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第52話:三人だけの聖域

【前書き】


ライブが終わった後の、あの独特の静寂と余韻。

ステージで圧倒的な光を放っていた楓が、一人の不器用な男の子に戻る瞬間を描きます。


ボロボロになった彼の手を見て、さつきと葵が感じたのは「怒り」と、それを上回るほどの「恐怖」でした。

祭りの喧騒から切り離された保健室で、三人の想いが重なる少しだけ特別で、甘い時間。


三人の距離がぐっと縮まる、静かな一幕をお楽しみください。


 体育館を支配していた爆音の残響が、ゆっくりと天井へと吸い込まれていく。

 真っ白な光の中に立ち尽くす、一人のドラマー。

 膝を突き、肩で荒い息を吐くその姿は、間違いなくこの瞬間の王だった。


 降り注ぐ拍手と歓声、ステージを揺らすほどの熱狂。けれど、客席の最前列でそれを見つめていたウチにとっては、楓は手の届かない存在なんかじゃないんだ。

 汗にまみれ、激しく肩を上下させ、力尽きたように座り込む、ただ一人の不器用な男の子。

 それなのに、どうしてあんなに、目を離せないほどに輝いて見えてしまったんだろう。


「さつき、たぶんりん、手を怪我してる……!」


 隣にいた葵が震える声で教えてくれた。

 なんだろう? 葵の目は不安や恐怖みたいな視線で楓の両手に釘付けになっている。 

 あの素手での演奏? そうだよね、ドラムなんて手で叩くものじゃないし、あんな音鳴るわけない。……あいつ、また無茶したんだ。


 ウチらの知らないところで、あんなボロボロになるまで……。


「……あんなバカな叩き方して。行くわよ、葵!」


 ウチは余韻に浸る観客を強引にかき分けた。

 「ちょっと!」「危ないわね」なんて不満げな声が飛んできたけど、今のウチにはそんなのどうでもいい。


 ステージを降りようとする楓の、まだ熱を持った腕を迷わず掴んだ。

 驚いたような顔をするあいつを無視して、そのまま裏口へと連れ出す。


 オレンジ色に染まった渡り廊下。

 校舎の影が長く伸びて、喧騒が少しだけ遠のいた場所で、ようやく足を止めた。

 葵が震える手で、楓の大きな手をそっと広げる。


 葵の指先が楓の肌に触れた瞬間、ウチの心臓がキュッと痛くなった。


 だって楓の手は、パンパンに腫れ上がって、まるで自分の意志とは関係ないみたいに小刻みに震えていたんだもん。

 フープに打ちつけた手のひらも、力一杯叩きつけた指先も、どす黒く変色しちゃってる。


「……楓、保健室行くよ!」


 ウチの怒鳴り声に近い叫び。

 だって本当に怖かったんだもん。

 もう動かせなくなるかもとか思ったら、不安を誤魔化すためにも声を出すしかなかったの。

 抵抗するあいつを、ウチと葵で左右から固める。

 逃がさない。絶対に、自分勝手に「大丈夫」なんて言わせない。


「……ちょ、そんな引っ張らなくても、自分で歩けるから」


 廊下ですれ違う生徒たちが、何事かとこちらを振り返る。

 さっきまでステージの主役だった男が、両脇を女子に抱えられて連行されている姿は、端から見れば奇妙だったかもしれない。

 けれど、そんな他人の目なんて気にしている余裕なんてもうなかった。


「文攻言わない! 何考えてるの、あんな叩き方して! バカなの!? バカなんだよね!?」


 ウチの声が、誰もいない廊下に鋭く響く。

 あんた、本当にバカなんだから。

 もし、この手が動かなくなったらどうするつもりだったのよ。

 大好きな音楽も、ドラムも、全部できなくなっちゃうんだよ。

 ウチが腕を引く力に怒りと焦りを込める横で、葵は楓の手を、壊れ物を扱うような優しさで、大事そうに、祈るように抱えていた。


「そうだよ楓。もし指が折れてたらどうするつもりなの? あなたが局長なんだよ? 局長がいなくなったら、定期演奏会だって困るんだからね。責任感なさすぎ!」


 葵の声は静かだったけれど、そこには今にも決壊しそうな涙の響きがあった。

 本当は「局長だから」なんて、そんな組織の話なんてどうだっていいんだ。

 葵にとって、あいつを「りん」と呼ぶ彼女にとって、あいつがどれほど代えがたい存在なのか。

 言葉にできない祈りのような体温が、隣にいるウチには痛いほど伝わってきた。



 放課後の保健室は、祭りの喧騒から完全に切り離された別世界のようだった。

 漂う薬品の匂いと、独特の静寂。


「あらあら、派手にやったわね。どうやったら, こんなになるのかしら」


 呆れ顔の先生が、手際よく用意してくれた氷嚢を楓の両手に乗せる。


「二、三十分は冷やしておきなさい。手は心臓より上にして。ちゃんと守らないと腫れも痛みも引かなくなるからね」


 先生がカーテンの向こうへ消えた瞬間。

 ウチと葵の「お説教タイム」が再開された。


「ちょっと楓, あんたね! 本当にバカなの!? 何考えてあんな叩き方したわけ!?」


 ベッドの脇に仁王立ちして、あいつの顔を覗き込む。


「いや、でもさ、あそこは止めるわけにいかなくて……。アンコールまでもらって、最高の雰囲気だったし……。俺たちのバンドの、最初で最後かもしれない見せ場だったんだよ」


