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師弟旅

 菊の目に、狂いはなかった。


 アルテン自身が、手入れのされていない剣そのもののような存在で、手入れし、鍛えれば鍛えるほど、しなやかに美しく輝くのだ。


 たとえ、その顔が泥に汚れ、沢山の傷を皮膚に刻んで行こうとも。


 最初は、ただただ反抗的だったアルテンが、毎日鍛錬し、瞑想し、自分の振るう小剣へ信頼と愛着を増やしてゆくごとに、菊に対して態度が変わってきた。


 そして、心身の基礎鍛錬にメドがついてから、共に捧櫛の神殿へと旅を始めたのだ。


 代わりに、アルテンから言葉を習った。


 頭のいい男でもあった。


 まさに、精神さえ問題がなければ、文武両道の鑑として慕われていただろう。


 山で獣を仕留め、それを持ってたどりついた村で、一晩の宿を乞う。


 景子の恩恵を受けた村のルートを通っていたので、その同行者であった菊は歓迎された。


 おかげで、村長の家に泊めてもらえる手はずとなる。


 性別をあえて明らかにしていないので、アルテンと同室にされるが、菊はもはや何の心配もしていなかった。


 その、夜のこと。


 菊は、反射的にベッドから飛び起きていた。


 そのまま、隣のベッドのアルテンの掛布をひっぱがす。


 驚いて、彼は跳ね起きた。


「キク!?」


「何か来る……剣を取れ。村長……起こせ」


 既に、菊は腰に定兼を差して、寝室の扉を開ける。


 詳しい説明を、彼女は言葉では出来ない。


 とりあえず、後方のことをアルテンに任せ、菊は表へと出た。


 夜の村に、明かりなどない。


 ただ、ひたすらに真っ暗な中──遠くに複数の気配があった。


 それは、猛々しい気を隠し切っていない。


 気配におびえたのか、どこかで家畜がいなないた。


 10人、いるかいないか。


 盗賊か?


 品の悪い気配を舌先で舐めながら、菊はそちらの方へと歩み出したのだった。



 ※



 ああ、疲れた。


 菊は、ゆっくりと脇の大きな石に腰掛ける。


 命のやりとりを、実践でしっかり身体に叩き込んだものの、決して楽なものではない。


 疲労感は、相変わらずだ。


 アルテンも、近くでぜいぜいと息をしながら膝をついている。


 後半、彼も戦いに加わったのだ。


 そんな二人を遠巻きに、たいまつを持った村人が見ている。


 自警団なのだろう。


 それぞれ、農具を武器代わりに手にしていた。


 盗賊は、11人。


 本気で、乱暴狼藉を働きに来たと思われる装備と人数だ。


 何を積んで行く気だったのか、荷車まで持参していた。


「すまない……」


 村人の間から出てきたのは、前にも会った行商人の男だ。


 雰囲気が違ったので、菊にはすぐには分からなかった。


「おそらく、オレを狙っていたんだろう。まいたはずだったが……本当にすまなかった」


 ああ。


 そして、雰囲気の違う理由が分かった。


 頭に、長い布を縛り付けていなかったからだ。


 その代わりにあるものは──綺麗にそりあげられた頭だった。


 この世界に来て、初めて見る坊主頭だ。


 飛び起きてきたせいで、布を縛りつける時間もなかった、というところか。


 別の家に、宿泊していたのだろう。


 潔い男だな。


 頭も、そして心も。


 狙われていたことなど、黙っていれば分からないというのに。


「いや……ちょうど──だ。食料をたくさん盗みに来たのかもしれん」


 収穫期、とでも言ったのだろうか。


 まだまだ、菊にとって言葉は難しい。


 村長は、行商人を慰めるように言った。


「ともあれ……皆無事で何よりだ……あんたらには礼を言わねばならんな」


 村長の言葉の向こう側から、行商人がこちらをまっすぐに見ている。


 清めていないため、鞘から出したままの定兼の刃を──目に焼き付けているように思えた。



 ※



「もしや、テイタッドレック卿のご子息ではありませんか?」


 翌朝。


 改めてアルテンを見て、行商人の男がそう問いかけてきた。


 既に、頭にはしっかりと布を縛り付けている。


 一瞬、アルテンは菊を見た。


 言っていいかどうか、許可を取っている気がして、苦笑してしまう。


 そんな質問に、いちいち許可を取らなくていいと。


「ああ……捧櫛の神殿へ旅をしている」


 抑えた声。


 菊は、その声をよく聞くために目を閉じた。


 声に、心は混ざる。


 荒れてはいないか。


 くさってはいないか。


 心を作るのは、とてもとても時間がかかるものだ。


「二十歳には……なられていましたよね?」


 行商人の男の声も、耳に入る。


 高い身分の者と話しているので、丁寧な言葉を使っているが、言葉のひとつひとつは探る響きを持っている。


 腑に落ちない、という気配だ。


「ああ……」


 そこで。


 気配が、動いた。


 行商人が質問をやめ、菊を見ている気がする。


 目を開けて、彼をまっすぐに見つめ返す。


「あなたは……何者ですか?」


 視線は、菊の目と──定兼へ。


「菊」


 答える言葉など、彼女にはそれしかない。


 自分にとって、一番美しいと思う音。


「イエンタラスー夫人に、縁のある方です」


 アルテンが、補足を入れた。


 しばらく、行商人は天を見上げて考え込む。


「ああ……あの風変わりな女性……」


 記憶が合致したのか、その唇が小さく誰かのことを綴った。


 菊は、笑った。


 梅のことだ。



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