ネジぎれ
☆
ケーコ。
そんな、たどたどしい呼び方でも、相手に自分の名を伝えることが出来た。
その事実に、彼女はとても喜んだ。
そうなると次は。
自分の胸にあてた手のひらを、今度は子供ならざる者へと向けるのである。
あなたは、と。
不思議な不思議な猫目石のような瞳を持つ、子供のようで子供でないもの。
何か、特別な人であることしか、景子には分からないのだ。
子供ならざる者は、自分の胸に手のひらをあて、微かに首を傾けた。
自分の名前を聞いているのか。
そう、聞き返しているように感じた。
こくりと、彼女が頷く。
だが。
「──……」
その唇が、何かを発しようとした時。
ようやく落ち着いてきた女性が、二人のやりとりを見て、それを止めようとする。
剣で辺りを警戒していた男さえも、慌てて鞘に収めて割って入ってくるではないか。
何か、悪いことを聞いたのだろうか。
ただ、名前を聞いただけなんだけど。
違うことと誤解されたのかもと思い、景子はしょんぼりとしながら三人のやりとりを見ていた。
子供ならざる者は。
軽く首を横に振って、彼らの干渉をやめさせると、景子の方をまっすぐに見るのだ。
「アディマバラディム……──」
長く、長く音は続いた。
な、長い。
彼はもしかして、正式な名前を名乗っているのかもしれない。
景子のように名前だけではなく。
困った。
同じように復唱する自信がない。
こんなことなら、自分も苗字まで名乗っておけばよかったと、すっとぼけたことを考えていた。
あーあーあーあー。
景子の戸惑いを見取ったらしい相手が、もう一度繰り返す。
やはり、途中から覚えられない。
「あ……アディマ?」
それが、精一杯だった。
※
「菊さん!」
二人が戻ってきた姿を見て、景子は驚いた。
大きな男の人に、おぶわれて帰ってきたからだ。
どこか怪我をしたか、それとももっと最悪なことが起きたのか。
とにかく、二人とも血まみれで。
無傷なんて、考えられなかったのだ。
彼女は駆け寄りたかったが、梅を寄りかからせているために、大きく動くことは出来なかった。
景子が一生懸命伸びをして、男の背中を見ようとするものだから、彼はわざわざ近づいてきて、膝を折って背を彼女の方へと向けてくれた。
菊は。
「すぅ……すぅ……」
穏やかに寝息を立てていた。
ね、寝てる!?
その事実に、景子は唖然とした。
戦いで疲れたとか、そういう解釈が出来ないではないのだが、こんな環境でいきなり眠れるなんて。
どれだけ胆が太いのかと、驚いてしまったのだ。
となると。
この環境で、まともに起きている日本人は、自分だけということで。
さっきまでと、まったく状況が変わっていないことに気づく。
「───」
大きな男が、背に菊をおぶったまま、子供ならざるもの──アディマに語りかける。
それに、小さな顎がこくりと頷いた。
もう一人の男を呼んで、アディマが指示を出す。
彼は、素早く景子の方へと近づいて来た。
な、なに!?
あわあわしている彼女をよそに、彼は梅の身体を景子から引き受けたのだ。
着物姿の梅を、おぶいにくそうにしつつも、彼はなんとかその背に乗せる。
ああ、そうか。
彼らは、移動を開始しようとしているのだ。
こんなところに、いつまでもいるワケには、いかないのだろう。
梅と菊をおぶわれてしまっては、景子も一緒に行くしかない。
それ以前に、行くあてなど何もないのだが。
立ち上がろうとした彼女の前に、手が差し伸べられる。
アディマだった。




