第1話 鵺の森(挿絵あり)
視界が真っ白な光に包まれると、紙芝居のように景色が切り替わった。冷たく揺らぐ海は、もう何処にも見当たらない。足元から伝わってきたのは、野花が根を張る大地の感触だ。
翠雨は満天の星空のもと山奥に立っていた。吹き抜けた春の夜風が頬を撫で去っていく。
「ここは、何処なんだろう……転生寺が言ってた、次のステージなのか?」
隣に浮かぶ「お掃除ロボ・ロボ塚くん」は、翠雨の姿を凝視したまま石のように固まっている。
龍の鱗を飲み込んで得た、自在に空を舞う能力は、この世界でも健在のようだ。
「なんだよ、ロボ塚……そんなにおれの顔が可笑しいか?」
(ロボ塚くんから見た翠雨)
問いかけた自分の声が鈴の音のように響く。
ふと視線を落とした翠雨は絶句した。
溶怪会の正装・ピンク色のワンピースではなく、花の刺繍が施された桃色の着物を着せられていたのだ。装飾品でまとめられた髪は女性のように長く、そして、この世の物とは思えないほど美しかった。
「……身体は、男のままだ」
顔立ちも背格好も翠雨そのものだが、鏡を見るまでもなく、今の自分が「女形役者」のような風貌であることは理解できた。
「なんで、この格好なんだよ……でも、他に着る服もないしなぁ」
翠雨は星空を見上げながら、不安そうにロボ塚くんを抱き寄せた。フワフワした毛並みを撫でながら呟く。
「お前がいてくれて助かった。おれが知っている夜とソックリなんだ……おれにはトラウマの夜がある」
子狸の死骸が蘇った。桜の花びらを供え、奥底へと埋めた春だ。
見上げた空が、あの日の孤独と重なる。
かつて父親に連れられ、毒入りのボトルを握りしめたまま見た……冷たい星空。
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『農家さん達が小動物に田畑を荒らされて困っている。ほら、翠雨がヒーローになれるチャンスだ……早く毒薬を撒いてしまえ、山に置いていくぞ』
わざとらしいため息が聞こえてくる。
『本当に置いていくからな? 困るのはお前だよ』
父親の言葉に震えながら撒いた粉末状の毒は、残酷にも輝いて見えた。翌朝そこにあったのは、横たわる子狸の死骸だった。
その日から支配が始まったのだ。
『そうか……殺してしまったか』
他人事のような、どこか嬉しそうな口調だった。
『俺は冗談で言っただけなんだけどなぁ……人に言われたからって、動物を殺したら犯罪だよ。お前は犯罪者だ』
父親は自分の秘密も翠雨へと打ち明けた。
初めて家族らしく微笑んでくれた。
『俺は怒っている時だけ、【翠雨】のことを【お前】と呼んでしまうんだ。名前があるのにな……』
父親の顔立ちは一流俳優のように整っていた。高身長でスタイルも良く、どこを切り取っても絵になる人物だ。
『いきなり怒られるのは怖かったろ? もう安心していいからな。【翠雨】と【お前】さえ聞き分けていれば、俺の機嫌を損ねることはない。【お前】と言われた時点で、態度を改めればいいんだから! これからもよろしくな、翠雨』
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父親の機嫌を損ねないよう演じ続けてきた日々。恐ろしい記憶の断片が、この森の空気には混ざっていた。
深く魅力のある声が脳裏に響く。
『あれは道端で轢かれていた個体だよ。お前にトラウマを植え付けるのに、絶好の素材だった』
子狸の死骸が再び、フラッシュバックした。
「……気が、狂いそうだっちゃ」
ロボ塚くんは声を震わせる翠雨に、優しく寄り添っている。何か言いたげにモゴモゴと口を動かしていた。
「やっぱり、妖怪図鑑に書いてある言葉しか話せないんだな。他にも色々な本を飲み込ませたら、もっと喋れるようになるのか?」
