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第53話:奈落へのカウントダウン

 保健室での甘い時間は、一瞬にして修羅場へと変わる……。


 怪我をした楓をめぐり、さつきと葵の脳内では

 「介助」という名の桃色のシミュレーションが暴走中!

 しかし、そんな二人の前に現れたのは、

 圧倒的な「過去」を武器にする一年生、愛美でした。


 ヒロインたちの幸せな妄想が、粉々に砕け散る音が聞こえる第53話。

 嵐を呼ぶ新キャラクターの攻勢をお楽しみください。


 保健室での穏やかな、そしてどこか甘い時間は、扉を開けた瞬間に終わってしまった。


 両手に真っ白な包帯を巻かれた楓を挟むようにして、ウチと葵は廊下を歩き出す。

 でも、その足取りとは裏腹に、ウチの脳内では学校祭の喧騒を忘れちゃうほどの「桃色のシミュレーション」が爆発しているんであります!



(……ちょっと待って。両手が使えないってことは、ご飯も、着替えも……)


 自分の頬が火が出るほど熱くなっていくのがわかる。

 思い浮かぶのは、湯気が立ち込めるお風呂場だ。全裸で困り果てている楓に、意を決したウチがバスタオル一枚で近づいていく。


『も、もう! 仕方ないわね……ほら、じっとしてなさいよ。……どこから洗ってほしいわけ?』


 真っ赤になって視線を泳がせる楓。その広い背中に、泡立てたスポンジを当てる。

 ……なんて、それだけじゃ済まないでしょ!


 しょうがないから、お風呂も一緒に入ってあげる!

 お風呂は狭いから、私の後ろに楓が入るの。最初は照れていた楓も、やっぱり男の子だから、ウチのことを後ろから優しく抱きしめてきちゃったりして……。


『……なあに? 楓……んっ……』


 振り返ったウチの唇を、楓が――。


(ヤバい。何それ、イャーエッチ! でもウチが全部やってあげなきゃいけないし、介護、そう、これは介護なのよ! ふふっ、やばいニヤけちゃう。顔に出ないようにしないと……ふふふっ)



 隣でさつきが変な顔で悶えているのを余所に、私はゆっくりとりんの隣を歩く。

 りんの横をこうやって歩くのって、意外になかったかも。なんだかさっきの事もあって、胸の奥がずっとドキドキしてる。


 りんって、頼りになるかっこよさと、優しさと、ちょっと抜けてるところが良いなって思ってたんだけど。

 あの保健室で見せた、甘えた感じ……。あんなの、可愛すぎて反則だよぉ。


 でも、もしりんのあの手が、このままだったらどうしよう。

 ……自由の利かない、りん。……私がいなきゃ、何もできない、りん。


『りん、はいアーン』

『恥ずかしいよ、自分でなんとかするよ』

『その手でどうやって食べるつもり? ほら、アーン』

『……もぐもぐ』

『おいしい?』

『うん、おいしいよ。葵がそばにいてくれて嬉しいよ。ずっと一緒にいたいな』


 エヘヘ、そうなってくると、お風呂だって大変だよね……。

 背中、流してあげる。……ううん、私も一緒に入っちゃう。

 一生懸命に視線を逸らすりんの、その耳まで赤くなっている姿を独り占めするの。


 これからずっと、一緒なんだから。ね?


 お風呂上がりの無防備なりんに、私がパジャマを着せてあげる。

 そのままベッドまで手を引いて。恥ずかしがるりんの両手を押さえて、私が、全てを独占して……。


(ん? あれ、このままどうなっちゃうの!? 私、こんなに肉食だったっけ!? ……アハっ、ダメダメ。いつもの私に戻らないと!)



 ウチは――。

 私は――。


 互いに視線を合わせることなく、心の中で「ウチが面倒を見る!」「私がりんの手になる!」と猛烈な火花を散らす。

 だが、そんな幸せな妄想は、廊下の向こうから近づいてくる軽快な足音によって、無残にも叩き割られてしまう。



「楓くん! さっきのドラム、めちゃくちゃかっこよかったよ!」



 ――ガシャン。

 脳内で、幸せなガラス細工が粉々に砕け散った。

 そこに立っていたのは、一年生の黒崎愛美。


「おう、さんきゅー。見てくれてたんだな」


「当たり前じゃん、楓くんとレンくんが出てるんだもん。昔っから二人でやってたもんねー、そのスタイル。中学の時よりずっとパワフルになってて、びっくりしちゃった」


 その言葉の端々から漏れ出す、圧倒的な「既視感」と「過去の共有」。

 そして、圧倒的なプロポーション。

 何だそのスタイルの良さ、さつきでも結構あるなって思ってたけど、なんだその勝ち組ですって胸は!