 あいつは俯きながら、消え入りそうな声で弁明する。その言葉を聞いて、さらに胸の奥がギュッとなった。

 あの日、楓の部屋に集まって、防音に気を使いながら必死に合わせた時間。

 狭い部屋で楽器を突き合わせ、ボロボロになるまで練習したあの時間は、確かにウチら三人の「聖域」だった。

 それを最高の形で終わらせたかった気持ちは、痛いほどわかる。わかるからこそ、余計に腹が立つのだ。


「言い訳しない! スティック飛ばしたならそこで終わりでいいじゃない! なんで素手でいくのよ! 指が動かなくなったら、あんたの好きなドラムだって叩けなくなるんだよ!?」


「そうだよ楓。吹奏楽局のみんなだって、りんの音を楽しみにしてるんだよ? 私たちだって、そうなのに。もし指が折れてたら……後悔しても遅いんだからね!」


 ウチと葵で交互に、代わる代わる言葉の矢を放つ。

 あいつは氷嚢を抱えたまま、「うっ……」「いや、それは……」と小さく呻きながら、逃げ場のないベッドの上で小さくなっていた。


 たっぷり十五分。

 あいつが完全に項垂れるまで, ウチらはこれでもかというほど説教を畳みかけた。

 それは、あいつへの怒りであると同時に、あいつをそんな極限まで追い込んでしまった自分たちへの苛立ちでもあったのかもしれない。


 ……やがて。

 吐き出す言葉が尽きた頃、保健室にふっと深い静寂が訪れた。

 カーテンの隙間から差し込む午後の斜陽が、静まり返った部屋をオレンジ色に染めている。

 氷嚢の中の氷が、カランと小さな音を立てて崩れる音だけが、やけに大きく響いた。


 冷たさに時折顔を顰める彼を見て、私は自分の胸の奥が、氷とは真逆の熱でチリチリと焼けるような感覚を覚えていた。

 怒りたいのに、それ以上に胸が苦しい。


「怪我してまでステージに立つなんて、かっこよくないんだから……」


 私は彼の手を冷やす氷嚢がずれないよう、そっと指先を添えた。

 りんの手からは、まだ激しい演奏の名残のような、暴力的なまでの熱が伝わってくる。

 その熱に触れていると、さっきまで客席で感じていた、あのアドレナリン全開の彼との絶望的な「距離」が、少しずつ溶けていく気がした。


 りんは天井をぼんやりと見つめながら、消え入りそうな声で漏らした。


「……だってさ」


 その横顔には、さっきまで数百人の観衆を熱狂させていた王の姿はなかった。

 どこか迷子のような、自分の居場所を探している子供のような、心細い瞳。


「昨日、二人がステージであんなに綺麗で、可愛くて……誰よりもカッコよかったから。なんだか、見ていて誇らしい反面、二人がずっと遠くに行っちゃいそうだったんだよ」


 さつきの、そして私の言葉が、同時に止まった。

 氷嚢の中の氷が、再びカランと音を立てる。


(……あ、同じだったんだ)


 私たちが昨日の上映会で感じていた不安を、りんも同じ場所で感じていたんだ。

 自分たちが輝けば輝くほど、お互いの距離が開いていくような、あの説明のつかない恐怖を。

 あんなに激しくドラムを叩いていた理由が、私たちの隣にいたいという、そんな切実な想いだったなんて。


「だから、俺も今日ぐらいは……。二人に並べるくらい、主役になってみたかったんだって……」


 りんは、ライブ後の昂ぶりのせいか、少しだけ潤んだ瞳を隠すように、本気なのか冗談なのか甘えた声でつぶやいたんだ。

 その瞳に宿る、かすかな揺らぎ。

 いつも強がっている彼の、一番柔らかい部分を見せられた気がして、胸が締め付けられる。


「一生懸命頑張ったのに、二人にこんなに怒られるから……。なんだか、悲しくなってきた……」


 ……卑怯だよ、りん。

 あんなに圧倒的な存在感を見せつけておいて、最後はそんな子供みたいに甘えるなんて。

 あんた、本当に自分の武器を分かってやってるんでしょうね。

 ウチは呆れたように、けれど愛おしさを隠せない手つきで楓の頭を撫でた。


「ずーるーいー、心配したんだぞー」


 あんな風に、あんな声で言われたら、もう怒れるわけないじゃない。


 さつきの言葉に合わせるように、私は反対側から彼の柔らかい髪に触れた。


 主役になってみたかった、だなんて。

 りんは、あの泣き顔を見せてくれたあの日からずっと、私の世界のど真ん中にいる主役なのに。

 それを一番知ってて欲しいのに……。


「ごめんね, りん。……ちょっと, 怒りすぎたかな。でも、本当に心配したんたぞ!ニコッ」


「……うん, ありがと。わかってるよ」


 りんは少しだけ安心したように目を閉じた。

 西日が差し込む保健室。外からはまだ祭りの喧騒が聞こえてくるけれど、今のこの場所だけは、私たち三人だけの、誰にも邪魔されない特別な時間が流れていた。



 ――って、思ってたんだけどなぁー。


【後書き】


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


お互いの「輝き」に焦りを感じて、必死に隣に並ぼうともがく三人の関係性。

少しずつ、でも確実に変化していく彼らの距離感を感じていただければ嬉しいです。


「三人だけの特別な時間」に浸る楓でしたが、物語はここで終わりません。

保健室の扉を開けた先に待っていたのは、穏やかな余韻を粉々に砕く「あの小悪魔」の襲来でした……。


次回、第53話「奈落へのカウントダウン」。

ついに女子二人が「共通の敵」を前に、恐ろしい結束を見せることになります。

波乱の展開をお見逃しなく!


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