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第10話 月下のリュウ(挿絵あり)

 月夜の永伝寺(えいでんじ)は、底冷えのする静寂に包まれていた。

 謎の人影が吐き出す息は白んで闇に溶けた。


 フードを被った少年が、永伝寺の広場へと歩みを進めている。

 彼は黎明翠(れいめいすい)の石像の前に立つと、分厚い手袋をはめた手で、それを隅々まで観察し始めた。この石像には何か、謎が隠されているのだろうか。


 吹き抜けた春風が、彼の横顔を晒した。

 染め上げた金髪がよく似合う少年だ。翠雨より少し年上だろう。

 本堂の影から、気付かれないように翠雨を見張っていた【リュウ】だ。


 リュウは何故、影に隠れて行動をするのだろうか。そして何故、大陸タンポポの花を引き抜いたのだろう……全てが謎に包まれた少年だ。


 彼のスニーカーの先が柔らかな感触を捉える。草花の隙間に隠れていたのは、一冊の小さなノートだった。

 リュウは闇夜の中でも、辺りをハッキリと見通せる不思議な能力を持っているようだ。

 警戒しながらページをめくる。だが次の瞬間、彼の眉間の険しさがふっと抜けた。

 

 目に飛び込んできたのは、三途の川の底で老婆がキャバ嬢として客を捌く【姥捨(うばす)(がわ)】と言うタイトルのギャグ漫画だった。


 リュウのクールな仮面が剥がれ落ちていく。さらにページをめくると【異世界喫茶〜お婆Bar(ババァ)〜】【お婆ちゃんとボク〜言えなかった「ごめんね」〜】

 ……異常なまでの老婆シリーズが畳み掛けてきた。

 めくっても、めくっても、お婆さんが活躍して幸せになる物語ばかりだ。


【キミ〜☆シイナ】というペンネームの隣には自画像が描かれていた。その髪型は、一房(ひとふさ)の前髪だけを残し、それ以外は坊主に刈り上げられている。前髪の毛先は眉上で切り揃えられている状態だ。


「この髪型は……ひとりしか、いーひんよなぁ」

 リュウは呆れたように独り言を漏らし、切ないほど無邪気で、驚くほど魅力的な笑顔をこぼした。月明かりに照らされたその表情からは年相応の幼さが伺える。

 だが、最後のページに差し掛かった時、彼の笑顔がピタリと止まった。


 それまでのギャグ漫画とは一線を画す筆跡で、黎明翠が優雅に舞う姿が描かれていたのだ。

 着衣の重なり、中性的な体のライン。そこには石像を観察していたリュウさえも気づかなかった「祈り」が満ちていた。


【じゅうしょくさんから黎明翠は花がスキだったって聞いた。スキな物を身につけて、天国で幸せにおどっていてほしい】


 ページの端には、もどかしげなメモが残されていた。


【幸せそうにおどっている姿。どうしても、このポーズがむずかしくてかけん。お手本がないと分からんよ。お婆さんの絵なら、いくらでもかけるのに】


「なんで【じゅうしょく】の漢字が書けへんのに【婆】は書けんねん……熟女好きなのか?」


 リュウの瞳から鋭さが消えた。代わりに宿ったのは、奇妙な共感だ。


挿絵(By みてみん)


 手袋を脱ぎ、胸ポケットから鉛筆を取り出す。「幸せそうにおどっている姿。どうしても、このポーズがむずかしくてかけん。お手本がないと分からんよ」……そう翠雨が投げ出した黎明翠の絵の隣に、彼は正確で精密なお手本を書き添えた。翠雨の祈りが籠った線を尊重するように、隣に小さく描かれた、完璧なお手本だ。

 リュウは難しいはずの「踊っているポーズ」を、いとも簡単に描き上げたのだ。

 その横へ、翠雨の助けになるであろう美術資料のリストを、美しい文字で付け足していく。


 ――ギィ、と古びた床板が鳴った。

 住職の寝所の明かりが灯る。


「……誰かおるんか?」


 リュウは即座にページを閉じると、降り始めた雨からノートを庇うように、自らの懐へと忍ばせた。


 住職が扉を開けたときには、夜風に揺れる木々の影があるだけだった。


 リュウはすでに、常人離れした跳躍で境内を駆け抜け、恐れることなく闇の彼方へと消えていた。雲を割って差し込んだ月光が、一度だけ、その姿を神々しく金色に照らし出した。






 







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