第6話 ご子息さまの御目覚め(挿絵あり)
天井から吊るされた球体ライトが点灯した。翠雨と遊楽に向けて、太陽のように強い光を放っている。【旅人の宿】で迎えた【四月十日】の朝だ。
翠雨は電動マットレスによって強制的に上体を起こされ、目を覚ました。
「……リュウ、か」
彼は、金の鱗を握りしめたまま見た、昨日の夢を思い返していた。
「……おれにソックリな少年と、あのリュウって人は、仲が良さそうだったな……リュウは、あの言葉になんて返したんだろう」
『あなたの眼になるよ』
儚さを感じる、美しい声だった。
『あなたに、恩返しがしたいんだ』
微かな痛みと、寄り添うような優しさを感じた。
「……案外、雰囲気ぶち壊しの返事だったら面白いよな。おれの知ってるリュウと同じで、口が悪かったりして」
永伝寺で会ったリュウの大きな背中が脳裏を過った。今よりもずっと昔のことのように思える。
翠雨は金の鱗を握りしめていたはずの手を開いた。
「……鱗が……無いっ?!」
寝汗で湿った手のひらだけが残されていた。
溶怪会ウォッチが朝の六時を知らせている。垂直にまで跳ね上がったベッドの背もたれを元に戻すスイッチは、どこにも見当たらなかった。
遊楽はすぐ隣でムニャムニャと文句を言っていた。ようやく目を覚ましたようだ。
「もう少し寝ていたかった……これじゃ二度寝できんだろ」
翠雨は冷や汗をかきながら、金の鱗を探している。
「……あの、お兄ちゃん、どうしよう……おれ……っ?!」
その直後、翠雨はバランスを崩し、ベッドから滑り落ちていった。彼は顔を上げた状態で一点を指さしている。それには、ある理由があった。
「ロ……ロボ塚、お前……どうしちゃったんだよ」
「プレミアム仕様っぽくなっているな」
黄金色に輝くロボ塚くんが、重力を無視して宙に浮いていたのだ。翠雨は自分の空っぽの手のひらを見つめ、青白い顔で呟く。
「もしかして、こいつが……金の鱗を?!」
「ゴミだと勘違いして飲み込んだんだろうな」
もはやお掃除ロボというより、毛深い新種の珍獣だ。
遊楽は部屋の隅に備え付けてあった説明書を手に取り、凄まじいスピードで内容を読み込んだ。
「翠雨、安心しろ。簡単に内部のゴミを取り出せる仕組みのようだぞ」
「あぁ、良かったぁ……あの鱗は、おれの宝物なんだ」
翠雨は浮遊するロボ塚くんを抱き寄せ、頭部の柔らかい耳に触れた。そしてロボ塚くんを労う。
「でも、掃除を真面目に頑張ってくれた証拠だもんなぁ……お前は偉いよ」
地下帝国に来てから最新技術に揉まれすぎたせいか、翠雨と遊楽の順応は早かった。「何が起きても驚かない」という催眠術にかかっているかのように、二人は冷静だ。
遊楽は眠い目をこすりながら、ロボ塚くんを眺めている。
「もし地上でこの状況に遭遇していたら、自分は気絶していたと思う」
遊楽はもう一度、目をこすった。
「今も正直、理解が追いついていない」
翠雨はロボ塚くんの長毛を、犬のように撫で回している。
「フワフワしてて可愛いし、触ってるだけで落ち着く……家に連れて帰りたいっちゃ」
そして愛おしそうに顔を近づけた、その時だった。
『ニンニク、食ッタダロ』
「……ニンニク? 食ってないよ。それ、あんまりいい匂いがしない時に言う言葉だっちゃ……なんだ、コイツ」
ロボ塚くんが低音ボイスで、言葉を喋り始めたのだ。
『ソノ服、オサガリダナ』
「……これは備え付けてあった服だっちゃ。それに、お下がりの何が悪いんだよ」
『風呂、ハイッタカ?』
「……入ったよ」
『ニンニク、食ッタダロ』
「こいつ、悪口しか言わんな」
翠雨はロボ塚くんの両手を握りしめながら真っ直ぐ目を見つめた。
「人を傷つける言葉は良くないっちゃ。それぞれ気にしてることがあるだろ」
遊楽はロボ塚くんを様々な角度から観察し始めた。
「……お掃除ロボットに暴言機能なんて必要あるのか?」
彼は疑ったような顔をして再び説明書に目を通す。
「喋るとは書かれていないぞ……隠しの機能、ということなのか?」
朝食を運んできたのは、昨日少しだけ言葉を交わした管理人の老婆だった。彼女が箸を落としかけた翠雨を神業のような速さでフォローする姿に感心しつつ、二人は腹ごしらえを済ませた。
『みなさん、おはようございます! 正装に着替えて溶怪会公民館に集合してください』
溶怪会ウォッチから指示が出される。