ロボ塚くんは真っ直ぐ翠雨を見つめた。
『爺面虫、婆面虫……I want you』
「だとしたら変な図鑑だなぁ……そのセリフはいつ出てくるんだ」
その時、十センチほどの小さな影が目の前を横切った。なにやら年配男性の声が、その方向から聞こえてくる。
ロボ塚くんが解説モードに切り替わった。
『爺面虫……ごきげんよう、とだけ挨拶をして去っていく人面虫妖怪。体は10センチほどの巨大なハエ、頭は、ちょんまげヘアーのお爺。魅力のある美少年にのみ寄っていくため、売れる役者を発掘する際に使用されていた歴史がある』
解説が終わると同時に、闇の奥から次々と爺面虫が姿を現し、翠雨の周りを取り囲んだ。現実逃避するように必死で目をそらす。
「やっぱり、これは夢だ……悪い夢だっちゃ……覚めろ、覚めてくれ」
「ごきげんよう」
顔を上げると、爺面虫たちは紳士的に一定の距離を置いたまま会釈だけしていた。翠雨は腰を抜かし、地面を這うように後ずさった。
視線の先には、野焼きの燃えカスのような灰が散らばっている。焼け焦げた匂いのする白い欠片が落ちていた。
「……人の、」
焼け残った、頭蓋骨の一部であった。
その瞬間、森の奥から鳥のようでも獣のようでもある悲しい奇声が聞こえてきた。正体不明の不気味な鳴き声が闇に吸い込まれていく。月明かりが差し込み、自分の影が怪物のように伸びていった。
「ロボ塚、逃げるぞっ!」
翠雨は軽やかに地を蹴り上げた。大量の爺面虫に追いかけられながら、暗い森を駆け抜ける。飛び散る汗は満月の光を浴びて宝石のように輝き、地面の砂埃と混ざり合いながら溶けていった。
「……うゎぁぁあっ?!」
翠雨は大きな叫び声を上げ、思わず立ちすくんだ。突然、頭上の枝から巨大な獣が飛び出してきたのだ。鋭い瞳がこちらを睨みつけている。
ロボ塚くんが震えながら解説を読み上げた。
『鵺……夜中に悲しい奇声を上げて、皇帝を悩ませた正体不明の妖怪。その姿は、頭が猿、胴体がタヌキ。手足が虎、そして尾が蛇という異形の……』
「解説はいい……た、頼むから、護身術を教えてくれっちゃ」
翠雨とロボ塚くんは抱き合ったまま固まっている。気づけば周囲は何匹もの鵺に包囲されていた。
「どうしたらいいんだよ……今日が、おれの命日か?」
『ぽ〜う……忍ポポポゥ……』
ロボ塚くんは『ぽぅぽぅ』と音を漏らすだけだ。
その時、翠雨に群がっていた大量の爺面虫たちが円陣を組み始めた。決意を固めたように、合言葉を口にする。
「「「ごきげんよう!!!」」」
翠雨の盾となるべく、一斉に鵺への特攻を開始したのだ。
「守って……くれるのか?」
ロボ塚くんは爺面虫に関する豆知識まで読み上げていく。
『討死した武将の垢から発生した妖怪。武将の小姓が持ち帰り、育てたことが始まり。爺面虫は戦を見ると自ら参戦する』
爺面虫たちは、最後に緑色の液体を噴射しながら火照った顔で全滅した。液体から湧き出した爺面虫の幼虫達は、産声を上げながら何処かへ跳ね飛んで行った。
「……鵺を怒らせちゃったよ!!!」
一番大きな鵺が、翠雨の喉元を目掛けて牙を剥き、飛びかかってくる。
ロボ塚くんが翠雨を庇おうとした、その時だ。
——パァンッ!!
耳を塞ぎたくなるような、乾いた銃声が響いた。次々と鵺がその場に倒れ込んでいく。どれも急所を一撃で撃ち抜かれ、静かに息絶えていた。辺りには人間と同じ、赤い色をした血痕が散らばっていた。
凛とした言葉が翠雨に振りかかる。
「鵺の森には、近寄らないほうがいい」
背後から少年に声を掛けられたのだ。
翠雨は動揺した様子でゆっくりと後ろを振り返った。涙を潤ませ、その名を呼ぶ。
「……リュウ!」
第二章【リュウと雨】……
第2話「翠雨の秘密」では、父親が翠雨に施した洗脳の全貌が描かれています。




