死の……
☆
中央に、巨大な白石で建てられた威厳のある宮殿。
その両側に、翼を広げるように弧を描く二つの細長い建物が続いている。
ロジューの荷馬車が行く先にあるのは、向かって左──西の翼だった。
かなり古い建造物なのだろうが、まったく古びた様子を感じさせない。
石は、年を取らない。
取るとしても、それはとてもとてもゆっくりで。
それは、さざれ石が巌となる日本人の歌の中にも、込められている悠久の時の感覚。
イデアメリトスの、血と時の関係を感じさせる建物にさえ思えた。
「中央にイデアメリトスの太陽である長、東にその子ら。残りの、老いてゆくばかりの血は西だ……厭味としては、よく出来ているだろう?」
喉を鳴らして笑うロジューに、どう答えればよかったのか。
太陽を信仰する者たちらしい、分かりやすさとしか言いようがない。
遅い夜だったせいか、ロジューの出迎えはほとんどなく、しかし、明るい宮殿内を彼女は迷いなく歩いてゆく。
景子は、その後から革袋一つ抱えてついていくのだ。
大事な大事な硝子の破片。
ロジューの荷物と間違えられ、あるいはゴミと間違えられそうで、それだけは自分で抱えて来たのである。
「ここが、いつも私が使う……」
扉を開け放った彼女の言葉が、途中で止まった。
足を踏み込もうとしない。
その背中から立ちのぼる何かを感じて、後ろの景子も足を止める。
「ふざけるな……」
ぼそりと。
ロジューが忌々しげに呟く。
その声には──怒りがありありと見て取れる。
そして。
彼女は、自分の髪を一本引き抜いたのだ。
右手にそれを巻きつけ、一度強く握り直す。
金色に燃え上がるのは、右手。
そこに太陽があるかのように、煌煌と輝くそれを。
「日向花の部屋に、『死』の魔法を置き土産にするとは……おいたじゃ済まないぞ」
ロジューは、太陽を部屋へと放ったのだった。
※
ボンッッ!
激しい音と風が発生し、反射的に景子は耳を塞いだ。
そんな中、爆風で髪を後方になびかせながらも、ロジューは微動だにせず、そこに立ち続けている。
手も、下ろさない。
ええと。
景子が、うまく思考をまとめられずにいると、何事かと使用人たちが駆けつけてくる。
「何でもない……さがれ」
だが。
手を下ろしながら、ロジューは彼らを追い返した。
何でもなく、ないんじゃ……。
景子は、口をはさめないまま、彼女の後ろ姿を見上げる。
ロジューは、こう言ったではないか。
『死の魔法』、と。
誰かが、この部屋にそれを仕掛けた、と。
それだけで、彼女の命が誰かから狙われているという証拠には、ならないのか。
犯人を探して捕まえないと。
景子は、あくまで一般論で物事を考えようとしていた。
だが。
そういうシンプルな問題では、なかった。
「中に入って扉を閉めろ」
先に足を踏み入れながら、ロジューが彼女に指示をする。
まだ離れようとしない使用人もいる中、景子は言われた通りにする。
パタン。
扉をしめて振り返ると。
ロジューが、髪をもう一本引き抜いて、自分の右手に縛りつけるところだった。
緑の炎が、そこに生まれる。
彼女が、それを手から放つと、室内に風が渦巻き始めた。
オーケストラの指揮のように、ロジューは風を操つり、部屋を元通りにしてゆく。
そして、最後に風は──この中暑季の夜の部屋を、涼しげに巡回し始めたのだ。
魔法エアコン。
空気を読めない景子の頭が、奇妙な造語を頭の中で巡らせてしまった。
「さて、と……」
ロジューが椅子に腰かけ、景子の方を振り返る。
「お前には……さっき見聞きしたことは忘れてもらう」
断固とした、声だった。
※
「わ、わ、わ、忘れるって!」
まさか、魔法で記憶を消されるとか!?
景子は、おろおろと周囲を見回した。
誰ひとりと、彼女を助けてくれる存在など、そこにはいなかったが。
「大きい声を出すな……こっちに来い」
扉のところに張り付いたままの景子を、ロジューは顎で呼び寄せようとする。
しかし、物騒なことを言われて、近づけるものではなかった。
そんな彼女の尻ごみした態度に、ロジューは苦々しげに顔をゆがめる。
「じゃあ……そのままでいい……何も答えずに聞け」
微かに声をひそめ、彼女は景子を呼び寄せることをあきらめたようだ。
「使われていたのは、魔法だ……その意味は分かるか?」
えーっと。
魔法、魔法。
アディマも使える、ロジューも使える、そしておそらく、イデアメリトスの長も使えるそれ。
そう。
要するに、魔法は──イデアメリトスの専売特許。
景子は、愕然とした。
ロジューの身内の誰かが、彼女を殺そうとしている、という事実を、やっと理解したのだ。
「祭の始まる時に、こんな話が外に漏れたらどうなる?」
ああ。
ああ、だから、ロジューは何でもないと言って、他の人間を追い出したのだ。
「だから、お前には忘れろと言っている」
唸りながら、ようやく彼女の話は完結した。
要するに、口どめしたいという話だったのだ。
「ええと……じゃあ、魔法で無理やり記憶を消す、とかじゃ……」
「そんな都合のいい魔法なぞ、ない」
想像力のたくましい娘だな。
ロジューは、放り投げるように言い放った。
ほぉっと、景子は肩の力を抜く。
だが、事態はそんなに悠長な事態ではない。
安心して彼女の側に近づきながらも、ただ黙っているのは逆に危ないのではないだろうかと心配していた。
「そう言えば……忘れさせる魔法はないが、狂わせる魔法や……いっそひとおもいに殺してしまう魔法ならあるぞ」
そんな彼女の暗い表情を見ながら、ロジューが物騒なことを言うものだから──景子は、もう一度後方へ逃げなければならなかった。




