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第3話 グラント大佐

グレイヘイブン港に戻って4日目、本修理の3日目だった。


 第3・第4区画の本格溶接が終わり、防水試験を前日クリアしていた。残るは塗装と外装の確認だけだ。堂島は艦底の点検記録を書きながら、次の哨戒任務までに終わる計算をしていた。


 艦橋から伝声管が鳴った。


 「港口方向に艦影。3隻。ヴァランシア旗」


 柴田の声だった。平坦だったが、微かに速い。


 堂島は記録を置いた。塗装と外装の確認は、まだ終わっていなかった。



 港の外に出ると、水平線に3隻の艦影があった。


 先頭の艦が大きい。Mk.IIIの収束リングが4段。イーグルポイント型だと反射的にわかった。Mk.IIIの最大射程は12000。蒼嵐のMk.IIは8000。距離が3000詰まるまで、蒼嵐は撃てない。


 川端が艦橋に立っていた。双眼鏡を下ろして柴田を見た。


 「修理の状況は?」


 「外装未完了。塗装未実施。出港可能です」


 「出港する」


 「艦長」と上級士官が言った。「修理中の艦での交戦は」


 「交戦するとは言っていない。動く」


 蒼嵐はゆっくりと岸壁を離れた。



 港口を出ると、北風が来た。


 ヴァランシアの3隻が針路を変えた。こちらに向かってくる。距離12000。有効射程の端だ。


 最初の砲撃はそこから来た。


 轟音。海面に水柱が上がった。外れた。川端が回避機動を指示した。蒼嵐が左に振れた。2発目が来た。外れた。


 3発目は外れなかった。


 左舷艦橋直下に着弾した。音より先に衝撃が来た。床が跳ね上がり、堂島は壁に叩きつけられた。艦橋の窓が割れた。川端が柱に手をついて立っていた。傾斜計の針が動いていく。10度、20度、30度。


 止まらない。


 35度。40度。


 「浸水報告」と川端が言った。


 「左舷第2区画・第3区画に浸水。炉心室への経路、警戒水位に達しています」


 40度。先週修理した第3区画は今回の被弾から守られた。しかし隣の第2区画が新たに裂けた。点検で描いた地図が頭の中で開く。第2区画から炉心室への経路は、傾斜40度で開く設計だ。今は39度。1度の余裕しかない。


 「退艦を」と士官が言った。


 川端は答えなかった。堂島を見た。


 「時間をください。3分」


 「何をする?」


 「まだわかりません」


 川端の目が傾斜計に動いた。39度。それから堂島を見た。


 「3分だ」



 堂島は走った。


 第2区画への通路を駆け下りる。40度の傾斜の中を走るのは、壁を床にして走るようなものだ。大沼が後ろについてきた。


 第2区画の扉を開けると、水が来た。足首だ。流入はまだ少ない。


 懐中電灯で壁を照らした。艦首寄りの左舷壁。鋼板そのものが内側に押されて割れている。Mk.IIIの衝撃波の跡だ。幅20センチ。パッチが効く形ではない。変形した鋼板には密着しない。


 残り2分。


 点検で書いた地図をもう一度開く。この区画の前方にバラストタンクが2基ある。水を入れれば艦首が沈む。艦首が沈めば左傾きに前傾が加わる。傾斜の方向が変われば、炉心室への経路の角度が変わる。


 数字が合う。


 「バラストタンク7番、今すぐ満水にしてください」と大沼に言った。


 「艦首が沈む」


 「左の傾きを前の傾きで相殺します」


 大沼は1秒だけ止まった。煙草の欠片を噛んだ。「弁はどこだ」


 「艦首区画の右壁の赤いハンドルです」


 大沼が走った。


 堂島は裂け目の前に立った。防水布を変形した鋼板の凹みに押し込んだ。完全には塞がらない。速度が落ちる。それだけでいい。


 水が増えている。足首から脛になった。


 残り1分。


 「タンク7番、注水開始」と大沼の声が来た。


 艦の揺れの周期が変わった。前傾の重さが加わった。左舷への傾きが、ごくわずかに向きを変えていく。壁に貼りついていた水が艦首方向に流れ始めた。


 炉心室への経路が閉じているか。確認する手段がない。閉じていれば通報が来ない。


 通話管は鳴らなかった。


 1秒。5秒。10秒。


 鳴らなかった。


 堂島は防水布を押さえたまま、その沈黙を数えていた。30秒。まだ鳴らない。



 艦橋に戻ると、川端が待っていた。


 「炉心室への経路は閉じています。ただし第2区画の浸水は止まっていません。次弾が来れば終わります」


 「撃たれない方法は?」


 堂島は海図を見た。北方辺境のこの海域に岩礁帯がある。霧と浅瀬が重なる場所だ。大型艦は喫水が深くて入れない。蒼嵐なら入れる可能性がある。


 「沈む振りをします」


 川端が堂島を見た。


 「この艦は今、40度から立ち直ったばかりです。外から見れば今にも沈みそうに見えます。黒煙を出しながら岩礁帯に向かえば、敵は追わないでしょう。座礁して沈む艦を追う理由がないですから」