 楓が「かるたの大会で会っただろ?」なんて紹介を始めるけど、そんなことはどうでもいい。


「その節はお世話になりました。春日先輩でしたっけ? 私の楓くんに苦渋を舐めさせていただき、ありがとうございました」



『私の? 楓くん?』



 ウチと私の声が見事に揃った。それはもはや怒りを通り越して、底冷えするような拒絶の声。

 なんだコイツと思ったけど、この女の攻勢は止まらない。彼女はチラリと私達を一瞥すると、口元を不敵に歪めて言い放った。


「あ、もしかして……昨日、体育館でショートムービー流して、男の人たちをたらし込んでたお二人ですよね? 井上先輩でしたっけ? 凄かったですよねー、あの色気。校内の男子、みんな鼻の下伸ばしてましたよ?」



 ――たらし込んでた。

 そのトゲのある言い回しに、ウチの額に青筋が浮かぶ。隣の葵からも、かるたの時以上の青白い闘志が立ち昇るのが見えた。


(あのショートムービーで共有した、私達二人だけの絆を塗りつぶされる感覚。けして、友情なんかじゃ無いけど、互いに口に出せない事を守ろうとした思いが踏み躙られている……!)


(何よその、私はあいつのすべてを知ってますみたいなマウント……! 中学の時のリベンジを誓って、今日まで楓の隣を死守してきたウチの想いを、この小悪魔は土足で踏み荒らしてる!)



「えー、褒めてるんですよぉ? 楓くんも、あんな公衆の面前で魅力振りまくようなお姉さんたちに囲まれて大変だねって。……ね、楓くん?」


 愛美はわざとらしく楓の腕に手を添えるような仕草を見せ、さらに追い打ちをかける。


「でも、派手なムービーで釣るような人たちより、楓くんの本当の『思い』を知ってるのは、私だと思ってるから。……ね」


「それにしても、ひどい格好だね楓くん。帰り送ってこうか? ちょうどママが車で迎えに来るからさ。その手じゃバイクのハンドル握るのも無理でしょ? 」


「美沙さん来るのか? ……悪いな、この手じゃ原付も乗れないし。迎え、助かるよ。頼むわ」


 楓のその一言。それが、ウチらの堪忍袋の緒を完全に引きちぎった。

 

 妄想していたウチの「入浴介助の幸せ」も、私の「パジャマを着せてあげる喜び」も。

 すべては「美沙さん」とやらと、この生意気な一年生に奪われちゃった!!



(……信じられない。さっき、私があんなに勇気を出して、一番いい雰囲気だったのに。それを、あっさりと他の女の子に付いてくなんて……りんのバカ!)


(このバカ楓……! ウチらの心配を何だと思ってるのよ! アンタにだけみてもらいたくてウチら頑張ったんでしょうが!)


「決まり! じゃあ帰り、玄関ね。春日先輩達、楓くん返してもらいますね。後でねー!」


 愛美は最後にもう一度、勝ち誇ったような、そして明らかに「この人は私のものだから、手を出さないでね」という宣戦布告の目を向けて去っていった。



 嵐が去った後のような沈黙の中、楓が能天気に呟く。


「いやー良かった、帰る手段見つかったわー。これでバイク置いていけるし、明日の体育祭に向けて少しは休めそうだよ」


 この男の、この、救いようのない鈍感さ。

 私が手のことを気にして、ウチが保健室に引っ張っていった本当の意味に気づいていない、幸せな甲斐性なし。



「ヘー、ヨカッタネー。幼馴染の、美人の、お母様が、お迎えなんて」


「コノ、カイショーナシー……。りん、少しは警戒心を持たんかい! って話だよ。ニコッ」


「二人とも、どうしたんだよ……目が怖いよ? 言葉と表情があってないんだけど……うわ、痛っ! なんで小突くんだよ!」



 怪我してるけど、もう知らん。えいえい!

 たらしは楓、お前だ!


 これはりんが悪い。あの女もクズだけど、りんが悪い! ていっ!


 でも、あいつなんとかしないとなー。

 明日の体育祭、死ぬ気で頑張って、後夜祭で。


 ウチが――。

 私が――。


 隣を絶対勝ち取ってやる!

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。


 さつきと葵、まさかの妄想内容が丸被りという(笑)。

 それだけ二人が楓を想っている証拠ですが、

 そこに「幼馴染」の特権をフル活用する愛美が乱入!

 

 「私の楓くん」という直球すぎる宣戦布告に、

 普段は穏やかな二人からも、底冷えするような闘志が。

 

 楓の鈍感さが、もはや罪深いレベルに達していますが、

 物語はいよいよ体育祭、そして後夜祭へと向かいます。


 次回もどうぞお楽しみに!


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