よくやった
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「我が君……」
ちくっと、隣からリサーから一言飛んでくる。
ああ。
アディマは、気づいた。
どうやら、我知らず笑みをおさえきれなかったようだ。
「はぁ……そろそろ諦めて下さっていると思ったのですが」
太陽に申し訳ないとでもいうかのように、彼は足もとに視線を落とす。
「ケイコは、元気そうだったな」
さらりと、リサーの言葉を受け流した。
同僚と一緒だったため、ゆっくり話せなかったのが残念だ。
「はぁ……」
元気であることさえ、リサーにとっては気鬱なようだ。
彼はケイコが邪魔だからといって、抹殺を企てるような人間ではない。
そこだけは、助かっている。
だから、どんなに耳の痛い話をされたとしても、リサーに彼女の話を振れるのだ。
遠くに、都と隣領の間を巡回する兵士らしき姿を見ながら、アディマは口うるさいが、今後一生頼りにする従者について考えていた。
旅立つ前、家柄と性格から選んだのが、リサードリエックだった。
ブエルタリアメリー家の長男で、アディマの小姓的な役割を担っていた一人だ。
どの貴族も、イデアメリトスの覚えをめでたいものにしたいと、子供のうちからお側付きとして差し出すのである。
リサーは、特に勉学に励んでいた。
そして、決して向いてはいないというのに、剣術も学んだ。
学術肌で、慎重な性格の男だった。
そして、何より。
アディマに自分の意見をぶつけてくるのは──彼だけだったのである。
腹の立つことも、不快な思いをしたこともあった。
しかし、最終的にリサーを選んだのだ。
それが、一番自分のためになると思った。
近づいてきた巡回の兵士が、足を止める。
彼は路肩によけ、こちらを探るように見ていた。
怪しい者ではないか、確認しているのだろう。
髪の長いリサーがいるから、問題なく通れるだろう。
そう、思っていた。
※
「待たれよ」
その兵士は、アディマ一行を呼び止めた。
「この道で不審な男に、何人かが斬りつけられる事件が起きている」
重々しい口調で、言葉を吐く。
そんな事件が?
アディマは、表情を曇らせた。
ここは、巡回も厳しい都からの道だ。
そんなところで、人斬りとは。
「そのため、剣を持つ者に、いくつか質問をさせてもらっている」
リサーは、ちらっとアディマを横目にで見た。
どうしますか?
そう、彼は聞いているのだ。
さっさと身分を明かして、先を進もうと考えているのかもしれない。
アディマは、首を小さく横に振った。
兵士も、仕事でやっているのだ。
問題がないと分かれば、すぐに通してくれるだろう。
「そこの大きな男」
一番最初に呼ばれたのは、ダイだった。
当然な順序だろう。
髪も短く、力も強そうで、更に剣をさげているのだから。
ダイは、ゆっくりと兵士の方へと進み出た。
刹那。
ダイの背中の下側に、何かが飛び出した。
長細い──刃。
血が、その切っ先からしたたる。
「……!」
瞬間的に、リサーの背がアディマをかばった。
その肩越しに見る景色の中。
ダイは。
倒れなかった。
その大きな両手で、兵士の両肩を砕くほどに強く握り上げたのだ。
相手は、その手から逃れ、細長い剣を引き抜こうと必死で暴れた。
その度に、ダイの背中から血が噴き出す。
だが。
ダイは、男を自分から離さなかった。
そうしていれば、決してアディマに害が及ぶことはないのだとでも言うかのように。
※
迂闊だった。
誰もが、ありえないと思っていた。
あのダイですら、完全に油断をしていたのである。
だが、誰が彼を責められよう。
兵士然とした態度に不自然なところはなかったし、警備の厳しい街道であったし、なにより──太陽の昇っている間のことだった。
逆に言えば。
今回のアディマの旅路を、最後の最後で死に物狂いで失敗に終わらせようと思っていた、執念深い人間がいたということである。
太陽のある時間でも、もはや構わぬ、と。
最初にダイを選んだのは、一番屈強な人間を、まず使い物にならなくしようと考えたのだろう。
ダイさえつぶしてしまえれば、残りの人間など倒せるという自信があったに違いない。
だから、彼が最初に狙われ、だまし討ちされたのだ。
だが。
ダイにも、執念があった。
自分の身体に剣を突き刺したまま、男を決して離さなかったのだ。
リサーが、その賊を捕えようとした時。
男は、唇から血を流して死んだ。
おそらく、毒を仕込んでいたのだろう。
「もういいぞ」
リサーが、男が事切れたのを確認した後、ダイにそう言った。
しかし、彼はまだ男の肩を掴んで釣り上げたままで。
顔は痛みと怒りで深い皺をいくつも刻み、歯をぎりぎりと食いしばっている。
激痛と感情の昂りで、周囲の声が耳に入っていないのだろう。
「もういい……ダイエルファン」
アディマは、その頼もしくも大きな身体に近づき、腕を触れた。
どさり。
盛り上がるほどだった腕の筋肉が解かれ、屍は地に落ちる。
「シャンデルデルバータ……町に戻って、領主の助けを借りてきてくれるか?」
リサーが、てきぱきと指示を出している。
ダイは、まだ倒れない。
「もうし……わけ……ありません」
腹に刃を刺したまま、荒い息も絶え絶えにダイは、己の失態を悔いるのだ。
言うべき言葉は、たったひとつしか浮かばなかった。
「よくやった」
ダイは、ようやく崩れるように膝を折った。




