第11話 柚子の花言葉
仕事場に向かう入会員たちが続々と去っていく中、翠雨と遊楽は挨拶を交わしながら彼らを見送っていた。
「喉が渇いたっちゃ〜」
翠雨の呟きに、赤の溶怪会ウォッチをはめた、あの少女がすかさず反応する。
「飲み物を買ってくるね……待ってて」
彼女は大切そうに二人のサインが入ったハンカチをポケットにしまうと、集会室に設置された自販機へと歩みを進めた。階段を下りていく後ろ姿が遠ざかっていく。
「お兄ちゃんと同い年くらいかな? 名前はなんて言うんだろう」
翠雨が独り言をいうと、通りかかった女性入会員が足を止めた。
「あの子は柚子ちゃん、17歳……現幻当惑症でここにいる、気の毒な子よ」
遊楽の表情が一瞬だけ強張る。彼は小さな声でこの病名を口にした。
「現幻当惑症……現実と幻の境界が曖昧になり、当人が困惑する精神病ですね」
女性はゆっくりと頷いた。
「……そうよ。だからあの子の言うことは、みんな聞き流しているの。いい子なんだけど殆どが妄想話だから、あなたたちも彼女の言葉を鵜呑みにしちゃダメよ」
翠雨は不思議そうに反論を述べた。
「どうして妄想だと決めつけるの? 現実と幻が曖昧になったとしても、間違いばかり話すようになるわけじゃないと思う。きっと本当のことも」
「私のパパは国家の権力者だって言い張るのよ……どう考えても妄想よ。パパの名前を聞いても『名前は絶対に言わないってパパと約束したの。守り続ければ迎えに来てくれるから』って……結局、誰もあの子の本名すら知らないの。スーツを着た男性が全員パパに見えるみたいで、テレビの中の政治家にまで手を振ってしまうの」
翠雨の脳裏に昨日耳にした、ある問いが過ぎる。
『資金源はどうなっているんだ?』
遊楽が溶怪会会館の豪華な設備を見渡しながら呟いた言葉だ。
「あぁ、もうこんな時間。仕事仕事」
女性は会釈をして去っていった。
戻ってきた柚子が差し出したのは「無地の番茶」、贅沢ノンカフェインシリーズと記されたペットボトルだ。
「ありがとうございます! 高くて美味しいやつだっちゃ」
翠雨が喜ぶと、柚子は内緒話をするように小さな声で囁いた。
「みんなには内緒ね。お金はあるんだ……はい、お兄ちゃんの分」
「……ありがとうございます」
遊楽は感謝を述べてから、柚子に向けて自己紹介を始めた。
「申し遅れました。自分は遊楽と言います。こっちは弟の翠雨」
柚子は上品に目を細めて微笑み返してくれた。
「私は柚子。本当の名前は言えないの……ごめんね」
彼女の瞳は不安定に揺らいでいた。
遊楽はすかさず明るい話題を投げかける。
「柚子さんは、ピアノを弾くのがお好きなんですか? 入会員プログラムの時、プロのような手つきで電子ピアノを弾かれていましたよね。音は聞こえなかったけれど、印象に残っていて」
柚子の表情がパッと華やぐ。翠雨も身を乗り出して彼女に声を掛けた。
「おれも見たかったなぁ〜! あと、ワンピースに描き込まれた絵も凄く可愛いっちゃ! 自分で描いたんですか?」
すると柚子は嬉しそうに裾をつまんで見せた。
「本当は好きなお洋服が着たくて……小さな抵抗っていうのかな……毎朝書き足していったら、こうなったんだ」
しかし、ふと不安げに視線を落とす。彼女の話題は急展開を迎えた。
「でも、知り合いのお化けからは、ワンピースに落書きすることは辞めておいたほうが良いって注意されてるんだ。遊楽くんと翠雨くんは、どう思う? ……あぁ、言い忘れてた。私のお部屋には、ホタテの貝柱のお化けが大量に住み着いてるの。放っておいたら繁殖して、大家族になっちゃって……」
翠雨と遊楽の楽しげな笑い声が響き渡る。
「自分が思っていたお化けと違うぞ。繁殖するお化けもいるのか……大迷惑だな」
「絶対、柚子さんの味方だっちゃ! おれも会ってみたい」
遊楽に続いて翠雨も朗らかに彼女の話を肯定した。柚子は安心したような笑顔を見せている。
「そういえば、遊楽くんと翠雨くんはどうしてあんなにお歌が上手なの? 幼少期からの、英才教育?」
遊楽は自身が覆面ネットシンガー「詩王」であることを隠しながら丁寧に答えた。
「自分は日中、音楽機材が揃った近所のカラオケスナックで練習させてもらっています。オーナーのお爺さんと仲が良いんです」
「おれは親にかまってほしくてモノマネばっかりしてたら、声を聞いただけで歌い方のコツがわかるようになりました」
「そうなんだ……ずっと、歌い続けてほしいな。この街から応援してるからね! あと、私の方が年上だけどタメ口で話しかけてほしいな。お友達になれたみたいでそっちの方が嬉しいから」
柚子は満面の笑みを浮かべ瞳を輝かせている。彼女はふと、窓の外を見上げた。偽物の青空が広がっているだけだ。
翠雨は気になっていた事を尋ねる。
「柚子さんは、景色を見ることが好きなの? 溶怪会Barに来る前も空を見ていたよね」
柚子はキョトンとした顔で首を横に振った。
「金の長毛ロボ塚くんが空を飛んでいて、何処に行くのか気になったから、ずっと見ていたの……それだけ。金のロボ塚くんなんて初めて見たなぁ」
翠雨と遊楽は目を丸くして顔を見合わせた。
「き、金のロボ塚って……絶対にあいつだっちゃ……! 旅人の宿から逃げ出したんだ」
「ロボ塚くんの体内には、金の鱗が入ったままだ。これはまずいことになったぞ」
翠雨だけではなく遊楽の声まで揺らいでいる。
「……金の鱗?」
不思議そうにこちらを見つめる柚子へ翠雨は事の経緯を説明した。
「おれが大切にしていた金の鱗を、旅人の宿にいたロボ塚くんが飲み込んじゃったんだ……そしたら急に毛深くなって、空を飛ぶようになって……まるで、魔法にかかったみたいに!」
「おい、翠雨……これはきっと科学的な」
遊楽は腕を組んで考え込んでいる。柚子は翠雨の言葉を優しく受け止めた。
「それはきっと魔法だよ。宝物を取り戻しに行こう。地下帝国のことなら、私にまかせて」




