第62話:さつきの神社祭(後編)―お嫁さんスタンバイ―
前編からの続きになります。
お祭りの夜の独特な雰囲気を感じながら、最後までお付き合いください。
高鳴る胸を抑えながら、楓とお祭り会場へ向かう。
夕闇のなか、浴衣の裾を揺らしながら歩く二人。
「突然、親戚の集まりに巻き込んじゃってごめんね」
「ううん。ウチもご飯ご馳走になっちゃって、なんか悪いな」
楓の言葉が心地よい。おじいちゃんたちが喜んでいたと聞いて、さらに口角が上がる。
将来、楓も馬主に……? 牧場に立つ楓。それを支えるウチ。
ああ、幸せすぎる。このまま勢いで手を繋げたら最高なのに。
(…… 将来、楓も馬主に……? )
そんな心の声がうっかり漏れ出てしまい、楓が不思議そうにこちらを見たけれど、なんとか誤魔化した。危ない、危ない。
会場に到着すると、ムツ、吉川、そして葵が待っていた。
葵の浴衣は、お母さんの予想通りの青系。しっとりと大人っぽくて、正直、めちゃくちゃ綺麗だわ。
楓が「きれいだ……」と零した瞬間、ウチの胸が少しだけザワついた。
楓、ひょっとして誰にでも言ってない?
確かに今日の葵はいつにも増してお淑やかだけど……。
「さつき、迎えに行ったんでしょ?」
案の定、葵がジロリとこちらを睨んできた。
「うん。おじいちゃんの家に結構早くに着いたからさ。一緒にご飯食べさせてもらってから来たんだ」
ウチはあえて余裕の笑みで答える。
「えっ! ご飯ご馳走になったの?」
葵の顔がみるみる強張る。
竜胆家のみんなと一緒に食べたという言葉に、彼女は「この世の終わり」みたいな顔をして絶句していた。
ちょっと煽りすぎたかな、と反省しつつも、高揚感は隠せなかった。
出店巡りは楽しかった。
ウチはお祭りの雰囲気に乗せられて、りんご飴を頬張った。
楓がこちらをじっと見ている。
ヤダ、そんなに見たら恥ずいよ。
なんかウチ、変な食べ方してた?
もしかして、色っぽい食べ方になってる? それとも口の周りに付いてる?
自意識過剰全開でドキドキしていたウチに、吉川が水を差した。
「井上さん、ご飯食べてきたんだよね?」
……ん? 吉川はウチが食べ過ぎだと言いたいのかい?
「いえ何でもありません」
吉川がウチの視線に怯えて目を逸らす。
でも、ふと横を見ると、楓もどこか微妙な顔でウチを見ている。
ひょっとして楓も……。
そうですか、そうですか。
そうですか……。
ウチが「よく食べる女」だと思われたってことね。あんなに可愛く浴衣着てきたのに。
お祭りは別腹なのよ!
けれど、そんな楽しい時間は、突然の「異変」で幕を下ろした。
葵の足。下ろしたての草履に鼻緒が食い込み、血が滲んでいる。
楓が深刻な顔で口を開いた。
「みんなごめん、俺ハルちゃんのこと送ってくわ」
その瞬間、ウチの顔には一瞬だけ本心が出てしまったと思う。
せっかくの、お祭りなのに。
でも、葵の申し訳なさそうな顔と、痛々しい足元を見て、すぐに気持ちを切り替えた。
葵だって、そんな形で楓を困らせたくて来たわけじゃない。
彼女が一番、この状況を悔しいと思っているはずだ。
「わかった……。楓、葵のこと、お願いね」
ウチは自分に言い聞かせるように、精一杯の言葉を楓に投げた。
二人の背中を見送る。
人混みの向こう、楓の背中に葵が負ぶわれている姿がチラリと見えた。
……仕方ない。葵は怪我人なんだ。
でも、なんだか胸がざわつく。
大丈夫。ウチは今日、楓の家族とあんなに仲良くなれたんだ。
おじいちゃんの家でご飯も食べたし、お馬さんも見に行く約束もした。
「うん、大丈夫。リードしてるのは、ウチ
だもん」
自分を鼓舞するように呟いて、ウチは吉川とムツに向き直った。
「吉川、イカ焼き食べたいなー! ムツ、ホタテの串焼き美味しそうだと思わない?」
「え、ちょっ、井上さん!? どんだけ食べるの!?」
騒ぐ吉川を無視して、ウチは出店の奥へと進んだ。
食べていないと、不安が隙間から入り込んでくる気がしたから。
三十分が過ぎ、一時間が過ぎようとしている。
楓からの連絡はない。
……流石に遅すぎない? 家まで送るだけだよね?
胸のザワつきが、確信に変わる。
ウチは隣でイカ焼きを齧っている吉川の肩を掴んだ。
「吉川。楓に連絡して」
「えー? 今、イカ焼きもホタテの串焼きも買わされて、さらに電話もしろって……。ムツ、女の子とお祭りってもっと夢のあるものを想像してたんだけど……。俺って可哀想な奴だと思わない?」
吉川が泣き言を漏らすが、ウチは一切容赦しなかった。
「……なんか言った?」
「いえ、何も」
呼び出し音が続く。
ようやく楓が電話に出た。
『おう楓、春日さん大丈夫だったか?』
吉川がわざとらしく聞き、ウチはその横で聞き耳を立てる。
『井上さんが電話しろってうるさいもんだからよ』
……吉川! 余計なことを言うな!
ウチは思わず背後から叫んだ。
「ちょっと吉川、余計なこと言わないで!」
これじゃあ、ウチが嫉妬して監視してるみたいじゃない!
『もうそろそろ解散するからさ、一応連絡入れたんだわ』
電話が切れた。
吉川が「楓、もう家に着いてて帰るってさ」と報告してくる。
……そっか。そうだよね。
二人で何かあったらどうしようと思ったけど、何かあるわけないもんね。
うちら付き合い長いし、家まで送っただけ。何かあるわけない。
ウチ、ちょっと感じ悪いな……。
「吉川、ムツ。今日はありがとう。楽しかったよ」
「吉川、感じ悪いことしちゃってごめんなさい。いろいろありがとね。また学校でね!」
ウチは精一杯の笑顔で二人と別れた。
「惚れてまうやろー!」
遠くで、吉川の声が聞こえるが知らん知らん。
夜道を一人、帰路につく。
下ろしたての金魚の浴衣が、少しだけ重たく感じられた。
大丈夫。ウチはかなりリードしてるんだ。
明日からおばあちゃんの料理の練習をして、今度おじいちゃんの家に行くときに披露して。
そうやって、一歩ずつ楓の心に入り込んでいけばいい。
「……葵に負けてらんないんだから」
夜空を見上げ、ウチは小さく呟いた。
楓の背中の感触を、今日、一番長く感じたのはウチではなく葵だったかもしれない。
けれど、彼が帰るべき「場所」に一番近いのは、ウチ。
そう信じて、ウチは明日からの「お嫁さんスタンバイ」に向けて、気を引き締め直すのだった。
後編までお読みいただきありがとうございました!
お祭りの楽しさと、その裏で揺れ動く感情。
それぞれの想いが交錯する夜でしたね。




