お妃第一候補
☆
ノッカーが鳴った。
景子は、どきっと飛び跳ねる。
ここは、ロジューの部屋。
彼女はさっきの話を、一応イデアメリトスの長の耳に入れると、出て行ってしまったのだ。
なかなか帰ってこないので、景子は怖くなっていた。
この部屋には、ロジューの命を狙う魔法が仕掛けられていたのだ。
また、何かされないとも限らない。
そこで、ブルブル震えながら一人でいるところに、ノッカーと来た。
ロジューが帰ってきたのなら、いきなりドアをぶち開けるだろう。
だが。
「叔母上様?」
扉の向こう側の声は──小さい少女のものだった。
ロジューを叔母と呼ぶのは、イデアメリトスの長の子だけ、ではないのだろうか。
答えられずに扉を見つめたままでいると、キィっとおそるおそる扉が開いた。
「叔母上さ……」
褐色の首が差し込まれ、中でキョロキョロっとする金褐色の目と、ソファの景子の目がバチィっと合う。
お互い、ぎょっとした顔をしてしまった。
「だ、だ、だ、誰!?」
「あわわ……ええと」
景子は、とっさに自分のここでの身分を思い出せなかった。
使用人や、側仕えという言葉もあるにはあったのだが、自分がそうだとはどうしても自覚できなかったのである。
「ええと……農林府の者です」
とっさに、景子はそう名乗っていた。
この世界での、彼女の唯一の職業だ。
「は? 農林府?」
少女は、まったく意味を理解出来ていない。
だが、景子は少しは理解した。
この子って──アディマの妹じゃ、と。
長い長い髪は、おそらく背より長いだろう。
昔のアディマがそうだったように、首に幾重にか巻きつけているのだ。
成人前の髪型をしているということは、小さく見えてももうちょっと年は上なのだろう。
この少女も、そのうち捧櫛の神殿に旅立つのだろうか。
「何をしておる」
そんな小さい襟首を、後方から伸びた長い腕が掴み上げる。
「あいたたた……叔母上様、はーなーしーてー」
この部屋の主──ロジューが戻って来たのだ。
※
「こんな夜更けに、何事だ……カナルディシーデンファラム」
小さい訪問者に、ロジューは優しくはなかった。
アディマに対してもそうだが、彼女は誰に対しても態度がそうだ。
相手のサイズが小さくても、まったくもって手加減がない。
ようやくつまみ上げた身体を床に戻しながらも、不機嫌な態度は崩さなかった。
「そうそう、叔母上様にすごい情報を持ってきたのよ、私!」
カナルディと呼ばれた姪は、胸を張る。
あれ?
景子は、微かな違和感を覚えた。
この子──ぴかぴか光ってない。
同じことが、イデアメリトスの長の時もあった。
おそらく、どうにかして自分を光らないようにすることが出来るのだろう。
さすが、魔法一族。
不思議だ。
「すごい情報?」
甲高い声のカナルディを、とりあえずロジューは部屋に放り込むことにしたようだ。
そして、扉を閉ざす。
すごいイデアメリトスの情報を、人に聞かれる範囲で語られても困るからだろう。
って、ちょっと待って。
私も出なきゃ。
景子が、ソファから下りて部屋から逃げるよりも。
カナルディのおしゃべりな唇の方が、到底速かった。
「あのね、あのね……叔母上様! 叔母上様が、お兄様のお妃第一候補なんだって!」
空気が。
止まった気がした。
部屋の中は、ずっとロジューの魔法で涼しい空気が動いているというのに、一瞬景子の周りだけ、音と涼しさが消えたのだ。
じっとり。
背中に、嫌な汗が伝う。
「ああ……何だ、そんな事か。さっき兄者から聞いた」
あっさりとロジューは──姪の大ニュースを蹴っ飛ばしたのだった。
※
叔母と甥って──結婚出来るんだ。
だらだらと、景子はいやな汗をかき続けた。
そういえば、彼女のいた世界でも、血族のどこまでが結婚対象であるかは、国によって違う。
日本だって大昔の話だが、すごい身内結婚をしていた時代があるではないか。
小うるさい姪のカナルディを部屋から放り出して、ロジューはソファへと戻って来る。
「どうにも、年の合う血の近い者が少ないようでな……私が子を作らなかったせいもあるが」
よっと。
向かいのソファに座りながら、彼女は視線をこちらに向けた。
景子は、自分がこわばったままの顔で止まっていることに気づいていたが、だからといって戻せるものでもない。
顔の筋肉が、言うことを聞かないのだ。
「髪を伸ばせぬ者は、イデアメリトスとは言え、老いるのが早いからな。いっそ、髪の長い未婚の私を嫁にして、血の濃い子供をぽろぽろ産ませようとでも思っているのだろう」
そんな彼女を楽しむように、ロジューの言葉はだんだん意地悪さを帯びてくる。
「だが、それで分かったぞ」
彼女は、その意地悪さをすぅっと引っ込めた。
「要するに……私が、あの甥の妃になるのは許せない……そう考えているイデアメリトスがいるってことだ」
随分、やり方が荒っぽいがな。
ということは。
他の、お嫁さん候補が怪しいってこと?
ロジューが第一ということは、他に第二、第三の候補がいるということである。
「第二候補が、7歳。第三候補が5歳……しかしまあ、あの甥のこれからの時間を考えれば、楽に待てるからな」
昔の殿さまの政略結婚などでも、そんな年齢差は当たり前だったではないか、と自分に言い聞かせる。
しかし、ロジューがアディマの嫁になることについて、承諾するとはとても思えなかった。
イデアメリトスの男と結婚するのはまっぴらだと言って、ここまで独身できた女性である。
「とりあえず……」
景子の思考をよそに、ロジューが話を続けた。
「とりあえず……第一妃候補は、辞退してこなかったがな」
だが。
彼女の答えは、景子の予想など遥か彼方にぶっとばしていた。




