晩餐
☆
夕方。
乾いた着物と袴を菊に届けると、彼女はまた凛とした姿に戻った。
残念ながら、アイロンという意図を使用人に伝えることはできなかったので、多少ヨレているのは仕方がないが。
腰に、日本刀をぐっと差し込む。
その姿は、少女にしておくのが惜しいほど、麗しい若侍に見えた。
そんな彼女の横に、楚々と立つ長い黒髪の娘。
菊と梅。
よい名前をもらってるなと、その二人の姿を見て本当に景子は思ったのだ。
そんな彼女らと。
とりあえずエプロンは外したものの、ピンクのセーターにジーンズという出で立ちの自分が並ぶのは、とても恥ずかしいものに思えた。
アディマに最初から連れ添っていた女性が現れ、彼らを夕食の場所へと案内してくれる。
彼女は、あまり彼女らによい態度は見せなかった。
おそらく、アディマに命令されて来たに過ぎないのだろう。
先触れのように、一度食事の説明をしにきた時も、そんな雰囲気だった。
食事のことを伝えるだけだというのに、この女性はゼスチャー一つせず、馬鹿のひとつ覚えのような言葉を、繰り返すだけだったのだから。
「食事に出るための、支度をしなさいと言っているんじゃないかしら」
着物のままベッドに座り、呼吸を整えていた梅が、そう言ったおかげでようやく意味を理解できた。
菊が、何かを口に入れるような動きを見せると、女は顔をしかめた後、ようやく頷いたのだ。
ともあれ。
無事、食事の席にたどりつく。
扉が開かれた後。
「本日は、夕食にお招きいただき、本当にありがとうございます」
梅の涼やかな声と共に、姉妹が深く頭を下げる。
景子も、慌ててそれに倣った。
たとえ言葉が通じなくとも、彼女らは感謝の言葉をきちんと伝えるのだ。
広間の食事の場にいるのは、女主人、アディマ、そして梅を背負った男の3人だった。
案内してきた女性も、そこで下がってしまう。
彼女とダイは一緒に食事をしない──もしくは、出来ないのだろう。
あ、いや。
景子は、たらっと汗を流した。
わ、私もちょっと場違いかも。
走って逃げたくなる衝動をこらえるのが、とてもとても大変だった。
※
女主人の好奇は、とにかく梅に向けられていた。
彼女の着物が、よほど気になるのだろう。
彼らの服とは、根本から構造の違う直線裁断の和服。
振袖ほどの華美さはないものの、品よく美しく仕上げられている布と柄。
日本人以外が見れば、確かにそれは不思議な衣服だろう。
景子の好奇は──食事そのものに向けられていた。
人というものの、行き着く先の結論は、結局似たようなものなのか、と。
日本食とは似ても似つかないが、過去の世界の海外ならば、見ることが出来るのではないだろうかと思われる、食器や食事内容。
それならば、ここは海外なのか。
肯定するには、昨夜にみたあの黒い月と、見慣れぬ星座が邪魔をしていた。
じゃあ、ここはどこなのか。
多分、景子の知る世界のどこでもないのだと、だんだん理解してきていた。
これまで、菊と梅の世話をして忙しかったために、ゆっくりそんなことを考える暇もなかった。
しかし、どうにかして戻る方法も考えたい。
そこまで考えたわけではなかったのだが、ひとつだけ景子は昨日の場所に目印を置いてきた。
梅の買った、桜の苗だ。
本当は、抱えていこうと思ったのだ。
地面に転がるそれを。
しかし、地面に触れた桜の苗は、いままでよりももっと輝いていて。
ここに根付きたいと、そう景子に言っている気がしたのだ。
桜がそういうのなら、と。
彼女はそれを、草原の中に置いてきたのである。
苗に力と運があるのならば、いつかまた会えるのではないかと思って。
「───」
分からない言葉をBGMに、景子はぼんやりとこれまでのことや、これからどうしようかなどと考えていた。
「ケーコ……──」
はっと。
彼女は、思考を中断して顔を上げる。
会話の中に、自分の名前が出てきたからだ。
見ると、アディマが視線だけを景子に向け、しかし言葉は長く長く続いた。
とても、彼女に向けて語られているものとは思いがたい。
男が、困った顔をした。
女主人は、一度驚いて景子を見た。
一体──何の話をしてるの。
※
「ふふふ、景子さん……すっかりあの方に、気に入られてしまったみたいですね」
部屋に戻った後、梅がおかしそうに話しかけてくる。
とはいうものの、戻る途中から菊に少し身体を支えてもらっている状態だったが。
三つ指詫び事件の後、ようやく名乗ることが出来、姉妹に名前で呼んでもらえるようになった。
ベッドに腰かけさせられた梅は、菊によって帯を解かれている。
「気に入られて……ねぇ」
確かに、その言葉が一番近いのかもしれない。
懐かれている、とはまた違う。
景子を、上でも下でもなく対等に扱ってくれている気がするのだ。
「これからのお話ですけど……」
菊に着物を脱がされながら、梅は少し口調を神妙なものに変えた。
ようやく、未来の話が出来る環境になったのだろう。
景子も、ほんの少し前から考え始めようとしていた。
「私……この屋敷に、残りたいと思っています」
梅の言葉に。
菊と景子の、二人が止まった。
残る?
菊がどうかは知らないが、景子はその意味を把握できなかったからだ。
残るということは、行く者もいるわけで。
その相関が、頭に上手に並べられなかったのである。
「おそらく、あの方たちはまた旅立たれると思います」
袖で、彼女は菊を促した。
まだ着物は、脱がせかけだったのだ。
菊はそれに、少し不満そうな顔をしたものの、作業の続きを始めた。
「ついて行きたい気持ちは山々なのですが、どれほど遠い旅なのか分かりません。私では、足手まといになります」
彼女の言葉に、どうコメントしたらいいのか分からなかった。
梅を知る菊のコメントを待ったが、口を開くことはなく。
それに。
「梅さんが残るなら……私達も残ってもいいのでは?」
彼女を、置いていく選択肢ばかりではないはずだ。
大体。
ついていく理由の方が、ないのだから。
すると、梅と菊は一度顔を見合わせた。
そして、二人で景子の方を見るのである。
「景子さんは……連れていく気みたいですよ」
あの食堂のやり取りと気配から──梅は一体何を読み取ったのか。




