第11話 NOT……パパ……
遊楽は翠雨がいなくなった薄暗い小屋から窓の外を眺めていた。
雲を割って差し込んだ月光に、雨曇が覆いかぶさっていく。垂れ流しのラジオから聞こえる声だけが朗らかな夜だ。
『今日、4月8日はお釈迦様の誕生日! 金龍雨天神話で知られる京都、龍雨院では大規模な花祭りが開催されました……俺ね、行きましたよ。お花がとっても綺麗で……』
遊楽はフラフラと立ち上がり、小屋の電球をパッとつけた。
テーブルに置かれたアナログ時計は23時半を回ったところだ。
彼は床にドスンと座り座卓に頭を伏せた。足元に違和感を感じ、視線を落とす。
床に落ちていたのは、花のシールで封がされた一通の手紙だった。差出人は翠雨だ。
遊楽はシールが破けないように、そっと封を開けた。
手紙は恐ろしく下手くそな文字で書かれていた。しかし、一字一字丁寧に書こうとした痕跡がある。遊楽は手紙に目を通しながら、嬉しそうに口元を緩めた。
【ボールペンシルを買ってくれてありがとう。おれもいつか、お兄ちゃんみたいな中学生になりたい!!! お兄ちゃんがくれた、ボールペンシルでかいた絵を見てくれ】
「ボールペンとシャープペンシルが混ざっとるな。お前さんにあげたのはシャープペンシルだぞ。まぁ、喜んでくれてよかった」
遊楽は自身のタプタプとした二重あごを引っ張った。いつのまにか顎に出来ていた、小さなニキビの存在に気づく。
「高校生になったらアルバイトをして、もっと良いものを買ってやるからな」
手紙には翠雨が描いた華やかな花のイラストが添えられていた。
遊楽は胸ポケットから取り出したスマートフォンで、そのイラストを写真に収めた。動画投稿サイトのプロフィール画像に設定している。
SNS上の遊楽の名前は【詩王】だ。フォロワー数50万人、投稿した歌の動画には全て大量の高評価がついている。
作詞作曲、編曲歌唱、ミュージックビデオ……全て彼ひとりで行っている動画ばかりだ。
動画のコメント欄は熱烈な賞賛の声で埋め尽くされていた。
スマホからポコン、と通知音が鳴る。フォロワーからメッセージが届いたようだ。
遊楽は眠そうな目つきでメッセージに目を通している。差出人は匿名、そしてプロフィール画像も未設定だった。
【声変わりしたら終わりですよ、詩王さん。今から色々考えておいたほうがいいと思います】
立て続けにもう一通届いた。同一人物だ。
【音楽業界はビジュアルが全てなんだけどな〜。もっと売れたいなら顔出しをしてください。これは誹謗中傷ではなくアドバイスです。まさか顔に自身がない……? それは無いですよね(^o^)】
遊楽はスマホを布団に放り投げた。衝動的に壁を数発殴り、拳大の穴を開ける。
枕元に散らばった眠剤を、水も使わず大量に飲み込んだ。
翠雨から貰った手紙が目に入る。
【お兄ちゃんみたいな中学生なりたい!!!】
遊楽は突然、髪の毛をグチャグチャに掻き回し始めた。座卓の下に隠していた日記帳を開き、渦巻いた感情を書き殴る。
【今すぐにでも大人になりたい。早く大人になって、沢山のお金を稼ぎたい。でも、それまでどうやって弟を守ったらいい? まだ14歳の自分に、出来ることはなんだ?】
扉に埋め込まれた小さな窓が視界の隅に入る。遊楽は窓に映った自分の容姿をぼんやりと見つめた。
弟の翠雨とは、正反対の見た目であった。
夜が過ぎていく……そして東の空にゆっくりと光が差す。
遠くから新聞配達をするバイクのエンジン音が聞こえてきた。
遊楽は一睡も出来ないまま【4月9日】の朝を迎えた。彼は乱れた布団の上にあぐらをかいて座っている。その目つきは酷く消耗しきっていた。
「眠剤というものに、金を出す価値はあるのか……ん?」
ドコ、ドコドコ……
床に目線を落としたその時、予期せぬ振動が足元から伝わってきた。地下深くから物音が聞こえてきたのだ。遊楽は音の正体を確かめるために敷布団をはがすと、冷たい床に片耳を押し当てた。
ヒュルルル…… ドン、ドコ、ドン〜
遠い太鼓とかすれた笛の音だ。古ぼけた祭りの囃子のような音だった。微かだが、島の土の下で、確かに響いている。
しばらくするとこの音は、潮が引くように遠ざかり消えていった。
小屋はふたたび重い静寂に包まれている。
「また、病気が悪くなってきたか……」




