孤軍奮闘
☆
明け方になって、ようやく町と呼べるところに到着したのだが、その頃にはもう景子の身体はヘトヘトだった。
身体を使う仕事なので、体力には自信があったのだが、それでも精神的な疲れも一緒にどっと彼女に押し寄せていた。
そのまま一行は、最初から決まっていたことのように道を進み、とある屋敷の前にたどりついたのだ。
うわー、おっきー。
いかにも、貴族のお屋敷と言った風体の門構え。
その門の中から、さらに屋敷まで結構あるというから、本格的だ。
テレビか漫画でしか見たことのないような、古めかしく、そして重厚な屋敷だ。
その焦げ茶を中心とした外観のおかげで、景子の頭にはチョコレート菓子がよぎっていたのだが。
おなか、すいたなあ。
チョコレートの連想で、彼女はまた、とぼけたことを考えていた。
屋敷から、使用人を山ほど従え、女主人らしき女性がすっ飛んでくる。
「───」
女性は深々とアディマに腰をかがめた後、早口で梅をおぶっている男に言葉を投げ始める。
それに、男は静かに応対をしていた。
女主人の目が、そこでようやく景子に気づいたように視線を投げる。
ひっ。
その目にあったのは、驚きと──好奇。
ぶっちゃけて言えば、珍獣を見るような目に近かった。
あうあう。
景子は、恥ずかしくなって、自分のエプロンを引っ張ったりした。
そう。
花屋のエプロンまで、したままだったのだ。
どう考えても、景子の姿は浮いている。
しかし、アディマの前で女主人は、自分の好奇を優先させたりはしないようだった。
てきぱきと使用人に指示を出すと、彼らを屋敷へと案内し始めたのである。
屋根のある家に入ると、自分がとてもとてもほっとしたことに気づいた。
このまま、床でもいいから眠ってしまいたいほどだ。
しかし、くったりとした梅と、ぐっすりと眠る菊が目に入る。
彼女たちを、何とかしなければ。
景子は、まだ眠るわけにはいかなかった。
※
梅をベッドに連れて行くまで、大変だった。
アディマが離れた途端、女主人が男の背中の梅に張り付いて離れなかったからだ。
どうやら、彼女の身につけている衣装が、気になって気になって仕方がないようで。
袂や生地を確かめたり、帯をひっぱったり、背中から下ろして前の方から見ようとしたりするのを、はらはらしながら景子は見ていた。
本当に、悪気がないのが困る。
自分の好奇心を、満たしたくてしょうがないのだ。
男も、女主人を無碍には出来ないようで、なかなか梅をベッドへ運べないでいる。
言葉が通じないのが、とてもとてももどかしい。
あわあわと、景子がしていると。
菊を、先に置いてきた大男が戻ってくる。
返り血まみれの菊の袴には、さすがの女主人も近づかなかったからだ。
その大男が。
一度、うるさそうに女主人を見た後。
「……──」
ぼそりと何かをつぶやいて、梅を奪ってくれたのだ。
ああっ。
ぱぁぁっと、景子は顔を輝かせた。
いい人だ。
この大きな人は、いい人だっ。
彼女は子犬のように跳ねながら、大男についていく。
この一瞬だけは、疲れも忘れるほどだった。
菊の隣のベッドへ梅を下ろし終えると、男はそのままズカズカと部屋を出て行こうとした。
「ま、待って待って」
その身体を引きとめる。
予想外だったのか、少し驚いた目で彼は振り返った。
そして景子は、アディマにしたのと同じように、自分を名乗った。
男は復唱こそしなかったが、それに頷いてくれる。
「……ダイエルファンティアムス」
長い名前だったが、景子は何とかヒアリングできた。
だが、それを何度も呼べるとは思えなくて。
「ダイ……さん?」
と、日本人らしく敬称をつけたら。
もう一度、名前を繰り返されてしまった。
あ、いや、聞き取れなかったわけじゃなくて。
でも、呼び捨てには出来ないし。
えーと、えーと。
景子の苦労は、まだまだ続くのだった。
※
梅の着物を脱がせてたたんで、ゆっくりと寝かしつけて。
次は、菊の返り血の固まった袴を、着替えさせなければならなかった。
しかし、彼女の腰にはまだ刀が差してある。
おそるおそる。
景子が、それに触れると。
一瞬にして、菊の目が開いた。
その手は、しっかりと刀を押さえている。
それに、景子はびくっとした。
さっきまで、眠りの大底にいたように見えたのに。
「あ、えっと……着替えないと」
景子は、慌てて言い訳めいたことを口にした。
言い訳でも何でもないのだが、悪いことをした気になったのだ。
「くっ……」
菊は。
横たわったまま微かに呻いて、刀を鞘ごと腰から引き抜いた。
そして、自分の頭の上に置く。
直後。
すぅっ。
再び、彼女は大底まで戻ってしまったのだ。
あ、脱ぐのは協力してくれないんだ。
あははと、景子は苦笑した。
我が道をゆくお嬢さんだわ、と思いながら。
とりあえず着物と袴、それに足袋もへっぱがし、半裸の状態で毛布にくるんでおく。
着替えがないのだから、しょうがない。
次は、と。
景子は血で汚れた着物を見た。
これを、洗わなくちゃ。
血の汚れは水洗い、っと。
それを抱えて、景子は部屋を出た。
梅が目を覚ますのは、このもう少し後の出来事。
景子が、言葉の通じない苦労の末に洗濯を終え、着物を干して戻ってきた時のこと。
お昼前くらい。
やっと、やらなければならない仕事が終わって。
うー……目がしぱしぱ……す……る。
景子は、空き部屋の隅っこで、うつらうつらし始めた。




