第58話:不正解のなかの正解
学校祭という祭りの熱狂が去り、校舎はいつもの、少し退屈で落ち着いた日常の匂いを取り戻していた。
「おはよー、楓。昨日はお疲れさん」
「うっす、皆ちゃん、吉川、ムツ。……まぁ、あれだけ暴れりゃな」
教室に入ると、いつものメンバーが顔を揃えていた。
皆ちゃんこと皆月は、いつも通りの涼しい顔をしているが、俺の方はどうにも落ち着かない。
無理もない。昨日のステージ裏で、彼と彼女の「あのキスシーン」を、俺が一方的に目撃してしまったのだから。
気恥ずかしさに耐えきれず、俺は早々に視線を逸らした。
教室の空気は、祭りの余韻で浮き足立っていた。
あちこちで「あのステージのさっちゃん、マジで天使だったよな」「いや、ハルちゃんの歌声、鳥肌立ったわ」という声が聞こえる。学校祭マジック。この数日で、校内の恋愛模様が塗り替えられたのを感じる。
「はぁ……なんかねー。俺にもこう、運命的な出会いとか、空から女の子が降ってくるとか、ねーかな」
俺が机に突っ伏してぼやくと、皆ちゃんが呆れたように言った。
「お前なぁ……井上さんや春日さんが隣にいて、何を贅沢言ってるんだよ」
「ははっ、あの二人とは腐れ縁っていうか、長い付き合いだからさ。そんなドラマチックな関係にはならなそうだよ」
すると、吉川がガタガタと震えながら割って入ってきた。
「……俺、あの二人超コワイ。お前が死んだことにして遊んでたら、あの二人にがっつり詰め寄られた時、マジで三途の川が見えたからな」
「あー、あん時はわりぃ。まぁ、お前が一方的に悪いんだけど、フォローしてあげれんくて悪かったわ」
ムツがパンを齧りながら、ボソッと言った。
「……告白すりゃいいじゃん」
「無理。絶対無理」
俺は即答した。脳裏に、封印していたはずの中学時代の「玉砕トラウマ」が蘇る。
「俺さ、中学の時に仲の良い子がいてさ。一緒に遊ぶことも多くて、これはいける!と思って告白したんだ」
「で?」
「玉砕」
「一週間後には、ヤンチャな不良グループの奴と付き合ってたわ」
「なかなか、えぐいね……」
ムツが同情を寄せる。
「中3の時はもっと酷いぞ。修学旅行前、一緒にいる時間が長かった仲のいい子に告白したら、一言『無理』って言われて、そのまま走って逃げられたからな……」
「オーイェー……」
ムツが壊れ始めた。
「その直後の修学旅行がまた悲惨でさ……」
「三日天下事件だろ? それは俺が話してやんよ」
吉川が重々しく語る。
修学旅行中、女子グループから半ば強制的に紹介された子とお互いの了承もなく付き合う形になり、旅行後に即振られたあの件だ。
「あん時はありがとな、吉川。俺も自暴自棄になってたけど、お前が他に広まらないように火消ししてくれたおかげで助かったよ」
皆ちゃんが、痛々しいものを見る目で俺を見た。
「……大分こじらせてるな」
「そう。俺はもう、振られたくないんだ。だから、ドラマチックな出会いで、結婚前提で告白されたいのよ」
『飛躍しすぎ!!』
総ツッコミをもらう。息ぴったりだね!
そんな会話を終え、放課後。
部活へ向かうため、1年生のフロアである4階を歩いていると、ミツルに呼び止められた。
「楓先輩! 1年生の女の子に、先輩を呼んできてほしいって頼まれたんすけど」
「……なんだべな。愛美っぽいな」
ミツルに案内され、俺は空き教室の扉を引いた――まさにその時。
「……むむむ! 葵! 見た!? 今、楓が空き教室に入っていったよ!」
廊下の角から、さつきが鋭い声を上げた。
「えっ、本当? 楓くん、ここ1年生の階だし……用事なんてないはずだよね?」
葵も目を丸くして立ち止まる。二人の間に、ただならぬ緊張感が走った。
「ちょっと、ミツルくん! 止まりなさい!」
さつきが、逃げようとしたミツルの襟首を掴む。
「ひっ! い、さつき先輩、ハル先輩……顔が怖いっすよ!」
「いいから話しなさい。楓を呼び出したのは誰? 目的は?」
さつきの低音のプレッシャーに、葵も一歩詰め寄る。
「ミツルくん、本当のこと話して。……ね?」
葵の微笑みながらも笑っていない瞳に屈し、ミツルは震えながら白状した。
「……い、1年生の女の子に、りん先輩を呼んできてくれって頼まれたんす……告白、するんだと思います……」
二人の顔から一瞬で血の気が引き、次の瞬間には般若のような形相に変わった。
「……行くよ、葵」
「うん……」
ミツルを置き去りにし、二人は音を殺して空き教室の扉へと近寄った。
中では、小柄なおさげ髪の女の子が立っていた。
「あの……どなたでしょうか?」
「1年生の、塩崎です。……りん先輩のこと、中学のときから、ずっと好きでした! 吹奏楽やってる姿も、生徒会長として頑張ってる姿も、もちろん学校祭でのバンドも!」
(えっ、えええええ!?)
