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第2話 今を生きて

 翠雨と遊楽は促されるまま、【無料案内所】へと進んだ。中央に置かれたテーブルに案内された彼らは横並びに座った。

「すこしだけ待っていてくれるカイ? 色々と準備があるもので」

 男性はそう言い残すと、この部屋を後にした。


 遊楽は椅子にもたれ掛かりながら、この一室を見渡している。

「資金源はどうなっているんだ? この椅子だって明らかに高級品だ」

「フワッフワだよな〜、高級食パンみたいだ。白くて、モチモチしとる」

「食べたことないだろ」

 遊楽は楽しそうに笑い出した。

「いつか、お兄ちゃんが食べさせてやるからな」


 翠雨は嬉しそうに頷くと、ポケットから金の鱗を取り出した。

 手のひらの上で光る鱗を、そっと指先でなぞる。

 遊楽はその手元を凝視している。


「リュウ……また会おうな。おれとお兄ちゃんは元気にやっていけそうだ」

「なんだ、食べ物じゃなくて例の鱗か」


 遊楽はそう言うと、腹鼓(はらづつみ)を打ちながら、残念そうに笑った。翠雨は呆れ返っている。

「雰囲気が、ぶち壊しだっちゃ〜……晴雨(せいう)感情障害(かんじょうしょうがい)になってからお兄ちゃんは食いしん坊になったよな、人間の体って、不思議だ」


 扉をノックする音が飛び込んでくる。

 溶怪会(ようかいかい)の男性が【無料案内所】へと戻ってきたのだ。手にはバインダーとファイルを持っている。

 彼は目の前の席に着くと、いきなり踏み込んだ質問をしてきた。


「持病があれば教えてください」

「……よ、妖怪に取り憑かれた設定は何処に行った? それにお兄ちゃんだって、初対面の人に病気の話はしたくないと思う」

 翠雨は心配そうに遊楽を見つめた。遊楽は淡々と質問に答えていく。

「自分は晴雨(せいう)感情障害(かんじょうしょうがい)二型(にがた)です」


 翠雨は昨日、遊楽から差し出された医学本の見開きページを思い出した。


―― 晴雨(せいう)感情障害(かんじょうしょうがい) ――


 晴状態(せいじょうたい)雨状態(う〜じょうたい)を交互に繰り返す精神病。


晴状態(せいじょうたい)

 晴天の日の子供のように、極端に活動的で病的なまでに万能感に満ちた状態。


雨状態(う〜じょうたい)

 雨天の日の子供のように、極端に意気消沈し病的なまでに動けなくなる状態。


――――


「二型か……一型に比べて晴状態(せいじょうたい)が軽い方だね……雨状態(う〜じょうたい)の方が長い傾向にある」

 男性はそう言うと遊楽の二重あごを一瞬だけ見つめた。すぐさま質問を重ねていく。


「飲んでいる薬の名前は分かりますか?」

「だいたいは……」

 遊楽は薬の名前を正確に伝えていった。溶怪会の男性はため息をつく。

「その薬は、怖がって出さない医者が多い。中毒性が高すぎるのでね……薬の効果が切れた時に雨状態(う〜じょうたい)になってしまう人がいるんですよ。数年前までは、よく使用されていたんですが……」

 男性はメモをとりながら、遊楽にアドバイスを送った。

「まず初めに受診するなら、大きな精神病院を選んだほうがいい。遊楽様の場合、転院を視野に入れたほうがいいと思います」

 男性はファイルから精神病院のパンフレットを取り出した。遊楽へとパンフレットを差し出す。

「ここの生寺(しょうじ)先生は晴雨(せいう)感情障害(かんじょうしょうがい)の治療が得意です。参考までに……」

 遊楽はそっと受け取ると静かにお辞儀をした。溶怪会の男性は遊楽へ質問を続ける。


頓服薬(とんぷくやく)は飲んでいますか? 体調が悪いときに追加で飲む薬のことです。どんなときに飲んでいるのかも言える範囲で教えてください」

「フラッシュバックが起こった時に、飲んでいます。やらかしてしまったことを何度も思い出すんです。まるで、タイムスリップしたみたいに……」

 男性は真っ直ぐ遊楽を見つめた。


「精神病の人は過去へ過去へと意識が向きやすい。()()に集中してください。」

 彼はとても親切な人であった。

「ゆっくりでいいから切り替える癖をつけていったほうがいい。今、このことで悩んでいる……なら、どうしたらいいか。どうしたら解決するか……解決策を考えることにエネルギーを向けられるようになれば、楽になれる。思ったことを紙に書き殴るだけでもいい。君なら大丈夫」


