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第4話 スイウNOママ

「お母さん、ただいまー!」

 翠雨(すいう)は狭い玄関でボロボロのスニーカーを脱いだ。

 玄関の前には廊下が続いており、奥の部屋からはテレビの音が聞こえている。


 翠雨は音のする部屋へと歩みを進めた。廊下には人が殴ったような大きな穴がいくつも開いている。

 彼は、ガラス製の引き扉をガラガラと開けた。


「お母さん、ただいま!」

 この部屋は、王階家(きみしなけ)のキッチンだ。脂ぎったテーブルの上で頬杖をつく母親の姿があった。茶色い汚れが付いた小型テレビを眺めている。

 彼女は翠雨から目を逸らすと、聞こえるようにため息をついた。

 

 翠雨はランドセルの中から数十枚の藁半紙(わらばんし)を取り出す。そして、今出来る限りのとびきりの笑顔を母親に見せた。


「新作のギャグ漫画を描いたんだ!

 タイトルは【姥捨(うばす)(がわ)】……姥捨て山のパロディなんだ!」


 沈黙が空間を支配していく。


「ねぇお母さん、【姥捨(うばす)(やま)】って知ってる? 年老いた家族を山に捨てる昔話なんだよ」

   

 彼女は一切目を合わせようとはしない。

 翠雨は人懐っこく話を続けた。


「おれが描いた【姥捨て川】は、お婆さんが三途の川に捨てられちゃう話なんだ。川を渡ろうか迷ってる時に、何者かに背中を押されてドボン! 溺れているうちに、三途の川の底にある秘密の街に迷い込むんだよ!」


 空気が凍りついていく。


「お母さん、【三途(さんず)(かわ)】って知ってる? 仏教の世界では、この川を渡ることであの世へ渡ると考えられているんだよ。渡ろうとした際に、引き返して助かった、という臨死体験を語る者もいる……テレビで転生寺(てんしょうじ)リンネが言うとった!」


 生と死の狭間を描いた、とてもダークな世界観のギャグ漫画だ。

 絵のクオリティもプロ級であった。


「……」

 母親は翠雨を睨みつけるとテーブルから立ち上がった。彼女の後ろ姿を小さな身体で追いかける。冷蔵庫の前に佇む背中に、話しかけ続けた。


「おれが描いた【姥捨て川】に出てくる三途の川の底には、ネオンが輝く繁華街があってね、そこでナンバーワンのキャバ嬢になったら元の世界に戻れるっていう決まりがあるんだ……全部おれの空想だけど。それで、お婆さんは本気になって自分磨きを始めて……」


 母親は話を遮るように、冷蔵庫からモヤシのパックを取り出した。無言で翠雨へと差し出す。

「お母さん……なにこれ?」

「夕飯」

「………はんとは言わんよ、かさ増し食材だっちゃ」

「無いよりマシでしょ?」

 彼女はひとこと告げるとキッチンから出ていってしまった。


 翠雨は、ギャグ漫画【姥捨て川】をランドセルの中へ笑顔でしまい込んだ。その瞳は不安定に揺らいでいる。


 彼は母親のモノマネをしながら一人で笑い始めた。

「無いよりマシでしょ……お母さんは嘘をつく時、いつもより鼻声になる」

 区別が付かないほどソックリな声を出している。

「何も買ってもらえないからモノマネだけ上手くなってきたな……おれだってゲーム機が欲しいのに」


 テレビを垂れ流したまま、2人分のモヤシサラダを作りあげていく。味付けは塩のみだ。

 それを百均ブランドのプラスチック皿へと盛り付けた。


 夕方のニュース番組からは、男性コメンテーターの感情的な声が聞こえていた。


『毒親であっても子供は親を愛しているケースが多い。自分の親の異常さに気づくことは難しいんですよ。やはりご近所さん、学校の先生。そういった大人たちが……』


 翠雨はテレビ越しに、コメンテーターを睨みつけた。すぐさま電源を切る。

「余計なお世話だっちゃ……」


 テーブルには母親が食べたコンビニおにぎりのゴミが置かれたままになっていた。翠雨の分は無いようだ。ヒョイと拾い上げ、ゴミ箱へと捨てる。


 彼はランドセルを背負うと、モヤシサラダを両手に持った。


 向かった先は、この家の裏口だ。




 







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