『【忍法,溶かし妖怪の術】に励みましょう』
「忍法,溶かし妖怪の術っ?!」
翠雨と遊楽は同時に叫び、顔を見合わせた。
「お兄ちゃん、どうする? こんな機会なかなかないっちゃ」
「……とりあえず行ってみよう。何か面白いことが拝めるかもしれん」
二人は用意されていた溶怪会の正装、ピンク色のワンピースに着替えた。
身支度を終え、【薬湯温泉・旅人の宿】を飛び出す。
ワンピースの裾をなびかせ、光り輝く桜並木を走り抜ける。走るたびブリーフが丸見えになるが、それに構っている暇はない。風に煽られた翠雨の前髪がセンター分けになった。
「朝からお兄ちゃんと話せるのは久しぶりだっちゃ! やっぱり嬉しいな〜」
「お前さんは朝型人間だもんな。自分とは真逆だ」
遊楽が翠雨の前髪をグイッと引っ張って直す。髪が全て中央に寄った。
二人は【旅人の宿駅】に到着すると、俊敏な動きで小舟に乗り込んだ。船首にある小さな木箱へ目的地の名前が刻まれた木札を差し込む。目指すは【溶怪会公民館】だ。
「翠雨……もうすぐ到着するぞ。あと十分くらいだ」
遊楽が溶怪会ウォッチの地図機能を駆使する中、通りかかった「金龍商店街」は、昨夜の騒ぎが嘘のように完璧に清掃されていた。その先には小さな島のような施設が点在しており、行き交う小舟で活気に満ちている。
二人は離島のように浮かぶ【溶怪会公民館駅】で船を降りた。
溶怪会公民館の集会室には、横長のテーブルが整然と並べられていた。溶怪会の正装、ピンク色のワンピースを着た怪しい入会員たちが談笑する中、一人の男性が驚愕の表情でこちらを見つめていた。鼻の横に大きなイボがある、七三分けの男性だ。
「翠雨くんと、遊楽くん?」
遊楽は笑顔で会釈したが、翠雨は悲しげに眉を下げた。
「……タカシのおじさんっ?!」
友人の宇治タカシから持ちかけられた、ある相談話が心に引っ掛かっていたのだ。
『心を病んでしまった叔父さんが、【ヨーカイカイカイカン】から出てこなくなっちゃったんだ。そのせいで、お婆ちゃんも笑わなくなった……』
駆け寄る翠雨を見つめ、タカシの叔父は穏やかに微笑んでいる。翠雨は彼を必死に説得した。
「タカシのおじさん! たまには家に帰った方がいい、タカシが心配していたよ。それに前よりずっと痩せて……酷い目にあったんじゃ……」
「違うよ、僕は溶怪会に命を救われたんだ。溶怪会入会員になれば、徹底的に体調管理もしてもらえるし、外の世界よりずっと健康的になれる……翠雨くん達にもオススメだよ」
集会室の巨大な扉が開き、昨日世話になった溶怪会の男性、【ヒバイヒ〜ン☆高価】が現れた。
「これから『溶怪会海洋深層水』を配ります。皆さん、席についてください」
「溶怪会海洋深層水っ?!」
翠雨は思わず叫んだが、周囲の冷ややかな視線に気づいて慌てて口を結んだ。
名簿順の座席につき、全員の前に紙コップが置かれていく。運んできたのは羊型の執事ロボットだ。翠雨は遊楽に小声で助けを求めていた。
「溶怪会海洋深層水だって……飲めたもんじゃない、不味すぎる。あの、家の前に毎朝置かれてる水だろ?」
「我慢するしかない、今日だけの辛抱だ。自分からするとピンク色のワンピースを着せられる方がしんどいけどな。それに比べたら……」
高価は合図を出すようにパチンと手を叩いた。
「では一分間、溶怪会海洋深層水を口に含んでください」
「一分?!」
「よーい、スタート」
溶怪会海洋深層水を口に含んでいる間、ヒバイヒ〜ン高価は洗脳するように喋り続けていた。
「溶かすイメージで、そう、妖怪を……水に溶かす〜」
翠雨と遊楽は、必死の形相でほっぺたを膨らませている。
あと五秒、三秒……一秒。
一分が経った。
「では、吐き出してください」
「……?!」
翠雨と遊楽は紙コップの中に溶怪会海洋深層水を吐き出す。
遊楽は翠雨に耳打ちをした。
「フッ素だ……虫歯にならないようにするための薬だよ……溶怪会海洋深層水の正体は、虫歯予防のフッ素洗口液だ」
「フッ素洗口液?!」
「だから飲み込まないでくださいとペットボトルにデカデカと注意書きがされていたんだ」
遊楽は清々しい表情で微笑んでいる。
「紛らわしい名前をつけた理由は分からんが、溶怪会の謎がひとつ解けたな」
彼は斜め上を見つめ、ぼそりと付け加えた。
「……どうせなら忍法法人という言葉の意味も知りたくなってきたな」




