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第9話 偏見の盾

 プログラム終了後、翠雨と遊楽は小さく身を縮めて集会室の出口へと歩み寄った。

「……お兄ちゃん、名札をつけてなくて本当に良かった」 

 翠雨が胸をなで下ろしながら、小声で囁く。

「もしおれたちが、『王階溶怪(きみしなようかい)』の直系の子孫だってバレていたら面倒な事になっていたよ……高価(こうか)さんとタカシの叔父さんが黙っていてくれて、本当に助かった」

 遊楽は警戒を解かずに頷いた。

「今はただの迷い込んだ子供でいよう」

 

 深刻な顔で言葉を交わす翠雨と遊楽の元へ、タカシの叔父が歩み寄ってきた。

「この後、もし暇だったら『溶怪会(ようかいかい)Bar』においで! 僕が奢るよ」

「よ、溶怪会Bar?! 溶怪会にはBarもあるのか?」

 翠雨は目を丸くして驚きの声を上げた。

溶怪会(ようかいかい)公民館(こうみんかん)の二階にある物凄く楽しいお店だよ。音が苦手な人たちは先に帰るけれど、それ以外の入会員は大抵、そこで一遊びしてから地下帝国の仕事場へ向かうんだ」

 翠雨は興味津々といった様子で身を乗り出す。

「Barって、何があるんですか?」

「将棋、麻雀、カードゲーム……みんなこっそり賭けをして遊んでいるよ。ネットゲームだけはないけれど、何よりカラオケの音響が最高なんだ」

 翠雨の瞳が、パッと輝いた。

「お兄ちゃん、カラオケだって! おれのお兄ちゃん、物凄く歌がうまいんだよ……うまいなんてレベルじゃない、天才なんだ」

「翠雨……自分は音もよく外すし、何より歌っている時の姿が絵にならな……」

 タカシの叔父は驚いた顔で遊楽を見つめた。

「遊楽くんも歌がうまかったのか? 歌と言ったら翠雨くんだと思っていたよ。昔から島のカラオケ大会で無双していたイメージがあるからね」

 遊楽はそれには答えず、ただ静かに黙り込んでいた。


 そこへ、先ほど一緒に侍アニメを鑑賞した義足の老人が通りかかり、穏やかな声を掛けた。

「若い子のエネルギーは、僕らの力になる。よかったら、一曲聞かせてくれないか?」

 その言葉を皮切りに、周囲からも次々と声が上がる。

「そうだよ、誰かが活躍している姿を見ると、自分のことのように嬉しいんだ」

「知らない曲でもいい。君たちの声を、僕らに聴かせておくれよ」

 翠雨が遊楽の顔を覗き込んだ。

「お兄ちゃん、行こうよ! みんなも喜んでくれるよ」

「……分かった。みなさんが……喜んでくれるなら」

 温かな熱気に押されるようにして、翠雨と遊楽は、彼らと溶怪会Barで一遊びする約束をした。


 入会員たちが次々と集会室を後にし、Barのある二階へと消えていく。その背中を見送りながら、タカシの叔父は目を細めた。

「開店までまだ二十分ほどあるんだ。久々に会えたし、少しだけここで話さないか?」


 翠雨と遊楽はタカシの叔父と共に、空いた席に腰を下ろした。談笑が一段落したところで、翠雨はずっと気になっていた問いを投げかけた。

「タカシの叔父さんは、どうしてここで暮らすことになったの? 本土で学校の先生をしてたんだよね」

 タカシ叔父から笑顔が消えた。彼はハッとした様子ですぐさま口角を上げる。

「……仕事のストレスで心を病んで、働けなくなってしまったんだ。去年の秋からは本土のグループホームに入居する予定だった。福祉資格を持った職員さんが見守ってくれるメンタル障害者向けの施設だよ……新しく建設されると聞いて、ずっと待っていたんだ……でも」

 タカシの叔父の瞳が、悲しげに揺らいだ。

「地域住民からの反対でグループホームの計画が白紙になった。狂った人間たちが引っ越してきたら治安が悪化する……そういう噂が立ったんだ」

「そんな……タカシの叔父さんは誰かを傷つけるような人じゃないのに」

 タカシの叔父は優しく微笑んで話を繋いだ。

「グループホームは入居条件が厳しいから攻撃的な人は審査で落とされるんだ……でも、外の人たちから見れば僕らは一括りに『得体の知れない者』なんだよ」

 遊楽は翠雨の隣で、無言のまま彼の言葉を飲み込んでいた。タカシの叔父は自分の腕をまくる。

「まぁ……住民が不安になるのも仕方ないよ。僕もメンタル病院に入院しているとき、同室の患者から暴力を振るわれた……病んでしまったことで、言動を制御できなくなってしまう人も中にはいるんだ……当時の僕は、彼をどうしても許せなかった」

 腕には大きなアザが残っていた。

「でも、溶怪会の教えに出会えてから『彼ではなく、彼を操っていた妖怪が悪いんだ』と切り替えられるようになってね。相手を憎む代わりに、妖怪のせいにすることで、ようやく僕は他人を許せるようになった。人を憎むことが、どれだけ自分の時間とエネルギーを奪っていたか……そこで初めて知れたよ」

 タカシの叔父から、本音がこぼれ落ちていく。

「今は幸せだよ……僕は地下帝国で生涯を終えるつもりだ。ここでは誰も僕を弱者として見ない。僕はただ、運悪く妖怪に取り憑かれただけの普通の人間だからね……僕は、弱くないんだ」

 翠雨は俯きがちに頷いた。

「……そうだね、全部、妖怪のせいだっちゃ」

 タカシの叔父は笑顔を見せて立ち上がった。彼は切り替えるように背筋を伸ばして視線を上げる。


「……溶怪会Barで待ってるよ。二十分後に開店だから、忘れずにね」

 


 


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