第9話 蝶の墓場とリュウ
リュウと語り合っていると、雨曇りの空に光が差し始めた。濡れた花の周りを、数匹の蝶が飛び回っている。雨上がりの澄んだ空気が、境内の色彩を鮮やかに塗り替えていた。
「晴れたなぁ……良かった!」
このお堂は石段を登りきった永伝寺の最も高い場所にあるため、翠雨とリュウは黎明翠の石像がある広場を見渡すことが出来た。
「リュウ、どうしよう。蝶の死骸がそのままなんだ」
リュウは腰に手を当て空を見上げている。
「蝶の死骸? なんの話や」
翠雨は左隣のリュウを見上げた。
「黎明翠の石像の前に、蝶の死骸が落ちているはずなんだ。弱り切った蝶が、石像までおれを案内してくれた。そしたらリュウに会えたんだ! でも、道案内だけしてその蝶は死んでいった。放ったらかしは失礼な気がする」
「……は?」
翠雨はリュウの冷たい視線を感じ、思わず目を逸らした。
「でも、蝶のお陰でリュウに会えたのは事実だ。ちゃんと埋めてあげたいんだ」
リュウは優しく笑った。
「なら一緒に埋めるか。決まりやな」
彼は翠雨の目を見て、更に話を続けた。
「亡くなった人が蝶になって、会いに来てくれたのかもしれないよ」
「……その話、おれも知ってる! 守ってくれてるサインなんだよな?」
背伸びをしてリュウと目線を合わせる。
「じゃあ、あの蝶は……まさか黎明翠のファン? わざわざ会いに来たのかな……そんなわけないよな、ただの偶然……だよな」
しょんぼりする翠雨を置いて、リュウはお堂の屋根から一歩踏み出した。彼の背中は、とても大きく見えた。
「翠雨が信じたいと思う方を信じたらいい」
リュウは翠雨の方を振り返り、大人びた表情で笑っていた。黎明翠の石像がある広場へと歩いていく。
「リュウ!……おれを置いていくな」
石畳の階段を下るふたりの足音が響き渡った。
早足で参道を進んでいくと、すぐに黎明翠の石像へと辿り着いた。
雨を浴びた土の上で、グシャグシャになった蝶の死骸を見下ろす。
「それにしても小っさい石像やなぁ。金が無かったんか?」
「蝶の方を見ろよ、ほら……」
「……」
リュウは無表情になった。
「……蛾ちゃうか?」
「どう見ても蝶だっちゃ〜、羽根のフチがキラキラしとるよ?!」
「俺には美しく見えない。俺様は世界を違う視点から見つめているからな」
「話を逸らすな……あっ!」
蝶の死骸が風に飛ばされそうになった。
「翠雨、俺が埋めようか?」
思わず目を逸らしたくなるような、見るも無残な死骸だ。
翠雨はリュウへと笑顔を見せた。
「大丈夫! おれがやる」
「早く片付けてしまおう。生き物は死んだら終わりだ。埋め方なんて適当でいいだろう」
「今、思いっきり本音が出たな……」
翠雨は寂しそうに笑っている。
「でも、リュウの言う通りだよな。死んだら全部終わりだ」
リュウは地面に小さな穴を掘り始めた。黎明翠の石像のすぐ隣だ。辺りに落ちていた花びらを細かくちぎって散らしている。
リュウは飄々とした表情で、この穴にタイトルを付けた。
「蝶の墓場〜色鮮やかな花びらを添えて〜」
「フレンチ料理みたいだっちゃ〜」
翠雨は笑いながら蝶の死骸を手に取る。
「リュウはさ……黎明 翠って知ってる?」
「天睛役者やろ? 父親は脚本家としても名を馳せた人気役者……黎明翠は二世芸能人だ。幼い頃から生と死の狭間を表現する天才と評され、その名を轟かせていた……闇が深そうなガキだよなぁ」
「その言葉遣いはどうにかしろよ」
石像は穏やかな表情でふたりを見守っていた。翠雨は黎明翠に同情の目を向けている。
「二世芸能人かぁ……父親がやばい奴だったら地獄だな、逃げられないから。おれは二世芸能人じゃなくて本当に良かった」
翠雨はハッとした顔で口元を手で押さえた。リュウは聞かないふりをして穏やかな笑みを浮かべている。
「黎明翠は10代が全盛期よなぁ。20歳になった頃にはスポンサーだった将軍に飽きられて、支援が打ち切られてる。その後、将軍は黎明翠のライバルの支援に回った。左遷ヶ島に流された理由は不明、作品も全て消失……謎が多いよなぁ」
「酷い話だっちゃ……って、なんでそんなに詳しいんだよ」
「……」
リュウの瞳が一瞬だけ揺らいだ。彼は凛々しい表情で翠雨の質問に答える。
「俺は黎明翠の謎を追っている。そのために左遷ヶ島に来た。俺の家の近所に龍雨院という寺があって、その隣に黎明翠の天睛舞台が現存しているんだ、そこで、俺の弟は__」
リュウの声が風に攫われた。
「……弟は?」
「この話は、終わりだ」
「絶対何か隠してるだろ……まぁいいよ、おれは無理に聞き出すことは好きじゃない」
雲の隙間から、強い光が差し込んできた。翠雨は清々しい顔で伸びをする。
「京都と左遷ヶ島って、やっぱり繋がりが深いんだなぁ。こんなに遠いのに不思議だ」
翠雨は水溜りを眺めながら、リュウに質問を投げかけた。
「リュウ……話が急に戻るけどさ、黎明翠のライバルは、どんな人だったの?」
ふたりの視線が水面へと向いた。
「【 奏王 】……覆面の天才音楽家。黎明翠のことを実の弟のように可愛がっていたらしい。不思議な関係よなぁ」
「奏王」……その名が耳に触れた瞬間、翠雨の脳裏に、哀しげな弦の音が駆け抜けていった。
名前に込められた「王」の響きが、翠雨の魂に眠る何かを激しく揺さぶったのだろうか。
「リュウ……奏王は、ずっと人気者でいられたの? それとも、黎明翠みたいに飽きられてしまったの?」
「琵琶湖で処刑されている。それ以外のことは、誰にも分からへん」
リュウの声が春の空気を切り裂く。その言葉は、鋭い刃となって胸に突き刺さった。翠雨の明るい声が、闇のような沈黙を終わらせた。
「めちゃくちゃな時代だっちゃ……黎明翠は島流しで、ライバルの奏王は処刑?! リュウみたいな奴が将軍様なら良かったのになぁ……リュウ、その酷い将軍の名前は?」
「……今、ここでは言いたくない」
本堂に施された龍の彫刻が視界の隅に入った。龍は鬼のような眼で世界を見下ろしている。翠雨は切り替えるように明るい笑顔を見せた。
「クズ将軍の名前は、また会った時に教えてくれっちゃ!」
リュウは今までで一番優しい笑みを浮かべながら、深く頷いた。
彼らは丁寧に蝶の死骸を土の中に埋葬した。リュウは黎明翠の石像を見つめ、深くお辞儀をした。
「翠雨をよろしくお願いします」




