第17話 帰路の分かれ道
翠雨と遊楽は、満月を見上げながら並んで帰り道を歩んだ。辺りはまだ、重たい潮の匂いに包まれている。遊楽は薬の副作用か、坂道を登りながらゼエゼエと肩で息をしていた。
「お兄ちゃん、おれがおんぶするっちゃ」
「死ぬぞ。自分はこう見えてデブなんだ。ここだけの話、標準体重より遥かに重い」
「どう見ても太り過ぎだっちゃ、隠しきれとらんよ……でも、おれがおんぶするよ。龍みたいに強くなった気分なんだ。今なら空も飛べる気がする」
「……」
遊楽は引きつった顔で固まっているが、翠雨は頑なにその場を動こうとしない。
「……お前さんって変なところが頑固だよな」
「おれがお兄ちゃんを家まで運搬する!」
「運搬……もう、どうなっても知らんぞ」
遊楽が諦めて、しゃがみ込んでいる翠雨の背中にゆっくりと寄りかかった。ドミノ倒しのように二人の体が崩れ落ちていく。
翠雨は遊楽の下敷きになり、カエルのような声を上げた。ふたりは泥だらけのままフラフラと起き上がり、顔を見合わせて子供らしく笑い合った。
遊楽はふらつく足取りを整えると、不敵な笑みを浮かべて構えた。
「よし翠雨! 家まで競争だ。よーい……」
合図と共に、二人は夜の道を走り出した。波の音と金龍岩が、背後へと遠ざかっていく。
翠雨は晴れやかな笑顔で後ろを振り返った。弾ける汗が月光を吸い、宝石のように光り輝いている。
「おれにもお兄ちゃんに勝てる分野があったか〜! 初めて知ったよ」
「はやく自分自身の魅力に気付け……もったいないぞ!」
他愛もない会話。笑うと細くなる目元は、驚くほどそっくりだ。角を右に曲がると金龍岩は見えなくなった。
しかし、家の屋根が見えてくると、翠雨の足がピタリと止まった。
「……お父さんに会いたくない。また、なにをされるか分からんよ」
「忍法,溶かし妖怪の術!!!」
遊楽はそう言うと、翠雨の背中を力強く叩いた。
「溶怪会会館に匿ってもらえばいいんだ」
「……ヨーカイカイカイカン?!」
王階家の隣にありながら、異様な静寂を保つピンク色をした例の巨大施設だ。窓には和柄のカーテンが隙間なく引かれ、屋上からは歪な形のアンテナが幾本も天に向かって伸びている。
「……あそこはまともな場所じゃないが、今は父さんを避けるための唯一のシェルターだ。いいか翠雨、信仰に染まらないこと。それだけを約束してくれ」
遊楽の瞳には、かつてないほど鋭い覚悟が宿っていた。
「あとのことは、自分に任せてほしい」
二人は、背後の暗闇に父親の影が潜んでいるのではないかと、何度も振り返りながら【溶怪会会館】の裏口へと回り込んだ。砂利を踏む音さえも、今の翠雨には爆竹のような大音量に聞こえて心臓が跳ねる。
遊楽は、金の龍が刻まれた裏口のチャイムを押した。スピーカーから放たれた哀しげな弦の音が、溶怪会会館の内部へと駆け抜けていく。
中から現れたのは、ピンク色のワンピースを着た怪しい男性だった。昨日、翠雨にビラを渡してきた、あの男性だ。
「やぁ……翠雨くんと遊楽くん。ヨーカイカイカイカンに来るのは初めてカイ?」
翠雨はツッコミを放棄したような顔で固まっている。遊楽は男性に向かって深くお辞儀をした。
「今日は、お願い事があってここまで来ました。明日の昼頃まで、自分達を匿ってもらえませんか?」
「理由を教えてくれないカイ?」
遊楽は裏口に飾られた手書きのウェルカムボードを食い入るように見つめた。そこには、この会の不気味な根幹が記されている。
―― 溶怪会の理念 ――
溶怪会は「憑者」との共存社会を目指しています。
『憑者』とは、運悪く妖怪に取り憑かれ、心身の自由を奪われてしまった者のこと。
憑者は孤独を深めるほど、その心に巣食う妖怪が肥大し、見ず知らずの者さえも無差別に傷付ける『怪物』へと成り果てるのです。
我らが創始者は見つけ出したのです。憑者と共存する、ただひとつの方法を。
今すぐ【溶怪会】の入会員になれば、【溶怪会会館】にて、その秘密を知ることが出来ます。
さぁさぁ……
よってらっしゃい……みてらっしゃい。
溶怪会会館へ、
ようこそお越しくださいました。
____
遊楽は一瞬で内容を把握し、頭の中で言葉を整理したようだ。ウェルカムボードから目をそらすと、絞り出すような声で言った。
「……憑者から逃げているんです。孤独な憑者……彼は、人間の形をした怪物です」
男性は、翠雨たちの泥だらけの姿を見ても驚く様子もなく、ただ穏やかな、けれど底知れない空虚な微笑を浮かべて頷いた。
「ご無事でなにより……お入りください」
翠雨は最後に一度だけ、父親のいる暗い自宅を振り返った。あの静まり返った家には、もう戻りたくない。
逃れるようにして、光の漏れる
【 溶怪会会館 】の中へと足を踏み入れた。




