師弟旅
△
菊の目に、狂いはなかった。
アルテン自身が、手入れのされていない剣そのもののような存在で、手入れし、鍛えれば鍛えるほど、しなやかに美しく輝くのだ。
たとえ、その顔が泥に汚れ、沢山の傷を皮膚に刻んで行こうとも。
最初は、ただただ反抗的だったアルテンが、毎日鍛錬し、瞑想し、自分の振るう小剣へ信頼と愛着を増やしてゆくごとに、菊に対して態度が変わってきた。
そして、心身の基礎鍛錬にメドがついてから、共に捧櫛の神殿へと旅を始めたのだ。
代わりに、アルテンから言葉を習った。
頭のいい男でもあった。
まさに、精神さえ問題がなければ、文武両道の鑑として慕われていただろう。
山で獣を仕留め、それを持ってたどりついた村で、一晩の宿を乞う。
景子の恩恵を受けた村のルートを通っていたので、その同行者であった菊は歓迎された。
おかげで、村長の家に泊めてもらえる手はずとなる。
性別をあえて明らかにしていないので、アルテンと同室にされるが、菊はもはや何の心配もしていなかった。
その、夜のこと。
菊は、反射的にベッドから飛び起きていた。
そのまま、隣のベッドのアルテンの掛布をひっぱがす。
驚いて、彼は跳ね起きた。
「キク!?」
「何か来る……剣を取れ。村長……起こせ」
既に、菊は腰に定兼を差して、寝室の扉を開ける。
詳しい説明を、彼女は言葉では出来ない。
とりあえず、後方のことをアルテンに任せ、菊は表へと出た。
夜の村に、明かりなどない。
ただ、ひたすらに真っ暗な中──遠くに複数の気配があった。
それは、猛々しい気を隠し切っていない。
気配におびえたのか、どこかで家畜がいなないた。
10人、いるかいないか。
盗賊か?
品の悪い気配を舌先で舐めながら、菊はそちらの方へと歩み出したのだった。
※
ああ、疲れた。
菊は、ゆっくりと脇の大きな石に腰掛ける。
命のやりとりを、実践でしっかり身体に叩き込んだものの、決して楽なものではない。
疲労感は、相変わらずだ。
アルテンも、近くでぜいぜいと息をしながら膝をついている。
後半、彼も戦いに加わったのだ。
そんな二人を遠巻きに、たいまつを持った村人が見ている。
自警団なのだろう。
それぞれ、農具を武器代わりに手にしていた。
盗賊は、11人。
本気で、乱暴狼藉を働きに来たと思われる装備と人数だ。
何を積んで行く気だったのか、荷車まで持参していた。
「すまない……」
村人の間から出てきたのは、前にも会った行商人の男だ。
雰囲気が違ったので、菊にはすぐには分からなかった。
「おそらく、オレを狙っていたんだろう。まいたはずだったが……本当にすまなかった」
ああ。
そして、雰囲気の違う理由が分かった。
頭に、長い布を縛り付けていなかったからだ。
その代わりにあるものは──綺麗にそりあげられた頭だった。
この世界に来て、初めて見る坊主頭だ。
飛び起きてきたせいで、布を縛りつける時間もなかった、というところか。
別の家に、宿泊していたのだろう。
潔い男だな。
頭も、そして心も。
狙われていたことなど、黙っていれば分からないというのに。
「いや……ちょうど──だ。食料をたくさん盗みに来たのかもしれん」
収穫期、とでも言ったのだろうか。
まだまだ、菊にとって言葉は難しい。
村長は、行商人を慰めるように言った。
「ともあれ……皆無事で何よりだ……あんたらには礼を言わねばならんな」
村長の言葉の向こう側から、行商人がこちらをまっすぐに見ている。
清めていないため、鞘から出したままの定兼の刃を──目に焼き付けているように思えた。
※
「もしや、テイタッドレック卿のご子息ではありませんか?」
翌朝。
改めてアルテンを見て、行商人の男がそう問いかけてきた。
既に、頭にはしっかりと布を縛り付けている。
一瞬、アルテンは菊を見た。
言っていいかどうか、許可を取っている気がして、苦笑してしまう。
そんな質問に、いちいち許可を取らなくていいと。
「ああ……捧櫛の神殿へ旅をしている」
抑えた声。
菊は、その声をよく聞くために目を閉じた。
声に、心は混ざる。
荒れてはいないか。
くさってはいないか。
心を作るのは、とてもとても時間がかかるものだ。
「二十歳には……なられていましたよね?」
行商人の男の声も、耳に入る。
高い身分の者と話しているので、丁寧な言葉を使っているが、言葉のひとつひとつは探る響きを持っている。
腑に落ちない、という気配だ。
「ああ……」
そこで。
気配が、動いた。
行商人が質問をやめ、菊を見ている気がする。
目を開けて、彼をまっすぐに見つめ返す。
「あなたは……何者ですか?」
視線は、菊の目と──定兼へ。
「菊」
答える言葉など、彼女にはそれしかない。
自分にとって、一番美しいと思う音。
「イエンタラスー夫人に、縁のある方です」
アルテンが、補足を入れた。
しばらく、行商人は天を見上げて考え込む。
「ああ……あの風変わりな女性……」
記憶が合致したのか、その唇が小さく誰かのことを綴った。
菊は、笑った。
梅のことだ。




