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第10話 ライバルの絆

 タカシの叔父と別れた後、翠雨(すいう)遊楽(ゆうら)溶怪会(ようかいかい)Barを目指して歩き出した。二階へと続く階段の踊り場で、二人は足を止め声を潜める。


「……ようやく合点がいったよ」

 遊楽が、重苦しい溜息混じりに切り出した。

溶怪会(ようかいかい)が、弱者だけではなく不貞を繰り返す者や犯罪者……つまり加害者側まで憑者(ひょうじゃ)として迎え入れる理由が……あれは、単に彼らを甘やかしている訳じゃない。被害者側が憎しみという毒に飲み込まれて、自分自身を崩壊させないためだ。憎むべき対象を『妖怪』という外部のせいにすれば、被害者の心を守ることにも繋がるからな」

 翠雨は複雑な表情で首を傾げた。

王階溶怪(きみしなようかい)は、本当に妖怪を信じていたのかな……なんだか、凄く性格の良い詐欺師みたいに思えてきた」 

「溶怪が生きた六百年前は、今よりも家柄や身分が重要とされていた時代だ。法で裁けないような『身分の高い者』を憎み続けて、人生の歩みが止まってしまった人々を、前へ進ませるための教えでもあったんだろうな」


 二階の廊下を進んでいた時のこと。窓の外を見つめている一人の少女が目についた。地下帝国に広がっているのは、スクリーン製の天井に映し出された偽物の青空だけだ。翠雨は足を止め、遊楽の袖を引き留めた。

「あの人……溶怪会の正装をアレンジしてるよ。本当はこのワンピースを着たくないんじゃないかな」


 遊楽と同い年くらいだろうか。溶怪会の正装、ピンク色のワンピースには手描きのイラストが描き込まれており、オシャレにアレンジされていた。彼女の溶怪会ウォッチは初めて見る【赤】だ。

 翠雨は不安げに声を落とす。


「どうして溶怪会ウォッチが赤なんだろう。おれらはすぐに帰れるから緑色だって説明されたよな。それ以外には黄色があるって聞いた……赤っていうことは、もしかして一生ここから出られないんじゃ」

 翠雨の呟きを遊楽が遮った。

「探るような真似は良くない。二階にいるって事は、溶怪会Barに来るかもしれんぞ。彼女に興味があるなら、そこで少し言葉を交わしてみたらいい」


 ふと見下ろした溶怪会ウォッチは開店時間の9時を表示していた。翠雨と遊楽は、重い二重扉を押し開き、薄暗い店内に足を踏み入れた。


 溶怪会Barの前方は立派なステージになっており、カウンター越しには、あの「十五股天才バンドマン」が立っている。小舟から見た金龍(こんりゅう)雨天祭(うてんさい)で一際上手に笛を奏でていた小柄な美形男性だ。ここでバーテンダーとして働いているらしい。


 昨日の光景がフラッシュバックした。

『あっ、あの人……テレビから消えた、十五股天才バンドマンだっちゃ!』

 地獄耳の彼だ。

『全部、目には見えない妖怪のせいなんだぁーー! 浮気したいと思ったことなんて一度もない! 取り憑かれていただけなんだよ! 一つ一つの恋は、本物だったんだ!」

 

 天才バンドマンは慣れた手つきでグラスを磨きながら、言い訳を語り始めた。翠雨のことを覚えていたようだ。

「十五股の件について、今ここで訂正させてほしい。1秒だけでいいから、僕の話を聞いておくれ……理由なく十五股した訳じゃないんだ」

「もう1秒経ったよ……」

 彼は人当たりが良さそうな柔らかい雰囲気を持っていた。


「曲が思い浮かぶ時期になると、どうしても脳のストッパーが利かなくなるんだよね。笑っちゃいけない場面で笑いが止まらなくなったり、金遣いも荒くなる……勢いのまま女の子にも手を出してしまった、というわけ。自分でも止められなくて、ずっと苦しかったんだ」

 彼はリズミカルに布を動かし、客に差し出すグラスを磨いている。カウンターに並べられている飲み物はノンカフェインとノンアルコールばかりだ。

「でも、溶怪会の教えに出会えて救われたよ。あれは僕のせいじゃなかった。目に見えない妖怪が、僕に取り憑いて暴れていただけなんだって気づけたんだ……ねぇ、僕の話を聞いて君の考えも変わっただろ?」


