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◆物語に従う者

 その日も、いつも通りの一日だった。異常を報せる警告灯が点いている以外は。


「……変ね」

「どうした?」


 隣で尋ねる彼に、わずかに苦笑を返して警告灯を指し示した。


「警報も鳴っていないのに、警告灯だけが点いているの」


 それは、世界が壊れかけているというよりも──壊れると知りながら、それでも歩みを止めない誰かがいるような表示だった。


 彼は紅い瞳を細めて、それから呟いた。


「……確かに変だな。機器の故障とも思えん」


 彼の声は低かった。『見覚えがある』異変を前にしたときの声音だった。

 視線を合わせて頷き合った。二人で手分けして、現在の世界で進行中の物語を調べる。


 『灰かぶり姫』『髪長姫』『かぐや姫』──いずれも進行状況、異常なし。

 ただひとつを除いて。


「座標N50E09、物語名『白雪姫』……どうして? だって物語は……」

「一見、正常に進んでいるな。しかし……警告灯はまだ消えていない。ということは、なんらかの異変が起きているということだ」


 彼の言葉が緊張をはらむ。観測室の中央にある巨大観測装置は白雪姫の物語をホログラムとして多層的に映し出していた。


 狩人によって森の中に連れ出された幼い白雪姫は、狩人をまったく警戒していなかった。それよりもむしろ──。


 白雪姫は、狩人の刃を見ていなかった。彼女が見ていたのは、自分の胸元だった。まるで、そこに来るはずの『終わり』を待っているかのように。


(まさか、この子……いや、でも、そんな……)


 まさか、という予感と、そんなことが起こるはずがないという常識の狭間で葛藤する。


 狩人は結局、白雪姫を殺せなかった。白雪姫に逃げるよう伝え、森の中に置き去りにする。

 森に残された白雪姫は七人の小人たちと出会い、生活をともにするようになった。


 白雪姫の命を狙う母親の王妃は物売りに化け、小人の留守を狙っては、腰紐や毒の櫛を売りつけて、あの手この手で白雪姫を始末しようとする。

 そのたびに、小人たちの機転で白雪姫は危機を脱していた。


「ちょっとは疑いなさいよ……」

「白雪姫が疑ったら、物語が正常に進まないだろう」


 彼の指摘はもっともだった。だが、そういう意味ではないのだ。予定調和すぎる。ここまで続けば、さすがに気づいてもおかしくないというのに。


「それはそうなんだけど……なんというか物語がスムーズに進みすぎている気がして……」

「……お前の勘は当たるからな。気にはしておく」


 今度は林檎売りに化けた王妃は、毒林檎を白雪姫に手渡した。白雪姫は囁くように呟いた。


『次は、これなのね』


 白雪姫はなんの疑いもない素振りで林檎を齧り、その場で静かに倒れた。


「……ねぇ。今の、聞こえた?」


 尋ねると、彼はその秀麗な顔を苦々しげに歪めていた。


「あぁ……白雪姫は『自分の死』という物語に気づいていた。そのうえで、物語に従ったんだ」

「いったいどうして……」


 彼は首を横に振った。


「……わからん。それこそ本人に尋ねてみないことには」


 やがて仕事から帰ってきた小人たちは、倒れた白雪姫を見つけた。あらゆる手を尽くしても、今度は蘇生することはない。

 悲しみに暮れた彼らは、白雪姫を硝子の棺に入れて喪に服した。

 不思議なことに、白雪姫は腐敗することもなく、ただ眠り続けているだけのようだった。


「ねぇ……」

「なんだ?」

「もしかして、今なら白雪姫の夢の中に入れるんじゃないかしら?」

「馬鹿を言うな。死者の夢に侵入するつもりか? そのまま戻ってこられなくなるぞ」


 思わず目を見開いた彼に、縋るように続けた。


「だって……まるで眠ってるみたいに見えるわ。これって本当に『死んで』いるの?」

「……わからん。仮死状態なのかもしれん」

「だったら、なおさら……」

「不可能な話ではない。どちらにしても危険なことに変わりはないが」


 迷いは数瞬。心が決まるのは早かった。


「……わかった、私が行く。幸い『夢渡り』の術も習得したし、一人ででも行ってこれるわ」


 しかし、提案は間髪入れずに却下された。


「駄目だ」

「どうして?」


 彼が返答に詰まる。紅い瞳と視線が絡んだ。彼は、はぁ、と深いため息をつくと、諦めたように口を開いた。


「どうしてもというのなら、私も行く。お前を一人で行かせるつもりはない」

「……わかった」


 彼はソファに腰をおろすと、その隣を手で示した。示された場所に座ると、彼は懐に手を入れた。


 懐からアンティークな懐中時計を取り出した彼の左手に、自分の右手を重ねる。同時に『夢渡り』の術式を展開し、時計の音がひと際大きく響いたとき、二人の意識は途切れたのだった。



