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第12話 生きろ![残酷描写あり]

 「翠雨(すいう)」と「お前」が頭の中で混ざり合い、その混乱で意識が遠のいた。

 翠雨は迷いを振り払うように父親に反抗的な態度を取った。ポケットから取り出した「忠犬スタイル」のバンダナを床に叩き落とす。


「お父さんは人を道具だと思ってる。使える人間か使えない人間か……それしか頭に無い。だから気まぐれで人を追い込むことだって平気で出来る、お父さんの中に愛情なんて初めから存在しなかったんだ! お兄ちゃんのおかげで、おれもやっと気づけたよ。お父さんは……人の心を持たない怪物だ!」

 その声は恐怖で震えていた。

「なんだ? その口の聞き方は」

 父親がゆっくりと身を屈め、翠雨の瞳を覗き込んだ。一度も瞬きをせず射抜くような眼差しを固定する。

「俺は今、怒っている。それに気づけないお前が悪いんだよ」

「……っ!」 


 父親は翠雨を軽々抱き上げると、キッチンの床にある隠し扉を蹴り開けた。黒ずんだ埃が舞い上がり、二畳ほどの地下室が姿を現す。

「寂しくなくていいだろう? 俺のコレクションだ、ほら……」


 薄暗い地下室には今にも動き出しそうな剥製が綺麗に飾られていた。命の灯火が消えた、その虚ろな眼差しに背筋が凍る。

 壁沿いの棚にはホルマリン漬けの瓶が整然と並べられていた。判別のつかない「何か」の亡骸が液体の中に浮かんでいる。

「ゆっくり休めよ、翠雨。優しいお父さんに感謝しろ」

「お父さんのどこが優しいんだよ!」

 翠雨は狂った父親の手を振り払った。

「ここにいる動物たちも全部、お父さんが殺したんだろ? 子狸の時だって、殺したのはおれだ。でも元はと言えば、お父さんが……」


 山奥に横たわる子狸の死骸が蘇った。桜の花びらを供えたあの日から抱えてきた、翠雨のトラウマだ。


「あれは道端で轢かれていた個体だよ。お前にトラウマを植え付けるのに、絶好の素材だった」

「う、嘘だ……そんなわけ……」

 父親は棚の一角にある、小さな瓶を指差した。

「あれを見ろ、ぺちゃんこだろう? あれも道路で潰れていた小動物だ。俺が殺したわけじゃない。拾って片付けてやったんだ。街の清掃活動」

 慈愛に満ちた聖人のような、完璧な作り笑顔だった。


「お前が思っているよりずっと、世界は慈悲深いんだよ」


 翠雨は血の気が引くのを感じながら、父親の手をそっと握った。

「なら、一緒にお兄ちゃんを助けに行こう? 力を貸してよ。お願いだから……っ!」

 翠雨の瞳に光が宿る。

「っ?! ……お父さん、ありがとう」

 父親が翠雨の小さな手を優しく握り返したのだ。彼は翠雨の頭をポン、と撫でた。

「気をつけて降りろよ……足元が暗くて、危ないからな」

「うん……お父さん、ありがとう!」


 翠雨は暗闇の中、冷たい床に足を付けた状態で固まっている。ある事実に気づいたのだ。


「おれのアホーーー!!! 自分から地下室に入ってどうする……もっと人を疑えーーー!!!」

 

 翠雨は地下室から父親を見上げた。彼の手には翠雨のポケットから引き抜いたアイディアノートが握られていた。リュウが拾ってくれた、宝物のノートだ。


「……隙だらけやなぁ」


 紙が引き裂かれる、耳障りな音が静寂を破った。父親が翠雨を見下ろしながら、ノートを地下室への中へと破り捨てたのだ。

 リュウが描いてくれたお手本の端が目尻に触れ、一筋の涙と共に落ちていった。


 天から紙吹雪のように、破かれたページが振り注ぐ。翠雨は舞台に立つ一流役者のように、その中心に立っていた。それは残酷なまでに美しく、幻想的な景色だった。 


 足元に散らばった紙切れは、拙い線ながらも花に囲まれ楽しそうに踊る黎明翠の姿であったはずだ。今は見る影もない。

 頭上の扉が閉じられた完全な暗闇の中で、翠雨は独り、拳を握りしめている。


「おれのアホ……なんでこんなに、お父さんとお母さんのことが好きなんだよ」


 ホルマリンに浸かった亡骸の白い腹だけが、闇の中でぼんやりと浮かんで見えた。冷たい床に、一人うずくまる。


「なんでこんなに信じたくなるんだろう」


 扉の隙間から漏れる微かな光を見つめているうちに、翠雨の意識は泥のように沈んでいった。

 不思議な夢の世界へ導かれていく。




 ここは、どこだろう____


 視界が開けた瞬間、翠雨を包み込んだのは、境界のない「白」の世界だった。

 頭上には太陽も雲もなく、発光するような白い空だけが広がっている。

 足元には鏡のように凪いだ、足首ほどの深さの「浅い海」が地平線の彼方まで続いていた。


 波紋ひとつ立たない水面を、一人の少年がゆっくりと歩いている。翠雨の兄、遊楽ゆうらだ。その光景はあまりに異様だった。


 遊楽は、自分自身の「死体」を右手に掴み、ずるずると引きずっていたのだ。

 水面に引かれた死体の筋が、透き通った水の中に影を落としていく。


 翠雨は、声も出せずに立ち尽くしていた。

 遊楽が、その変わり果てた「自分」を重荷のように引き連れて、こちらへ向かってくる。一歩踏み出すたびに、ぴちゃ、ぴちゃ、と冷ややかな水音だけが静寂に響いた。


 彼は足を止め、翠雨を見つめた。その瞳は真っ赤に腫れ上がり、絶望の淵で見た光景を焼き付けているかのようだった。


『自分は【金龍岩(こんりゅうがん)桟橋(さんばし)】から、海に飛び降りて死んだ。警察に連絡して、底に沈んでいる自分を引き上げてやってほしい』


 しかし翠雨に向ける微笑みだけは、以前のままの、痛いくらいに優しいものだった。


『父さんの言葉に耳を貸してはいけないよ。虐待のことは児童相談所に報告してある。お兄ちゃんの面倒だって、もう見なくていいんだ。翠雨はやっと、自由の身になれる』


 翠雨は必死に手を伸ばそうとした。だが、足が水底に吸い付いたように動かない。叫ぼうとしても、冷たく重い吐息が漏れるだけだった。


『翠雨がいたから、ここまで生きることが出来たんだ。暗い人生の中で、翠雨だけが、自分にとっての光だった。ありがとう、翠雨』


 遊楽の姿が、白光の中に溶け始める。引きずられていた水死体が、ゆっくりと水底へ沈み、彼の輪郭もまた、霧のように薄れていく。


「おれだってそうだ! お兄ちゃんがいたから生きてこれた……ずっと、ずっと苦しみながら、おれを守ってくれていたんだね」


 翠雨の叫びが、白一色の世界を震わせた。


「今度はおれがお兄ちゃんを助ける。だから、待っててくれ! 絶対に死ぬなよ、いますぐ助けに行くからな!」


 白い霧がすべてを飲み込み、視界が爆発的な光に包まれる____




 次に翠雨が目を開けたとき、鼻を突いたのはホルマリンの冷たい匂いだった。

 

 



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