。
それに、ロジューに受け取ってもらうわけにもいかない。
彼女もまた、景子と同じ妊婦なのだから。
「ついでに、部屋まで運んでやってくれ。頼むよ、スレイピッドスダート」
さすがのロジューも、一応自重しているようだ。
しかし、スレイに景子の移送を頼むのは、許して欲しかった。
だって。
ほらきた。
またも、ため息が洩らされたのだ。
この息は、景子を縮みあがらせる。
自分が、ただの面倒の塊になった気にさせられるのだ。
まだ、自分ではいずっていた方が、マシに思わされる。
景子は、ロジューに目で訴えていた。
視線には気づいてくれたが、彼女を助ける気配を見せることはない。
「スレイは、自分がやりたくないことは絶対にやらん男だ」
景子の部屋への道のりを一緒に歩きながら、ロジューはニヤニヤしている。
「その代わり、やると言ったらきっちりやる男だぞ……態度は最悪だがな」
本人を目の前にして、彼女は言いたい放題だ。
「夫なんだから、何でも頼んでいいからな」
そして、とどめの一言。
景子は、そーっとスレイを見上げてみる。
ギロリ。
隻眼の瞳は、とてもロジューの言葉を肯定しているようには見えなかった。
※
腰が。
思いのほか、治らずに苦労した。
しかし、景子はおとなしく寝ていることが出来ずに、よろよろとジャングルに向かうのだ。
まだ、温室用の植物の選定は、さっぱり終わっていないのだ。
立ってうろつくと危ないので、ジャングルの中では、座り込んで作業を始める。
どうせ、はいつくばるくらいのことはする予定だった。
この態勢の方が、楽かもしれない。
背の低い株を選びながら、目印の紐を巻いていく。
腰がもう少し治ったら、この株を掘り出そうと思ったのだ。
さすがに、誰か人の手を借りないといけないなあ。
紐を結びながら、景子がうーんと考え事をしていると。
その視界に、足が見えた。
ん?
足ということは、上に身体がついているワケで。
景子が、そーっと視線を上に上げると。
スレイが、立っていた。
「か、か、か、株の選定を……! 今日は転がってるわけじゃありません!」
回らない舌で、彼女は反射的に言い訳をしていた。
また怪我をしていると、思われたくなかったのだ。
「立ってみろ」
言い訳には興味がなさそうに、スレイは噛み合わない一言で、軽く景子を追いつめた。
一番、触れられたくない部分でもある。
「す、座っていれば仕事は出来ます」
働いていないと、どうにも落ち着かないのだ。
好きな植物のことだから、少々の痛みは苦にならないし。
「何故、ロジューストラエヌルに治してもらわない」
そんな彼女のことを、スレイはきっと理解できないのだろう。
ため息と共に、ロジューの名前を出す。
「命にかかわりませんから」
その点だけは、景子はきっぱりと答えた。
普通の人は、みなそうして治しているのだ。
腰痛ごときで魔法なんて、ロジューだって甘えるなと言うだろう。
「お前は……」
ふぅ。
スレイは、一度目を伏せて。
「お前は……馬鹿だな」
しみじみと言われると──物凄く傷つくものだと分かった。