 気がつくと暗闇の中にいた。だが、前回の夢渡りと違い、今度は右手が温かい。視線を向ければ、彼の左手としっかりつながっていた。


 暗闇のなかでも、彼の銀色の髪と白皙の肌はほのかに発光しているかのようで、そんな場合ではないのに一瞬見惚れてしまった。


「大丈夫か?」

「……うん。どうやら成功したみたいね」


 時計の秒針の進む音が、ある一定の方向から聞こえてくる。


「こっちだ」


 手を引かれたまま暗闇を歩く。時計の音がどんどん近づいてくる。やがて視界に飛び込んできたのは。


「林檎……?」


 クロスのかかったテーブルの皿に置かれた真っ赤な林檎だった。


「……綺麗な赤ね」


 そう呟いた瞬間だった。


『お姉さんもそう思う?』


 突然声がしたかと思うと、テーブルクロスの中から黒髪の少女が顔を覗かせたではないか。


『わたしたち、気が合うわね』

「白雪姫……」


 黒檀の髪、雪白の肌、血赤の唇。先ほどまでホログラムで見ていた白雪姫だった。


「……私たちを見ても、驚かないのね」


 そう言えば、姫は大人びた表情で苦笑した。


『なんとなく気づいていたもの。この世界が決められた筋書き通りに進む物語なら、それを観ている人がいるんじゃないかって』


 お兄さんとお姉さんみたいに綺麗な人たちとは思わなかったけどね。姫の言葉に、胸が痛んだ。


『あなたたちは、神様なの?』


 白雪姫の問いに答えたのは彼だった。


「違う。私たちは『観測者』だ。その神とかいうクソッタレに選ばれた、世界の観測と調律を義務づけられた元人間だ」

「……」


 彼の口が悪くなっている。この分では神とやらへの積年の鬱憤が溜まっていそうだ、とため息混じりに思った。


『……クソッタレね。お兄さん、なかなか言うじゃない』


 復唱した姫に、思わず天を仰ぐ。余計な言葉を教えるんじゃない。


 気を取り直して、姫に尋ねる。


「そこまで気づいていたのに……どうして貴女は物語に従ったの?」


 物語に従えば、白雪姫を待ち受けるのは死だ。それも実の母親によってもたらされる死。避けようとは思わなかったのだろうか。


『なぜ? うーん、なぜ、かぁ……なぜだろう。理屈じゃないのよ。だって、わたしが物語に逆らったら、世界が歪んでしまうような気がして』

「!」


 白雪姫は真実、世界の構造に気づいていた。


『お母様にしてもね、あの人は、わたしを殺したかったわけじゃないの。ただ、わたしがいない世界が欲しかっただけ。自分が壊れたくなかっただけなのよ』


 あの人も可哀想な人なの。淡々とそう告げる白雪姫は歳に似合わず老成していた。


『あなたたちだって、同じじゃない』

「え……?」


 サファイアのような澄んだ瞳に見つめられて、思わずドキッとした。


『物語を知っていて、変えようと思えば、いくらでも変えられるのに、ただ観ているだけなんでしょう? ほら、わたしたち、お揃いね』


 とっさになにも答えられなかった。時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。


 沈黙に耐えられなくなって、口を開いた。


「……その通りね。反論の余地もないわ」

『そうでしょう? わたしとあなたたちは、同じ穴のムジナってわけ』


 そのどこか嬉しそうな様子に、わずかな違和感を覚える。これではまるで。


「貴女も……寂しかったのね」

『……!』


 白雪姫の表情が初めて強張った。それは図星を指された者の変化で。


「物語の中に身を置きつつ、それを自覚する者は少ない。我々のようにな」


 彼が静かに口を挟んだ。そう。それはこの場にいる全員が経験済みだった。つまり──。


「お前には『観測者』になれる資質が備わっている、ということだ」

『!?』


 姫の顔に驚愕の色が浮かぶ。彼は淡々と続きを口にした。


「強制はしない。自分で選ぶがいい」


 幼い子供になんて無慈悲な、と思わないでもなかったが、こればかりは彼の言う通りだった。


 だが、驚くことに姫は微笑んで答えた。


『……やめとく。永遠に生きて、世界を管理し続けるなんて、話聞いてるだけでつらそうだもの』

