第13話 恋の予感
柚子の案内で、三人は商店街にあるファッションセンターへと向かった。
雨も雪も降らないこの街にアーケードは必要ないようだ。頭上には科学的な大空が広がっている。
道中、雑貨屋のショーケースの前で翠雨と遊楽の足が止まった。新作が並ぶ中で、二人が見つめていたのは同じペンケースだ。小動物と花の刺繍が施されたそのデザインは、柚子のワンピースに描かれた彼女の「好き」と重なっていた。
先頭を行く柚子が不思議そうに振り返ると、翠雨と遊楽はすぐさま歩き出した。彼らは目で合図を送り合い、にこやかに頷く。柚子に渡すプレゼントが決まったようだ。
目的の店に到着すると、遊楽が一言だけ言い残して背を向けた。
「自分はセンスが無いから、ロボ塚くんの着せ替えは二人で選んでくれ……その間に、ロボ塚くんの髭剃りを買ってくるよ」
柚子に渡すプレゼントを買いに行くための、彼らしい建前だった。翠雨と柚子は大きく手を振り、センター街へ消える遊楽を見送った。
それにしても、きらびやかな店内だ。
天井から吊るされたシャンデリアは、クリスタルに見えるが、透明なゴム素材で作られているらしい。「溶怪会安全基準」を満たしている旨の説明書きが、壁には貼られていた。
翠雨と柚子が談笑する明るい声が響いている。
試着室の鏡の前で、ロボ塚くんは「ウサ耳」を装着させられたまま固まっていた。彼の四十センチほどの体高に対し、ウサ耳は約二十センチ……そこへ袋を抱えた遊楽が戻ってきた。
「お兄ちゃん、これ、どうかな? ロボ塚くんの着せ替えシリーズで一番人気なんだって!」
「遊楽くんも、可愛いと思わない? お洋服より、イメージチェンジ出来るよね」
翠雨と柚子から澄んだ瞳で見上げられた遊楽は、引きつった顔で小さく呟いた。
「耳が……長すぎんか?」
「えっ? お兄ちゃん、今なんて言った? 声が小さくて聞こえなかった!」
遊楽の言葉を聞き返そうとする翠雨。柚子は、その隣で満面の笑みを浮かべている。
「……いや、似合っとるぞ」
翠雨と遊楽の溶怪会ポイントを合算し、ロボ塚くんのウサ耳を購入した。
店内は日用品や書籍まで揃う複合施設だった。出口へ向かう際、遊楽の目が一角に釘付けになる。そこには溶怪会音楽団が監修した「溶怪会はちみつのど飴」が並べられていた。
「薬品に精通した溶怪会が作ったのど飴か……歌の役に立ちそうだな。だが、今は持ち合わせが……」
翠雨はその隣の分厚い「妖怪図鑑」を眺めている。
「ヒバイヒ〜ンさんから貰った妖怪図鑑の本編はこれか! おれが持ってるダイジェスト版より面白そうだなぁ」
諦めて店を出た二人に、柚子が急いだ様子で声をかけた。
「私、買い忘れたものがあって……少しだけ待ってて!」
「そこ、段差があるから気をつけて」
遊楽の一言で、柚子は転ばずに済んだ。彼女は潤んだ瞳で遊楽を見上げると、店内へと消えていった。
戻ってきた柚子の両手には、それぞれ二人が欲しがっていた「妖怪図鑑」と「溶怪会のど飴」が抱えられていた。
「……なんだか、申し訳ないな。買ってほしくて口に出したような流れになってしまった。そんなつもりはなくて」
恐縮する遊楽を見て、柚子は不思議そうに首を傾げている。
「あれ……あんまり、だったかな……?」
翠雨が明るく割って入った。
「柚子さん、ありがとう! 柚子さんと仲良くなれて、おれらは幸せだっちゃ! お兄ちゃん……柚子さんは、おれらに喜んでほしくて買ってくれんだよ。申し訳なさそうにするより、お礼を言おうよ」
柚子が同意するように頷いた。その穏やかな表情を見た遊楽は、初めて子供らしい本音を漏らした。
「お金より大切なものを、柚子さんからたくさん貰いました。でも、溶怪会のど飴に関しては……正直、どうしても欲しかったので嬉しいです」
遊楽を見上げる柚子の視線は、翠雨に対する子犬を愛でるような眼差しとは異なっていた。顔も少しだけ赤くなっている。
「甘酸っぱいっちゃ〜! やっとお兄ちゃんの時代が来たか……」
翠雨と遊楽は計画していたプレゼント、刺繍が入った新作のペンケースを柚子に手渡した。思わぬ贈り物に喜ぶ彼女の姿に、場がほっこりと和む。だが、帰りの時間は刻一刻と迫っていた。溶怪会ウォッチを眺めながら、翠雨は独り言のように呟いた。
「おれ、ちょっとロボ塚くんから鱗を取り出してくるよ……二人の邪魔をしたくないし」
柚子が赤面した。遊楽は動揺を誤魔化すために目をそらしている。
「……翠雨、一人で大丈夫か?」
「おれは強くなったんだ、もう大丈夫! 柚子ちゃん、妖怪図鑑……大切にするね!」
翠雨は図鑑とロボ塚くんを抱え、遊楽から手渡された髭剃りを持った。人工の陽光が降り注ぐ麒麟センター街の奥へと、一直線に向かう。
人混みを掻き分けていくと、広場の中央、待ち合わせ場所と化した一体の銅像が翠雨の視界に入った。翠雨は、雷に打たれたような顔で足を止める。
