ネイディは空気
☆
「まったく」
目を開けたら──ネイディが、こめかみに血管を浮かべていた。
あれ。
広く綺麗な天井。
柔らかい背中のクッション。
そろそろと起き上がると、自分がソファに横たわっているのが分かった。
「なんでそんなに無茶苦茶なんだ、お前は」
頭から湯気を出しながら、同僚は怒っている。
ああ、そうか。
そんな大目玉は、耳に入ってこない。
ダイが刺されたと聞いて、そこで全ての力が抜けてぶっ倒れてしまったのだ。
ダイさん、大丈夫かな。
大きくて力強い、彼のことを思い出す。
少々のことでは、ビクともしない人に見えた。
しかし、刺された──そう言われたのだ。
怪我をしたでも、斬られたでもなく、刺されたと。
刃物が垂直に人の身体に入る、という意味の言葉。
その感触を、疑似体験してしまった景子は、ぶるっと身震いした。
手術なんて技術は、きっとない。
傷が、もし内臓を傷つけていたら。
ソファに座ったまま、景子は再びどんどん青くなっていった。
「お、おい……」
景子の異変に気づいたネイディが、説教をやめて近づいてくる。
そんな時。
ノッカーが鳴った。
「どうぞ」
ネイディは、即座に返事をする。
ノックを断る権利がないと、知っているかのように。
そういえば。
景子は、ぼんやりと扉の方へ視線を向けた。
そういえば。
ここは、どこ?
その答えは──扉の向こう。
「失礼するよ……」
金褐色の瞳が、そこにはあった。
※
「ア……ディマ」
信じられない声で、景子は彼を呼んだ。
空気の塊が、ひとつ大きな抵抗の後、自分の口から吐き出される。
ああ、と。
刺されていないと分かってはいたのに、こうして無事な姿を見た途端、心底安堵した自分がいたのだ。
高級な訪問者に、驚き戸惑っているネイディは、慌てたように部屋の端に逃げてゆく。
「大丈夫かい? ケイコ」
アディマは、鎮痛な瞳を彼女に向けてくる。
その瞳の深い翳りは、きっと事件のせいなのだろう。
あああああ。
恥ずかしさが、全身に押し寄せる。
彼は、景子になどかかずらっている暇などないのだ。
自分は何をしているのか。
余計に、心配を増やしてしまっただけではないか。
景子は。
急いでソファから足を下ろす。
そして、すっくと立ち上がろうとした。
のに。
かくんっと、膝が崩れそうになるではないか。
慌てて何かに捕まろうとして、そのままソファに逆戻りしてしまう。
「ケイコ!」
近づこうとするアディマを、彼女は何とか手を持ち上げて止める。
「だ、大丈夫! 私は大丈夫だから……」
大丈夫じゃないのは、アディマだし、ダイだ。
情けない自分を、景子は心底恥ずかしく思った。
そんな彼が。
薄く、薄く微笑んだ。
「ダイエルファンなら……大丈夫だよ」
その言葉を。
景子は、全身で噛み締めた。
何も考えられなかったし、何も言葉に出来なかった。
ただただ。
涙が出た。
「何もかも……大丈夫だよ」
側に近づいてきたアディマが、優しく頭を抱いてくれる影で、景子はぼたぼたと涙を落とすので精一杯だった。