「白雪姫……」


 その言葉は穏やかで、胸がキュッと苦しくなった。


『あなたたちみたいな『仲間』がいたってわかったから……わたしはそれで充分よ』


 だから、もう寂しくなんかないわ。そう強がる少女に、駄目だとわかっていても感情移入してしまう。


「ねぇ、白雪姫。その……もし嫌じゃなければ、抱きしめてもいいかしら?」

『!』


 白雪姫の頬が林檎のように真っ赤に染まった。次いで、年相応にオロオロして、それから両手を広げてくれた。


 彼とつないでいた手を解き、膝をついて両手を伸ばし、小さな身体をひしと抱きしめる。いい子、いい子と片手で頭を撫でながら、耳元で囁いた。


「じゃあ、お姉さんと約束してちょうだい。こちらに来るも来ないも、貴女の好きにしていい。でもね……もし次に生きるチャンスがあったなら……生きて必ず幸せになるって、約束して?」

『──!』


 信じられない、とばかりに目を見開いた白雪姫に、微笑んで告げる。


「貴女はもう充分、つらい運命に耐えたわ。幸せな運命も、笑って受け入れられる強さがあるって、私は信じてる」


 最後にもう一度だけ、ギュッと小さな身体を抱きしめて、それからようやく身体を離した。祈りを込めて額に小さな口づけを贈る。


 白雪姫の頬はますます熟れた林檎のように赤くなった。それを微笑ましく思いながら、立ち上がって振り返ると、そこにはどこか不機嫌そうな顔をした彼がいた。


「どうかしたの?」

「いや……なんでもない」

「そう?」


 なんでもないと言うわりには、左手を突き出してきたので、お手をするようにポンと右手を重ねると、そのままギュッと手を握られた。

 どうやら間違いではなかったらしい。


『プッ……』


 たまらず吹き出したのは白雪姫だった。


『あはは……お兄さんとお姉さん、仲がいいのね』

「……まぁ、同じ穴のムジナだしね」


 白雪姫の言葉を思い出して呟くと、姫はさらに笑い転げた。


『お兄さんてば、ご愁傷さま〜』

「……うるさい」


 涙まで浮かべて笑っている白雪姫は、ようやく年相応に見えた。


 時計の秒針の音がひと際大きく響いた。



 目を開けると、そこは観測室だった。右手には温もりとともに硬い感触がある。アンティークの懐中時計だった。


「……ずいぶんと想像と違う姫だったな」


 どこか呆れたような口調で呟く彼に、苦笑を返す。


「仕方ないわ。まだあれで七歳なんだもの」

「は……?」


 どうやら彼は白雪姫の実年齢に気づいていなかったらしい。男性は女性の年齢に疎いとはよく聞く話だが、彼も例外ではなかったということか。


 部屋の中央の巨大観測装置は、物語の続きを示していた。


 通りかかった若き王子は硝子の棺で眠る白雪姫をひと目見るなり気に入って、硝子の棺から抱き起こす。その拍子に白雪姫は喉に詰まっていた毒林檎の欠片を吐き出し、息を吹き返した。

 蘇生した白雪姫に王子は喜び、自分の国に連れ帰り、やがて妻として迎えるのだった。


「めでたしめでたし、ね」

「……ふん」


 彼はつまらなさそうに鼻を鳴らした。警告灯のランプはいつの間にか消えていた。


「そういえば、さっきはどうして機嫌が悪かったの?」

「……」


 彼は答えない。仕方がないので、懐中時計を挟んでつながった手を持ち上げて、彼の手の甲に小さな口づけを贈った。


「一緒に来てくれてありがとう。お疲れ様」


 その行為に、彼は思わずといった様子で目を丸くして、それから手を振り解き、勢いよくそっぽを向いた。


「誰にでも、そういうことをするんじゃない」


 聞こえてきたのは、囁くようなかすかな声だった。


「……嫌だったなら、謝るわ」

「誰も嫌とは言ってない」


 今度は即答だった。謎すぎる反応に戸惑いながらも、嫌でなかったのなら別に構わないのかと思い直した。


「……素直じゃないのね」

「うるさい」


 彼の語彙力がなくなるときは、照れているときだとすでに知っている。


 二人の間には穏やかな時間が流れていた。

2026/01/22

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