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第2話 スイウの秘密[残酷描写あり]

 翠雨は家路に続く道を歩き続けた。風に乗ってきた旋律が鼓膜を優しく揺らす。

 ――ピーヒョロ、ピーヒョロ……。


 主婦から聞いた不思議な現象と重なった。


『今朝、犬がすごく吠えるから、起きてみたら……笛と太鼓の音が聞こえてきたのよ。微かだけど、地面から響いてくるみたいで。ねぼけてたのかしら?』


 翠雨は誘われるように、商店街の路地裏へと足を踏み入れた。奥へ進むほど音が鮮明になっていく。島の底から微かに伝わるのは美しい笛の音だった。


 眩さを感じ視線を下ろすと、陰った足元で光り輝く、小さな石が目に入った。砕けたガラスのように鋭い切れ目を持っており、内側からは虹色の光が漏れている。自然が生み出す色彩では無かった。

「綺麗だ……」

 翠雨は興味深そうに拾い上げると、石の切れ目を片目にあて望遠鏡のように覗き込んだ。


 足元の地面が消失したような感覚に陥っていく。その瞬間、石の光が万華鏡のように広がり目の前に、見覚えのある春が映し出された。皆から言われる、あの言葉が響く。


『なんでその髪型なの?』


 翠雨の意識は、抵抗する間もなく、深く暗い記憶の海へと沈んでいった。


 