 翠雨は不思議そうな顔で溶怪会の男性を見つめた。

「カウンセラーみたいだっちゃ、憑者(ひょうじゃ)って言葉も使わんし……あなたは本当に、溶怪会の理念を信じているの? さっきまでは語尾にカイカイ付けとったけど、今は全然言わんし……」

 男性は穏やかな表情で笑った。


「ワタクシにはワタクシなりの正義がある」 


 男性の腕には、リストカットの跡が古傷として残っていた。

 彼は壁掛け時計を見つめ立ち上がった。翠雨と遊楽にエールを送る。


「今を生きてください……おふたりなら、きっと大丈夫」


 男性がポケットから取り出したのは、スマートウォッチのような緑色の電子時計だった。

「ここにいる間は、この【溶怪会(ようかいかい)ウォッチ】をつけなければいけません……ワタクシも毎回、この瞬間が一番、心が痛むのですが」

「なんで緑色なんですか?」

 翠雨の疑問に男性はすぐさま返答した。

「お二人は、ずっとここにいる人ではない、という印です。他にも赤と黄色があるんですよ」

「信号機みたいだっちゃ」

 遊楽が現実的な質問を投げる。

「望んだときに外すことはできますか? それだけ教えてください」

「明日の正午に、自動で外れます」

 男性は「疲れたでしょう」と労いながら姿勢を正した。


「【薬湯温泉(やくゆおんせん)旅人(たびんちゅ)宿(やど)】でゆっくり休息をとってください。乗船場までご案内いたします」

 彼を先頭に三人は、【無料案内所】を出て、再び元の巨大なホールへと戻った。

 壁一面に飾られた妖怪の絵画が踊り狂う中、男性はホールの奥にある、巨大な扉の前へと進んでいく。


 扉を抜けると、その先は地下へと続く緩い下り坂になっていた。洞窟のような道を進んでいくと辺りに薬品の匂いが漂い始める。この道には、本物か偽物か分からない鉱石が所々、埋め込まれていた。砕けたガラスのように鋭い切れ目を持っており、内側からは虹色の光が漏れている。自然が生み出す色彩では無かった。路地裏で拾った石と不気味なほど、よく似ている。

 翠雨が震える手で石に触れようとした、その時だった。


「……もう、ヤダァっ♡ なんでこんなトコロに虫がいるのよっ! アッチ行って!」


 溶怪会の男性の口調が豹変したのだ。彼はハッとした顔で固まっていた。  

 遊楽は虫を追い払いながら男性に声を掛ける。

「暖かくなってきましたからねぇ、虫が増えてきて大変だ」

「そうだっちゃ、慣れるしかない! 」

 遊楽と翠雨は即座に話をそらした。

 男性の目は、微かに潤んでいた。


 やがて通路が拓け、三人は【乗船場】へとたどり着いた。


 そこには消毒液のような匂いがする川が流れており、和風の豪華客船を模した、屋根がない小舟が揺れていた。

 スクリーン素材の天井は巨大なプラネタリウムになっており、本物と見間違えるほど美しい星空が広がっている。


 目の前に、広大な地下帝国が現れたのだ。


「信じられない……左遷ヶ島(させがしま)の地下に、こんな世界があったなんて」

 翠雨の目が、子供らしく輝いた。遊楽は感心した様子で、偽物の星空を見上げている。


「『旅人(たびんちゅ)宿駅(やどえき)』で船を降りたら、桜並木を真っ直ぐ進んでくださいね。その突き当たりに、お目当ての宿が見えてきますから」

 男性は笑顔で岸壁に立ち、船を見送る構えをとっている。

「では、ワタクシはここで」

「待って……あなたの名前を教えて」


 翠雨が尋ねると、男性はこちらを振り返り、その名を明かしてくれた。

「『ヒバイヒ~ン☆高価(こうか)』……そう名乗らせていただいております」

「ヒバイヒン、コウカ……非売品、高価?! こ、高価さん、ありがとうっ!」


 船がゆっくりと岸を離れる。

 この小舟は自動操縦になっており、船首にある小さな木箱へ目的地の名前が刻まれた木札を差し込むと、勝手に動き出す仕組みになっていた。

 豪華な和風装飾を揺らしながら、この小舟は【薬湯温泉(やくゆおんせん)旅人(たびんちゅ)宿(やど)】を目指して、静かに水面を滑り出した。


 翠雨は遊楽の横顔に声をかける。

「ヒバイヒ〜ン高価って、オネェタレントの名前みたいだよなぁ……高価さんって、多分ソッチ……」

「言わなくとも分かるやろ」

 彼らは穏やかな表情で同時に微笑んだ。翠雨は一瞬だけ悲しい顔をした。


「親切な人だったなぁ……どうして溶怪会で働いているんだろう」


 流れ星が通り過ぎていく。


「大人になることって、難しそうだな」


 






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