【 麒麟王 】
「ひい爺ちゃんに、ソックリだっちゃ……」
彼は台座に刻まれた【麒麟王】のプロフィールを読み進めていった。偽物の空に浮かぶ太陽が、翠雨と銅像の横顔を神々しく照らしている。
【麒麟王……今から約千年前、後継者争いに負け、左遷ヶ島に流刑された皇帝家の皇子】
その人生は悲しみに染まっていた。
翠雨は、歴史の荒波に消えた麒麟王に同情の目を向けている。
「階級社会を無くそうとして反感を買ったって書かれとるな。特権階級の人たちからしたら邪魔者だったんだ。自分たちが良い思いを出来なくなるから……悪いことをしていないのに左遷ヶ島に流されたってことか」
不意に、世界から音が消えたような錯覚に陥っていく。プロフィールの末尾に記された「王階溶怪」の四文字が、彼の思考を真っ白に染めたのだ。
【流刑された麒麟王は、左遷ヶ島にて「王階」の姓を賜る。今から約六百年前、麒麟王の直系子孫として誕生したのが、溶怪会創始者、「王階溶怪」である】
地下の閉塞感を打ち破るような、涼やかな風が吹いた。翠雨の背中を押すように通り過ぎていく。
「王階家は元々……皇帝家の血筋だったんだ」
翠雨はこの衝撃を落ち着かせるために、腕の中にある金の毛並みをそっと撫でた。ロボ塚くんに淡々と語りかける。
「おれのお父さんは、麒麟王っていう立派な人の子孫なのに、物凄く残酷な人間だっちゃ……血筋って、全く当てにならんな」
台座に刻まれた「麒麟王」の文字が、この街の光を反射して輝いている。翠雨は一瞬だけ、誇らしげな笑みを浮かべた。
「でも、差別を無くそうとした王様がおれの先祖なのは、ちょっと嬉しいな」
翠雨は小さな公園の公衆トイレに入ると、ロボ塚くんの髭を綺麗に剃り落とした。鏡の前には、長すぎるウサ耳をつけたロボ塚くんと翠雨が並んでいる。
「お兄ちゃんと柚子さん、なんだかお似合いだったな……おれも、彼女が欲しくなってきた」
鏡に映る翠雨の顔立ちは、女の子が憧れるような愛らしいパーツをすべて持ち合わせていた。髪型さえ整えれば美少女に見える容姿をしていたのだ。
「おれの場合……どちらかと言うと彼氏ができそうな見た目だよな。どうやったら男らしくなれるんだろう。リュウみたいなツリ目になるとか?」
リュウを真似て鏡を睨みつけ、輪郭をシャープに見せようと手で押さえる。
「おれは、将来どんな大人になるんだろう。売れっ子芸能人になれたとしても、女の子みたいっていじられ続けるのかな? 【男らしくなりたい】なんてメディアで嘆いてたくせに、結局イケメン彼氏が出来たりして……そしたら世間の笑い者だ。後世まで語り継がれるだろうな」
その時、腕の中で沈黙を貫いていたロボ塚くんが、突如として激しく頭を振り回した。プレゼントされたウサ耳パーツを必死で振り解こうとしている姿に見えた。翠雨の制止を振り切り、宙に浮かびながら逃げ出してしまったのだ。人目を避けるように路地裏へと消えていく。
「おい、ロボ塚! 約束と違うぞ! 金の鱗を返してくれっちゃ!」
その様子を目撃していた女性二人組から、無邪気な噂話が聞こえてきた。
「なんだろう……さっきの、金色の物体」
「ロボ塚くんの形をした風船でしょ? 今朝も飛んでいるのを見たわ」
「へぇ……そんなんだ! まぁ、地下帝国にいれば、そういうこともあるよね!」
この街の人々は、目の前の異変を疑う回路を失っているようだ。彼女たちが陶酔したように深く息を吸い込む音が聞こえてくる。
「今日も、空気がおいしいね」
風に混ざった微かな薬品の匂いに、感情も思考も溶かされてしまったのだろうか。
翠雨は薄暗い路地裏へと飛び込んだ。雑に積み上げられたごみ箱や、血管のように張り巡らされた配管には【鵺】のスプレーアートが、牙を剥くような筆致で殴り書きされている。
ようやくロボ塚くんの体を抱きとめた時、そこは重たい霧が立ち込める、冷え切った街並みに変わっていた。
「どのくらい走ったんだろう」
ロボ塚くんも堪忍したように「ぽぅぽぅ」と鳴いている。
「……ん? なんだ、コレ」
陰った足元に、純白のハンカチが落ちていたのだ。左遷ヶ島処刑場跡で「憂,永遠」が差し出してきたものと、全く同じハンカチであった。
「憂,永遠……?!」
さらにその先、暗がりに光り輝く細い糸を見つけた。拾い上げると、それは一本の「金の抜け毛」であった。永伝寺で会ったリュウの広い額が思い起こされる。
『俺の家系は代々、三十歳でハゲる運命なんだ。ハゲ散らかってきたら坊主にする習わしがある』
あの言葉も浮かんだ。
『早期発見は予防に繋がる。でもハゲはどうにもならない。ゆえに予め断言しておく……俺がいずれ、ハゲることを』
「……リュウ!?」
霧の向こう側には、不気味な文字が浮かび上がっている。
【 溶怪会研究所 】
飾り気のない巨大なビルが、地下帝国を静かに見下ろしていた。