 ______


 放課後の夕日が差し込む教室。

 女子児童数名による「誰が翠雨くんと遊ぶか」を巡る大喧嘩が勃発していた。彼女たちが取っ組み合いをする姿を、翠雨はただ、呆然と見つめている。


 その時だった。ひとりの男子児童が教室に現れたのだ。彼は3年生の名札をつけている。

『翠雨、一緒に帰ろ!』

『……だけど』

 彼は翠雨の手を引っ張り、教室の外へと連れ出した。翠雨は安堵の表情を浮かべる。

『ありがと、マサキ』

『大変だったね。怖くなかった?』

 日野(ひの)マサキは翠雨の手を握ったまま離さなかった。ランドセルまで代わりに持ってくれている。


 翠雨は抵抗することなく彼に手を引かれ、稲穂が揺れる田んぼ道を歩いた。

 マサキはふと立ち止まり翠雨を見下ろす。

『翠雨って、俺と手を繋ぐのは嫌じゃないの?』

『変だとは思うけど嫌じゃない。ちっちゃい頃、お兄ちゃんともよく繋いだ』

『ちっちゃい頃? ……』

 マサキは楽しそうに笑っている。

『……あのさ、翠雨』

 彼は翠雨の両手を正面から握った。翠雨は不思議そうにマサキを見上げる。

「俺、翠雨のことが」


 その時、女性の声が割り込んできた。

『あんた……やっぱり』

 そこには引きつった顔でこちらを見つめる翠雨の母親の姿があった。


 彼女が青白い顔をしながら、翠雨の元へ駆け寄ってくる。

『男のくせに気持ち悪い! こっそり押し花を集めてることも私は知ってるからね……あんたってやっぱり、女になりたかったんだ』

『違う!そんなことない。おれは……』

『なら坊主にしな? 反省の証として!』

 翠雨は今にも泣き出しそうな声で反抗した。

『坊主だけは嫌だ! せめて前髪だけは残してほしい』

『……そっ、そっちのほうが変でしょ! 本当にそれでいいの? 流石に、私の良心が許さないわ』

『……おれのお母さんって明らかに悪人ではないよなぁ……どうしておれに冷たいの?』


 会話の途中で、マサキは翠雨を抱きしめて庇った。まるで女の子を守るような仕草だ。

 母親はそんなマサキと目を合わせる。

『マサキくん、ごめんね。もう翠雨には近づかないで。絶交してほしい』

『いやだ! おれが翠雨を守る! あんた、それでも母親かよ』

 マサキは彼女を睨みつけた。母親はため息をつく。


『マサキくんは、翠雨のことが好きなんでしょ? でもね、女の子みたいに可愛いのは今のうちだけだよ……翠雨は男の子だから……タイムリミットがあるの』


 マサキは目に涙を浮かべていた。


____悲しい春の記憶だ。




 翠雨は宝石の内側に広がる世界から意識を戻そうとしている。  

 しかし記憶は畳み掛けるように続く。

 クラスメイトから言われる、あの言葉が響いた。


『翠雨って本当に優しいよね』


 駆け抜けたのは、いつまでも鮮やかな春の記憶だ。

 湿った森の匂いが、すぐそこに蘇った。



_____


 翠雨は満天の星空のもと山奥に立っていた。隣に佇む父親は透明なボトルを手に持っている。


 ボトルに入っていたのは、害獣駆除に使用する毒薬だった。足元には動物たちを誘うように餌が置かれている。

「農家さん達が小動物に田畑を荒らされて困っている。ほら、翠雨がヒーローになれるチャンスだ……早く毒薬を撒いてしまえ、山に置いていくぞ」

 父親は呆れ顔で、わざとらしくため息をついた。

「本当に置いていくからな? 困るのはお前だよ」


 父親は翠雨を置いてあっさりと歩き出してしまった。

 その背中はみるみるうちに遠くなっていく。不気味な鳥の鳴き声が深く暗い闇に吸い込まれていった。


 翠雨は父親の背中を目で追いながら毒を撒いている。落ちていく粉末状の毒薬は満月の光に照らされ、宝石のように輝いて見えた。地面に置かれた餌と混ざり合い溶けていく。


 次の日の朝、翠雨はひとり毒を撒いた場所へと向かった。山奥に置かれた餌の前で立ち止まる。


 彼は横たわる小さな狸の死骸を見おろしていた。辺りには獲物を狙うようにカラスがグルグルと飛んでいる。翠雨から落ちた大粒の涙が子狸の死骸へと落ちていった。


 翠雨はその場に深く穴を掘ると、死骸を奥底へ埋めた。ポケットから取り出した桜の花びらを供える。


 最後に浮かんだのは、夕食時に見た能天気な父親の笑顔だ。

『そうか……殺してしまったか』

 他人事のような、どこか嬉しそうな口調だった。

『俺は冗談で言っただけなんだけどなぁ……人に言われたからって、動物を殺したら犯罪だよ。お前は犯罪者だ』

『どうしよう、おれ……』

『バラしてほしくなかったら俺の言う事を聞くこと』

 父親は隙のない笑顔を見せた。


『今日から婆ちゃんの介護をしろ。あれは【ダレデ症】だ』

『……ダレデ、症?』

『誰でしょう? 婆ちゃんの最近の口癖だ。ダレデ症の特徴に当てはまっている……いずれ家族の名前まで忘れてしまう病気だよ』


 父親は翠雨の頭にポン、とコンビニおにぎりを置いた。翠雨はおにぎりを手にとって少しだけ目を潤ませる。

『おれのために?』

 父親はゆっくりと重々しく頷いた。

『ああ、そうだ! ……翠雨にずっと言おうと思っていたことがある。翠雨にとって為になる話だ、聞きたいか?』

『なに……?』

 父親は翠雨の頭をポン、と撫でた。


『俺は怒っている時だけ、【翠雨】のことを【お前】と呼んでしまうんだ。名前があるのにな……』

 父親の顔立ちは一流俳優のように整っていた。高身長でスタイルも良く、どこを切り取っても絵になる人物だ。

『いきなり怒られるのは怖かったろ? もう安心していいからな。【翠雨】と【お前】さえ聞き分けていれば、俺の機嫌を損ねることはない。【お前】と言われた時点で、態度を改めればいいんだから! これからもよろしくな、翠雨』


『お前は嫌だ……名前で呼んでほしい!』

『おい、お前』

 父親は翠雨の胸ぐらをゆっくりと掴んで引き寄せた。その声には深い魅力があった。

『怒っている時は? 教えたよな……今の俺は、怒ってる? 怒ってない?』

 翠雨は目をそらしながら返事をする。

『……怒ってる。翠雨じゃなくて、お前って呼んでるから』

『なら、()()が今するべきことは?』

 父親は不気味な笑みを浮かべている。

『お父さんの……言うことを聞く』

()()は賢いなー!さすが俺の息子』

 父親はワシャワシャと翠雨の頭を撫でた。



 ____春の消し去りたい記憶……いや、凍てついたトラウマだ。



 

 放課後の教室でカズヤが話していた言葉が頭の中で再生された。


『金の龍を見つけて、転生寺(てんしょうじ)リンネに情報提供出来たら……賞金100万円だってよ』


 翠雨は震える手で、この不思議な石を手放した。トラウマの引き金となった石は、何の変哲もない灰色の石に戻っていた。

 腰が抜けたように路地裏に座り込み、呆然と空を見上げる。


 それは突然のことだった。

 雨曇りの空に金色に輝く細長い影がよぎったのだ。まるで巨大な金色の蛇が空を泳いでいるようだ。雲を掻き分け青空の中へと消えていく。


「金の……龍?!」


 金の龍は永伝寺(えいでんじ)の方角へと消えていった。

 金龍(こんりゅう)雨天神話(うてんしんわ)の龍と、翠雨に眠っていた孤独が重なっていく。


 視界を遮るほど濃い霧が、どこからともなく漂い始めた。吸い込むほど地面に沈んでいく感覚になる、薬物的な匂いがする霧だ。

 強烈な睡魔に襲われながら見渡した街は、薄暗いフィルターをかけているように見えた。




 





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