 バンドマンが顔を上げて微笑んだとき、そこには誰もいなかった。

 翠雨は入会員たちと談笑しながら奥のボックス席を選んでいる。

 天才バンドマンは穏やかな笑みを浮かべ、ドリンクの準備に取りかかった。

「ふふっ。楽しそうで何より」


 最初にデンモクを手に取ったのは、意外にも遊楽だった。翠雨がウキウキした顔で覗き込むと、遊楽が選んだ曲は女性ボーカルの切ないバラードだった。

「……おれがカラオケ大会で歌った曲だっちゃ! お兄ちゃんも歌うんだね」

「んなわけあるか……お前さんの美声を響かせてこい」

 遊楽はマイクを翠雨に突き出した。

「……はぁ?! 約束と違うやろ! おれは、お兄ちゃんの歌をみんなに聞かせたくて……」

 前奏が始まると、入会員たちから割れんばかりの声援が飛んできた。

「翠雨くん、がんばれー! お兄ちゃんはトリで登場か?」

 翠雨は慌てて遊楽の腕を引いたが、知らん顔で受け流された。

「あぁもう、分かったよ! まずはおれが歌う」

 腹を括った翠雨は、ソファに腰掛けたまま、語りかけるように歌い始めた。


 曇りのないクリスタルボイスが染み渡っていく。赤の溶怪会ウォッチをはめた少女が瞳を輝かせながら翠雨の歌声に耳を澄ませている。やはり彼女も入店していた。


 曲が終わった瞬間、会場は総立ちのスタンディングオベーションに包まれた。中には涙を浮かべ、祈るように手を合わせる中年女性もいる。

「翠雨くん、凄いよ……左遷ヶ島(させがしま)からスター誕生か!?」

 熱狂の渦の中、翠雨は丁寧にお辞儀をすると、遊楽にマイクを押し付けた。

「次はお兄ちゃんの番だっちゃ! こっそり十八番を予約しておいたよ」

「おい……自分は歌わんぞ」

 抵抗も虚しく、いつのまにか合流していたタカシの叔父に背中を押されて遊楽はステージに立った。前奏が流れ、拍手が沸き起こる。

「……くそ、こうなったら覚悟を決めるしかない」

 遊楽は目を閉じ、肺の奥まで空気を吸い込む。すると魂を削り出すような重厚な歌唱が始まった。


 翠雨の清涼感とは対照的な、深く厚みのある哀しげな歌声だ。聴く者の心臓を直接掴むような、祈りの儀式を見ているような歌声だった。どよめきが巻き起こる。


「あ……ありがとうございました……」

 遊楽が消え入りそうな声で結ぶと、雷鳴のような拍手が店内を揺らした。

「二人とも、今の採点を見てみよう! 100点が出るんじゃないか?」

 勝手に入れられていた精密採点の結果が発表された。


 先制の翠雨は……【99点】

「こんなに高得点が出るとは思わなかった! 嬉しいっちゃ」


 照れ笑いする翠雨に続き、緊張した面持ちの遊楽の得点が表示される。


 ……【92点】

 数字は意外にも伸びなかった。

「皆さんの期待に応えられなくて、申し訳ない……自分は音を外しやすくてな」

 そんな遊楽の肩を翠雨が優しく叩く。


「お兄ちゃんの歌声には、『心』がある。心は揺れ動くものだから、きっと点数にするのは難しいんだよ」

 翠雨はAI搭載のカラオケ機に向かって、いたずらっぽく笑いかけた。

「お前もまだまだやなぁ」

 遊楽は目を細め、翠雨の頭をポンと撫でた。十五股天才バンドマンからも温かい声が飛んできた。

「翠雨くんが言うとおり音程よりも心が大事だ……素晴らしかったよ! もし高音が半音下がることを気にしているなら口角を上げながら歌うと良い。そしたら下がりにくいよ」 

 遊楽と翠雨は顔を見合わせ瞳を輝かせている。二人がお礼を言うと彼は優しく微笑んでエールを送ってくれた。男女関係なく優しい人物であった。


 翠雨と遊楽は溶怪会Barで注目の的になっている。遠くのソファで中年男性と楽しそうにデュエットする翠雨を眺め、遊楽は独り言を漏らす。

「……本当、人たらしだよな。おれの弟は何者なんだ」 


 そこへタカシの叔父が、デンモクを持って近寄ってきた。

「遊楽くん、この曲も歌ってみてくれないか?」

 遊楽はデンモクの歌詞画面を確認し、短く答えた。

「知らない曲ですが……伴奏に合うメロディを即興でつけてもいいですか? 歌詞さえあれば、その場で歌えます」

「コードに合わせてメロディを紡ぐっていうのか? 遊楽くん、君、即興で作曲までできるのかい?!」

「はい……頑張ってみますね」


 隅のテーブルでは、赤の溶怪会ウォッチをはめたあの少女が、瞳を潤ませながら遊楽の歌声に聴き入っていた。


 遊楽の完璧な即興歌唱に耳を澄ませながら、翠雨は感嘆の声を漏らす。

「……本当、芸術家だよな。おれのお兄ちゃんは何者なんだ」

 

 奇跡のような時間が流れていった。閉店時間の11時を迎えたとき、溶怪会Barから出てくる人々の表情は、例外なく晴れ晴れとしていた。午前中の2時間しか営業していないホワイト企業らしい。


 二階の廊下、翠雨と遊楽の周りには人だかりができていた。口々に感謝を述べる人々の中に、赤の溶怪会ウォッチをはめた、例の少女もいた。

 彼女は震える手で花柄のハンカチを差し出す。

「二人に…歌手になってほしいです。私たちの代わりに、たくさんの人を勇気づけてほしくて……サインを、書いてくれませんか?」

 再び歓声が上がる。タカシの叔父も囃し立てた。

「きっとサインを貰えるのは今のうちだぞ! おれにも書いてくれっちゃ〜!」

 少女の瞳に宿った小さな希望の光。

 自分たちの歌が誰かの救いになるという現実を、二人は初めて肌で感じた。 


「芸能界か……少しだけ、興味が湧いたっちゃ」

「……悪いことばかりでは、なさそうだな」


 翠雨と遊楽は一言だけ言葉を交わすと、少女のハンカチに心を込めてペンを走らせた。

 少女の小さな声は、微かに弾んでいた。


「ありがとう、宝物にするね」

 



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