第7話 忍法,溶かし妖怪の術
溶怪会海洋深層水が入った使用済みの紙コップが、羊型の執事ロボットによって回収されていく。十分間の休憩時間に入ると、すかさず入会員たちが、集会室にズラリと設置された自販機に並び始めた。
皆、思い思いに一本ずつお茶やジュースを選んでいる。翠雨が背後を振り返ると、溶怪会の男性、ヒバイヒ〜ン☆高価が佇んでいた。
「一本までタダで飲める。いらないのカイ?」
高価は「カイカイ」口調に戻っている。遊楽はあくびをしながら答えた。
「自分はいらないです。ありがとうございます」
翠雨もそれに続いて首を横に振る。
「おれはお邪魔させてもらってるだけだから……みんなに飲んでほしい」
高価は満足げな笑みを浮かべると、集会室の前方へと戻っていった。
遊楽は感心した様子で翠雨を見つめている。
「お前さんって本当に人が出来てるよなぁ……自分は夕方に紅茶を飲み、夜にコーヒーを飲むのが好きなんだ。今はまだそのタイミングじゃない、という意味で断っただけなんだが」
「お兄ちゃん、この自販機……紅茶もコーヒーもないっちゃ。エナジードリンクも置かれていないよ」
「……ハッ!?」
遊楽は青白い顔でヨタヨタと自販機に近づいて行った。ラインナップを凝視し、呆然と立ち尽くす。
「……カフェインが配合されている飲み物は、この自販機の中で緑茶だけということか。自分からしたらカフェイン量が少なすぎて物足りないが、カフェインの入った飲み物があるだけマシ、そう思うことにするよ」
「何回カフェインっていうんだよ……カフェイン中毒者か」
翠雨は呆れ返っている。
集会室の照明がスッと落ち、ステージ上に一筋のスポットライトが灯る。それと同時に、入会員たちが、一分の乱れもなく同じ方向へ姿勢を正した。翠雨は声を潜めながら、遊楽に話しかける。
「お兄ちゃん、これは、ただの健康体操の空気じゃないっちゃ……」
「そのようだな……」
ヒバイヒ〜ン☆高価の合図で、待ちに待った【忍法,溶かし妖怪の術】が始まった。其の一から其の五までを順番通りにこなしていく。
「其の一」は、柔軟と背筋トレーニングを混ぜ合わせたような内容だった。それだけでジワリと汗が滲んでくる。
「其の二」は、お腹をへこませながら口をすぼめて「スゥーー」と息を吐ききり、限界まで吐いたらお腹を膨らませながら息を吸い込む。この呼吸を一分間繰り返す内容だ。
「其の三」は「あいうえお・いうえあお・うえおあい・おあいうえ」という言葉をハキハキと口に出す内容だった。老婆の口から入れ歯が飛ぶハプニングもあった。
「其の四」は、貸し出されたヘッドフォンを装着して行う内容だ。耳元で鳴る音階と同じ音程を、顔の前に持ってきた溶怪会ウォッチに向かって発声していく。
翠雨は音声ガイドから「俯かないで、姿勢よく」と注意された。
「其の五」は、ヘッドフォンから流れるリズムに合わせ、手遊びのように十本の指を滑らかに動かしていく内容だ。溶怪会ウォッチの液晶画面にはお手本動画が映し出されている。翠雨は再び、ガイドから「下を向かないで」と注意され、意識して目線を上げた。
基本は立った状態で行うトレーニングだが、身体が不自由な者たちは、椅子に座ったまま無理のない範囲で参加している。それでも十分に効果があるように設計されているようだ。
【忍法,溶かし妖怪の術】を終えると、自然と背筋が伸び、目線が上がった。翠雨は嬉しそうに目を輝かせる。
「背が高くなった気がするっちゃ! みんなが自然と上を見てる。トレーニングで背筋が伸びたから、俯くより上を見た方が楽だ」
一方、遊楽は何かを確信したような顔で腕組みをしていた。
「……やっと謎が解けた。ここにきてから、溶怪会入会員の人たちはやけに姿勢が良く、声が響き、滑舌が良いと思っていたんだ。すべて、【忍法,溶かし妖怪の術】の効果だったのか……」
一度スイッチが入った遊楽の独り言は止まらない。
「其の一が背筋矯正、其の二が腹式呼吸。そして其の三が滑舌トレーニングになっているということか……金龍雨天祭で聴いた溶怪会入会員の歌声と演奏技術の高さにも頷ける……其の四は音階トレーニングで、其の五が楽器演奏の前に行う指伸ばしのストレッチになっていたからな」
遊楽は疑問を抱えながらも話を繋いでいく。
「これは計算しつくされたプログラムだ……アーティストの基礎練習に似ていないか?」
「この間、ラジオで紹介されてたよな。おれもよく覚えてるよ。ゲストで来てた歌手の人が、もう何十年もこういうトレーニングを続けてるって言ってた」
その瞬間、眼鏡越しにも分かるほど遊楽の目が鋭くなった。翠雨にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「【忍法,溶かし妖怪の術】を経験したことで、【溶怪会】のルーツが、ようやく見えてきたかもしれん」
明日も早朝5時30分に投稿します。




