第2話 天睛役者とリュウの影
再び静けさが戻った境内。
街の防災スピーカーから17時を知らせるメロディーが流れてきた。草の上に置いていたランドセルを背負う。
翠雨はひとり、山道の奥にある永伝寺の広場へと向かった。
その隅に設置された、小さな石像の前で立ち止まる。
翠雨が見つめているのは、苔むした岩の上で正座をする男性の石像だ。石像の大きさは30センチほど……森に住まう妖精のようだ。翠雨とよく似た顔立ちをしており、風雅な和服を身にまとっている。
隣に立てられた解説板にはモデルとなった人物の名が刻まれていた。
【 黎明 翠 】
翠雨は石像と向かい合うように、その場にしゃがみ込んだ。
「黎明 翠、話を聞いてくれ」
友人に語りかけるような口調だ。
「島のみんなはおれのことを黎明 翠の生まれ変わりだって言う。おれはおれ、あなたはあなたなのに! おれは芸能界に興味なんてないっちゃ。競争なんてキライだ」
勿論、返事は無かった。
「おれは、あなたみたいに凄くはなれん」
黎明 翠の解説板へと視線を移す。翠雨は頭の中で、その文章を静かに読み上げた。
―― 黎明 翠 ――
今からおよそ六百年前に活躍した
【 天睛役者 】
京都から左遷ヶ島に流刑されたのち、永伝寺で余生を過ごす。
【 この世は金 】の名言を残し、左遷ヶ島で永眠。
____
「この世は金……正直でおれは好き」
翠雨は笑いながら、石像と目を合わせた。
「あなたは、歌と踊りの天才だったんだろ? モノマネも上手かったって学校で習った」
解説板に記された【天睛役者】の文字をじっくりと見つめる。
「天睛役者って何をする仕事だったの? 記録が残ってないから誰も知らないんだよ。天睛ってどういう意味?」
夕闇が迫り、空には一番星が瞬き始める。
「おれ、夕ご飯を作らないと……もう帰るね」
翠雨は石像に向かって大きく手を振った。
「またくるね。黎明 翠__」
その時、石像の頬を一筋の雫が伝った。今朝降った雨粒が空から降ってきたのだろう。黎明 翠が涙を流している姿に見えた。
「京都の大スターが左遷ヶ島に流されたんだもんな。悲しくて辛かったろ? なにがあった?」
翠雨は、森の木々を見上げた。ザワザワと揺れる枝の奥を、紫がかった雲が流れていく。まるで異世界に繋がる入口のようだ。
「黎明 翠は絶世の美少年だったらしいな。なのに舞台に立つ時は、妖怪のお面で顔を隠しとった……不思議な人生っちゃ」
翠雨は、黎明翠の石像にくるりと背を向け永伝寺を後にした。
緩い下り坂になった山道を行く。
翠雨の脳裏には、クラスメイトから言われた悲しい言葉が過っていた。
『そのモノマネ飽きたよ! 新作は?』
『前のままで良かったのに。どうして変えちゃったの?』
『男の子は声変わりするんだって……
そしたら翠雨も____』
耳鳴りのような音がして、翠雨の意識が現実へと戻った。
「____そしたらおれは、
特技がひとつ減るっていうことだよなぁ」
道端に咲いている花を踏みそうになった。よそ見をしたせいだ。
黎明 翠の石像が待つ後ろへと振り返る。石像は木々に隠れて、こちらからは見えなかった。不気味に長く伸びた、自身の影を見つめる。
「芸能界で生き残るのは、大変そうだな」
通り抜けた春風に優しく背中を押された。
翠雨がいなくなった永伝寺の境内。
龍の彫刻の側で、金色の塊が蠢いている。
この世のものではない、そんな気配をまとっていた。
「話が入ってこうへんなぁ。
なんや……あのふざけた髪型は」
本堂の影から姿を現したのは、鬼のように鋭い眼をした少年であった。はんなりとした京言葉だ。
山道を降っていく翠雨の後ろ姿を、境内から見下ろしている。
翠雨より、2歳ほど年上だろう。腰の位置が高く、手足もスラリと長い。なにより染め上げた金髪が、よく似合っていた。
成人男性より大きいスニーカーの踵には、
【 RYU. 】と金色の刺繍で彼の名が記されていた。
リュウは翠雨の背中で揺れるランドセルを、濁った瞳で眺めている。その視線は、サイドポケットに挟まれた、外来種のタンポポに向けられていた。
「せっかく……
俺様が抜いてやったのに。
あんなもの、持ち帰るなよ」




