第8話 忍法法人・溶怪会
十分間の休憩時間が終わると、ヒバイヒ〜ン☆高価がパチンと手を叩いた。
「では皆さん、溶怪会入会員限定プログラムに取りかかりましょう。ご自身の中で、一番集中したい作業を、身体が温まった今、このタイミングでどうぞ」
テーブルの引き出しには、多種多様な道具が用意されていた。タブレット端末から、画材……さらには写経のセットや工芸品用の工具まで、あらゆる「表現」に対応する準備が整えられている。
周囲が勉強や絵画に没頭し始める中、翠雨は引き出しから取り出した、スマートフォン型の小さなメモ、「ツブヤキ帳」に、金の龍を描き始めた。龍の隣には金の鱗が浮かんでいる。昨日見た、青年と少年の夢が、心の奥に引っかかっていたのだ。文章を書き足していく。
【おれとソックリな少年から、リュウって呼ばれる、ふしぎな夢を見た。何故か、凄く悲しい気分になった。金のうろこに宿っていたきおくを……おれが、そのまま見ているような夢だった。リュウっていう人から、きおくをたくされたような気がした】
翠雨は呟くように、スラスラと感情を書き出していく。
【金のうろこを飲みこんだ、お掃除ロボ・ロボ塚くんが、金色になってとび回っているのを見た時、おれは正直、マホウだと思った。でも、目に見えない力を信じると、きっとヨーカイカイから出られなくなるから、信じないようにする】
見下ろした龍のイラストは、普段よりも精密な描写が出来ていた。
「あれ? いつもより上手く描けてる……不思議だっちゃ」
後ろからやってきたタカシの叔父が、その疑問に答えた。
「溶怪会の教えでは、起床から約二時間が最も集中力が高まる『黄金時間』だと言われているんだよ」
「……いいことを知れた! これからは苦手な勉強を朝にやってみよう」
翠雨の右斜め前では、イヤホンを装着した老人がタブレットで侍のアニメを観ていた。翠雨はふらふらと隣の空席に座り、画面を覗き込む。呼ばれてもいないのに一緒に楽しみ始めた。
「この映画、分かりやすくていいっちゃ。疲れてても内容がスラスラ頭に入ってくるし、主人公も周りも目的がハッキリしてて、心から応援できる」
「アハハハ! いつからいたんだい?」
老人は笑ってイヤホンを外した。
「分かりやすい作品は、どん底にいる人間にも響く。生きるか死ぬか……極限状態の時に、難しい言葉を使われても困るだろ? 真っ直ぐな言葉なんて安っぽい……そう馬鹿にする人もいるけれど、それは世の中を知らないだけだよ」
彼は義足だった。翠雨からの視線に気付き、笑いながら言葉を付け加える。
「戦争で吹き飛んでしまったんだ。仲間も家族も全員死んでしまった……君は若いのに苦労してるんだね。こういうものを素直に受け入れられるのは、カッコいいことだよ」
翠雨は老人と有線イヤホンを片耳ずつ分け合い終了の合図まで、この「分かりやすい作品」の世界に浸った。
やがて、溶怪会入会員限定プログラムが強制終了された。羊型の執事ロボットにより、作業道具が手際よく回収されていく。
「チャイムはないのか?」
翠雨の呟きに、先ほどの老人が答える。
「時間を意識する癖を付けるために、あえて鳴らさないんだよ。溶怪会は時間厳守だ。学校のように作業を時間で区切り、それ以上は絶対にやらない。これを毎日繰り返して現状を維持するんだ。そうすれば、今より体調が悪くなることはないからね……それを続けるだけで溶けていくんだ、自分に取り憑いた目には見えない妖怪たちがね……気づけば健康になっていたよ」
「めちゃくちゃ計算されとるんやね……なら、溶怪会の正装がピンク色なのも意味があるのかな?」
「その理由だけは、誰も知らないんだ」
翠雨は老人と手を振り合い別れると、集会室の隅で待っていた遊楽のもとへ駆け寄った。遊楽は何かを考え込むように眉間に皺を寄せていたが、翠雨の顔を見るなり確信に満ちた声で告げた。
「【忍法,溶かし妖怪の術】の正体がわかった。表向きは現状維持を目的とした精神安定プログラム。だがその実態は……『表現者を育成するための基礎訓練』そのものだ。【忍法,溶かし妖怪の術】のルーツは、きっと芸能界にある」
遊楽はゆっくりと顔を上げた。
「今から約六百年前、京都で活躍した天睛役者の黎明翠……そして同時期に京都で溶怪会を誕生させた王階溶怪……両者の間には、深い繋がりがあるはずだ」
プログラム終了後、今日ここを発つ翠雨と遊楽に向けて、溶怪会入会員たちが次々と声を上げた。溶怪会ウォッチの色で、ずっとここにいる人間ではないと、みなが気づいたようだ。
「ヒバイヒ〜ン高価さん、最後にあの話を。この子たちにも溶怪会の歴史を教えてあげてください」
「そうですよ、王階溶怪様の物語を聴かずに帰すなんて、あまりに忍びない」
ヒバイヒ〜ン高価は、困ったように頭を掻いた。彼は入会員の熱意に押されるように、一冊の古びた本を取り出した。
高価は淡々と「溶怪会の歴史」について読み上げていった。
―― 溶怪会の歴史 ――
その昔、心身に不調を抱えた人々は「弱者」と呼ばれ、虐げられていました。
しかし、我らが溶怪会の創始者……王階溶怪は、違いました。
創始者は、世間が「弱者」と断じた人々を、妖怪に取り憑かれた者……【憑者】と呼んだのです。
彼らの心身の不調は、目に見えない妖怪の仕業である。ならば、我らと何ら変わりはない人々ではないか……そう考えたのです。
創始者は、「弱者」を見下す「強者」に、こう言い放ち、都を離れました。
『強者も、妖怪に憑かれれば、弱者の立場となる。人は皆「弱者」になりうる生き物なのだ。真の強者など存在しない、助け合うべきだ』
創始者は「弱者の森」と呼ばれる山奥で、憑者たちと一年の月日を共に過ごしました。
頑なに心を閉ざし、一人で生きようとしていた憑者たちも、創始者の「お前のせいではない、妖怪のせいなのだ」という、教えに救われ、次第に自分を愛せるようになっていきました。
憑者たちと関わる中で、創始者はある大発見をします。それは……「憑者を孤独にしてはならない」ということです。
妖怪は憑者の孤独が大好物でした。暴走した妖怪に心を蝕まれた者は、無差別に人を傷付ける怪物にもなり得たのです。
最悪の事態を避けるため、創始者は憑者と共存する術を探し続けました。……それこそが、我が【溶怪会】の始まりなのです。
我々は発展途上です。王階溶怪の教えに基づき、憑者との共存社会を目指しましょう。
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室内に、割れんばかりの拍手が響き渡った。翠雨は遊楽の袖を強く引き、小さな声で本音を漏らす。
「お兄ちゃん。なんかこの雰囲気、怖いっちゃ……もはや狂気を感じるよ。溶怪会と黎明翠に繋がりがあるなんて、おれは思いたくない」
遊楽は拍手に応えることもなく、この状況を冷めた視点で分析していた。翠雨の疑問に答えていく。
「表現を極めた黎明翠……そして救済を極めた王階溶怪。彼らは人々の心を動かすプロフェッショナルだ」
遊楽の瞳には、強い光が宿っていた。
「もし、二人があの時代の京都で出会っていたとすれば、きっと、よき理解者になれただろう」