 「煙は?」


 「三島さんに頼めます」


 川端は海図を4秒見た。岩礁帯の位置を確認した。


 「やれ」



 黒煙が上がった。


 蒼嵐の後部から黒い煙が流れ出して、北風に乗って海面を這った。速力を落とした。艦体をわずかに右に傾けた。沈みかけた艦の動きを作った。


 「水深8メートルのライン、蒼嵐の喫水は6.2メートル。入れます」と柴田が言った。「ただし1.8メートルの余裕しかありません」


 川端は答えなかった。「入れ」とだけ言った。


 ヴァランシアの3隻が止まった。イーグルポイントが砲を向けたまま、撃たなかった。距離が開いていく。蒼嵐は霧の中に入った。


 霧の中を進んだ。柴田が海図と睨めっこしながら舵手に指示を出し続けた。左3度、右2度、そのまま。岩礁が霧の中に浮かんでは消えた。水深計の針が上下した。何度か艦底が擦れた。その音のたびに堂島は第2区画の浸水速度を計算した。今の速度なら、炉心室への経路が開く前に港に戻れる。


 霧の端に出たとき、ヴァランシアの艦影はなかった。


 堂島はそのとき初めて、自分が何を使ったのかを整理した。


 弱さだった。


 沈みかけているという事実を、そのまま使った。32年間、艦を浮かせることだけを考えてきた。今日初めて、沈みかけた姿を作ることを考えた。この艦が古くて傷だらけであることが、今日だけは武器になった。



 第2区画の本格修理を始めたのは、霧を抜けてから2時間後だった。


 変形した鋼板を内側から叩き直す。大沼が金槌で押した。堂島が外から当板を当てた。1センチずつ平面に戻していく。汐が資材を運んでいた。無言で動いていた。先週より動き方が迷いなくなっていた。


 修理が終わったのは深夜だった。



 通路を歩いていると、鋼花がいた。


 機関室の近くの壁に背を預けて立っていた。腰から下が濡れていた。第2区画の水位と同じ高さだ。先週の肘より高い。白い服の腰から下が、暗い色に変わっていた。


 堂島は立ち止まった。


 「また助かりました」と言いかけて、止まった。


 鋼花の顔が先週と違った。拒絶ではなかった。疲れていた。43年間、何度も繰り返してきた何かが、また繰り返されたという顔だった。


 「……もう、いい」と鋼花は言った。声が低かった。「退艦させてほしい」


 堂島は鋼花を見た。濡れた服を見た。腰まで浸かった水の高さを見た。


 手のひらを壁に当てた。鋼材の感触が伝わってくる。


 「諦めるのはあなたじゃない」


 鋼花は答えなかった。堂島を見ていた。何かを確かめるような目だった。


 堂島は壁から手を離さなかった。


 しばらく2人がそこにいた。鋼花の目が少し動いた。それから前を向いた。何も言わずに消えた。


 堂島は壁に手を当てたまま残った。


 今夜は叩かなかった。手を当てているだけでよかった。それが何を意味するのか、まだ言葉にできなかった。



 同じ夜、蒼嵐から北西30海里の海域で、イーグルポイントは停泊していた。


 グラント大佐は艦橋に1人残って海図を見ていた。蒼嵐が消えた岩礁帯の位置に指を置いた。


 沈んだか。


 わからなかった。


 蒼嵐の行動を頭の中で並べた。魔導魚雷の後に浮いていた。Mk.IIIの直撃の後に浮いていた。40度の傾斜から立ち直った。黒煙を出しながら岩礁帯に向かった。


 最後の動きだけが、他と違った。


 沈みかけた艦は岩礁帯に向かわない。しかし逃げる艦が岩礁帯に向かえば、追う艦は止まる。


 グラントは海図から指を離した。


 「戦術だ」と言った。誰もいない艦橋で、確認するように言った。「あの艦には、戦術を考えている人間がいる」


 海図を閉じた。次の手を考え始めた。

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