驚く俺に、彼女はさらに続けた。
「バレンタインのチョコ……受け取ってもらえて、嬉しかったです」
頭の中で記憶を辿る。
バレンタイン?
あーそういえば、愛美からはチョコもらったけど。
なんか手紙入ってたけど名前かいてなかったんだよな。
ん? 書いてあったけど、消されていた?
俺はてっきり愛美がくれたものだと思っていたけど。あれは……。
記憶が繋がる。名前が消されていた、あのチョコ。あれは彼女のものだったのか。
となると犯人の目的は……。
A 身元を隠すため?
B どこかへ運ぶため?
C 恨み?
「先輩?」
「はいっ!」
「先輩! お付き合いしてもらえませんか?」
ドラマチックを所望したが、これはミステリーかサスペンスの方のドラマだよ。
震える彼女を前に、俺の脳裏に「走って逃げられた自分」が重なる。
傷つけたくない。その一心で、俺は言葉を紡いだ。
「塩崎さん……ごめんね。今は自分のことで目一杯なんだ。……塩崎さんはB組かな? 黄翔隊だったんだ。接点、あまりなかったよね」
「……」
「もう少し俺が余裕を持てればいいんだけど。そうだ、また演奏会とかさ、聴きに来てくれると嬉しいな」
空気を和らげようとした俺の「優しさ」は、彼女には毒でしかなかった。
「……先輩、断るなら、そんなに優しくしないでください! 余計に諦められなくなるじゃないですか!」
「っ……」
「ごめんなさい……失礼します!」
彼女は泣きながら、扉へ向かって走り出す。
「うわっ、来るよ!」
覗いていた二人が慌てて影に隠れるのと入れ替わりに、塩崎さんが泣きながら教室を飛び出していった。
自分なんかに告白してくれた子が申し訳ない。無下にするのが怖くて丁寧に接した。それが、一番彼女を傷つけたのか。
「……何が違うんだろ。なんで俺、こんなに苦しむんだ」
窓の外を眺め、立ち尽くす俺。
――ガラッ!
教室の戸が、勢いよく開いた。
そこには、般若のような顔のさつきと、悲しげに首を振る葵が立っていた。
「楓、あんたねぇ。あの子のこと、もっと傷つけてるよ」
「……りんらしいけど。それじゃあ、誰も幸せになれないよ」
二人の「お説教」が、静まり返った教室に響いた。
「えっ、さっちゃん……ハルちゃん!? なんでここに……」
「そんなのどうでもいいわよ! あんた、今の断り方はないでしょ!」
さつきが俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
「『接点がなかった』とか『余裕がない』とか、そんなのただの言い訳じゃない! あげくに『演奏会に来てほしい』? あんたねぇ、振った相手に『また会いに来て』なんて、どの口が言ってるのよ!」
「……え、だって、せっかく勇気を出してくれたんだし、できるだけ優しく接してあげたいと思って……」
俺がしどろもどろに答えると、今度は葵が静かに、でも重い溜息をついた。
「りん、それは優しさじゃないよ。……残酷だよ」
「……残酷?」
「うん。期待を持たせるようなことを言ったら、あの子はいつまでも次の恋に進めない。本当にあの子のことを思うなら、自分は応えられないって、ちゃんと言葉でトドメを刺してあげなきゃダメなんだよ。楓はなんでハッキリしなかったの?」
俺は少しずつ何かに気づき始めた気がする。
そうなんだよ、自分の中で断る理由がはっきりしてなかったんだ。
塩崎さんとは付き合えないという結論はあっても、その理由が明確でないから色々話してしまったのだろう。
俺が断った理由か……。
吹奏楽に集中したい?
バンドの方が大事?
仲間との時間?
どれもしっくりこない。
告白してくれる人がいてくれればいいなって、思ってたはず。
「俺に好きな人がいるからなのか?」
口に出していた。
時間が止まる。
(あれ、なんか楓が真剣に好きな人がって……)
(二人で煽りすぎちゃった? りんが変な方向に行ってない?)
「……悪い。俺、間違ってたね」
「うん……」
「そう……だね……」
「ありがとう、まだ上手くいえないけど、自分のことをしっかり考えてみるよ。さあ部活いこうか!」
俺が悩みながら前を向こうとする中、後ろでは二人が固まっていた。
「ねえどう言うこと? ウチのせい?」
「私も言い過ぎたかも……」
「好きな人って!? 自分のこと考えるって!?」
ドツボにハマる二人のことは、今の俺には知る由もなかった。
最後までご覧いただき、ありがとうございます!
まさかの展開に、さつきと葵も困惑気味ですが……。
不器用な楓なりに、自分の心と向き合う一歩になったようです。
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