第6話 河原少年花吹雪
河原を無我夢中で駆けていく。数分ほど走り続け、ようやく「賽の河原」が遠くなったところで、一度、後ろを振り返った。
「賽の河原のすぐ側に、せっかく橋があったのに……パニックで反対側まで来ちゃったよ」
肩で息をしながら、寄り添うロボ塚くんに苦笑いを見せる。
「でも、今はあそこに戻る勇気がない。狸は、おれの中でトラウマになってるんだ。気づいたら逃げ出してた。いつか、心が落ち着いたら謝りに行かないとな」
河川敷は低い位置にあり、両側は小高い丘のようになっていた。改めて自分が渡りそびれた、龍ノ國へと繋がる橋の構造を見上げる。
川を挟んでこちら側は、「鵺の森」が広がる薄暗い世界。向こう側は光溢れる「龍ノ國」だ。橋は高い位置にあり、森の縁から対岸へと伸びている。
「どっちみち、また鵺の森に足を踏み入れないと橋は渡れなかったってことか」
戻ればまた鵺に襲われることだろう。ロボ塚くんは翠雨の首根っこをくわえて飛ぼうとしている。しかし翠雨の体はびくともしない。
「ロボ塚、ありがとう。いいよ、無理しなくて……何か別の手があるはずだ」
河川敷をさらに進むと、古びた地図看板が現れた。賽の河原の対岸、川を越えて階段を登った先に建てられていた、あの宿の名が記されている。
【 肝試しの宿・納涼 】
[野生の鵺を間近でウォッチング。賽の河原で子供の霊を目撃できるかもしれません]
「不謹慎だっちゃ……」
翠雨は悔しそうに顔をしかめた。
「おれは貧乏でもいいから、人の悲しみを理解出来る大人になりたい」
翠雨が向かっている先は、煙突が立ち並ぶ工業地帯のような場所だった。夜だというのに煌々とした明かりが灯っている。
看板には、その街の名が記されていた。
【 芸能の街・河原地区 】
桜の花びらが風に乗って一気に降り注いだ。翠雨は舞台に立つ一流役者のように美しく佇んでいる。
「芸能の、街……?」
海へと続く静かな街並みは、河原地区の反対方向にあった。
「治安が悪そうな方に、来ちゃったってことか……」
目の前の川には絶えず、多くの船が行き交っている。翠雨はロボ塚くんを抱きしめ、決意を固めた。
「そうだ……ひとまず向こう岸に渡りさえすれば、あとはどうにでもなる」
翠雨はロボ塚くんをわざと「可哀想な雰囲気」に見せ、川に向かってヒッチハイクの手を上げた。ロボ塚くんは可愛らしいポーズを決め、上目遣いをしている。
すると、高級車を思わせる、黒塗りの船が猛スピードで近づいてきた。
船べりから身を乗り出し、こちらを見下ろしているのは、翠雨よりもずっと幼い子供たちだ。
「見て、お父様! 本物の【河原者】だよ!」
「うわあ、本当に物乞いしてる! ほら、プレゼントをあげるよ」
あざ笑う声とともに、生ゴミやガラクタが投げ込まれた。ふと、地図看板に目を向けると、【河原地区】という文字の横に【区別地区】という蔑称が落書きされているのが見えた。
「ブサイクな家畜まで飼ってるぞ、汚いなあ!」
着飾った親たちも、一緒になって笑っている。船はそのまま、翠雨とロボ塚くんに冷たい泥水をはね上げて去っていった。
「なんてこと言うんだよ! ロボ塚は優しくて可愛いっちゃ!」
翠雨が叫ぶと、ロボ塚くんも負けじと声を震わせた。去りゆく船を睨みつけている。
『ニンニク、食ったダロ!!!』
「……それ、久々に聞いたな』
翠雨は優しくロボ塚くんの頭を撫でた。
古びたモーター音が接近してくる。
今度はボロボロの小さな木造船が静かに着岸した。翠雨は俯いたまま、顔を上げることが出来ずにいた。
「また『河原者』っていじめられるのかな……そもそも、河原者ってなんだよ……」
聞き覚えのある、穏やかな初老男性の声が飛び込んでくる。
「こんな場所に一人でおったら危ないよ。おじさんは【河原地区】へ向かう途中なんや。君の行き先はどこや?」
翠雨とロボ塚くんは顔を見合わせ、心底ほっとした表情を浮かべた。
視界の端で、地図看板に記された「芸能」の文字が満月の光を反射して輝いている。
【 芸能の街・河原地区 】
ボロボロになった、自分の華やかな着物を見つめる。翠雨はまっすぐ顔を上げた。
「おれも河原地区……【芸能の街】までお願いします」




