第51話:二色の平行線
学校祭、二日目。
これまで楓の視点で語られてきた、焼きそば、お化け屋敷、そして伝説となった後夜祭ライブ。
その時、彼の隣にいた彼女たちは、一体何を感じていたのでしょうか。
「日陰者」を自認する彼と、彼を「光」へと連れ出したい彼女たち。
同じ場所で同じ時間を過ごしながらも、それぞれの胸に宿る想いは、決して交わることのない平行線のようで――。
あの日、あの瞬間の「答え合わせ」が始まります。
学校祭初日の夜。
自室のベッドに倒れ込み、ウチは今日撮られた写真を見返していた。
画面の中の私は、赤いリボンを揺らして、いかにも「ヒロイン」らしく笑っている。
でも、違う。
(……あいつ、なんであんなに遠くにいたのよ)
人気者になればなるほど、楓の目が「眩しすぎるものを見る目」に変わっていくのが、耐えられなかった。
ウチは、スマホを握りしめた。
『他クラスの男子からも聞かれまくって大変だったんだから(笑)』
わざと、ウチらが「光の世界」にいることを強調して送った。
あいつを妬かせたかったわけじゃない。追いかけてきてほしかったのだ。
『直で見ても反則級に可愛かったよ』
楓からの返信に、心臓が痛いくらいに跳ねる。
「……そんなこと思ってるなら、もっと近くに来なさいよ、バカ」
影に隠れようとするあいつの襟首を掴んででも、引きずり出したい。
明日は、ウチが客席からあんたを光の方へ引っ張ってやるんだから。
【葵(あおい/ハルちゃん)の視点】
お風呂上がり、髪も乾かさないまま私はベランダに出た。
さつきはきっと、もう楓に連絡しているだろう。
メッセージ画面を開くけれど、文字を打つ指が震えて止まってしまう。
(……今の、さつきとのLINEの続きになっちゃうかな)
そう思うと、どうしても言葉が出てこない。
私は、気づけば通話ボタンを押していた。
メッセージよりも確実な、声の温度が欲しかった。
「……もしもし、ハルちゃん?」
繋がった瞬間のりんの声に、泣きそうになる。
私は、今日感じた本当の恐怖を打ち明けた。
あんなに目立つ場所に立って、知らない人たちにレンズを向けられて、まるで自分じゃない自分を演じているような心細さを。
「……最後、りんが手を振ってくれたのが見えて」
本当は、そのままどこかへ行ってしまいそうなりんの背中を見て、絶望しそうだった。
でも、振り返ってくれたその手が、唯一の救いだったのだ。
(私はここにいるよ、りん。光の中にいたって、私はあの日の、泣き虫なハルちゃんのままなんだよ)
それを伝えたくて、必死に声を紡いだ。
「……楽しみにしてるよ」
電話を切った後、夜風が頬を撫める。
明日は私がりんを「見る番」。
どんなに彼が自分を日陰に押し込めようとしても、その背中を、私は絶対に視線で捕まえて離さない。
さつきはLINEで楓を鼓舞し、葵は電話で自らの弱さを見せて彼を繋ぎ止めた。
どちらも方法は違えど、想いは一つ。
「楓を、影の中に一人きりにはさせない」。
お互い、抜け駆けはしていないはずだ。
でも、明日の「焼きそば」と「お化け屋敷」は、今日以上に激しいものになる。
二人はそう確信しながら、明日のための準備へと意識を向けた。
学校祭二日目。
中庭に漂うソースの焦げる匂いと活気。
ウチらは示し合わせたわけではないけれど、吸い寄せられるようにあいつのいる模擬店へと向かっていた。
【葵の視点】
鉄板の前で、迷いのない手つきでコテを操るりん。
その姿は、昨日ステージの端で感じた「遠い人」ではなく、私の知っている、温かくて頼もしい「りん」そのものだった。
差し出された焼きそばを口に含むと、丁寧な仕事ぶりが伝わってくるような優しい味がした。
(……ああ、やっぱり。りんは、こういう人なんだ)
日陰の人間だなんて言わないで。
こんなに人を幸せにする味を作れるのに。
「りん、これならいつでもお嫁に行けるね」
茶化すように言ったのは、そうでもしないと、胸の奥から溢れ出しそうな愛しさを抑えきれなかったから。
「……じゃあ、私のお婿に来てくれる?」
最後の方は、自分でも聞き取れないくらいの囁きだった。
もし聞こえていたら、そのまま心臓が止まっていただろう。
でも、りんは気づかなかった。
隣で焼きそばを凝視しているさつきにも、きっと。
(……セーフ。でも、いつかは……。ううん、なんでもない)
顔が沸騰しそうなのを隠すために、私は必死に麺を啜った。
【さつきの視点】
葵の可愛らしい冗談にツッコミを入れる楓を見ながら、ウチは絶望的な気分で固まっていた。
口の中に広がる、完璧すぎる味。 crying 無駄のない調理スキル。
(嘘……嘘でしょ。なんであいつが、そこまで完璧なのよ……!)
昨日の夜、ウチは「女子力」を武器にあいつを日向へ引っ張り出す計画を立てていた。
手料理で胃袋を掴む、なんて王道の展開を夢見ていたのだ。
けれど、現実はどうだ。
目玉焼き一つで火柱を上げるウチと、特製焼きそばを涼しい顔で作る楓。
(格差がエグすぎる……。ウチの入る隙間なんて、どこにもないじゃない)
自分の不甲斐なさにガックリと肩を落とす。
でも、楓の「教えてやるよ」という一言で、ウチの脳内は一瞬でピンク色に染まった。
「本当!? やった! 先生って呼ぶわ!」
マンツーマンの料理教室? それって、実質デートじゃない!
葵の「お婿さん」なんていう小さな呟きには気づく余裕もなかった。
ウチは、最悪のスタートから奇跡的に掴み取った「未来の約束」に、鼻歌を歌いたい気分だった。
葵は、自分だけが口にした「お婿さん」という言葉の重みを噛み締め、さつきは、これから始まる「料理修行」という名の接近戦に闘志を燃やす。
お互いに、相手がどんな「小さな勝利」を確信しているかなど露知らず、二人は次なる戦場――お化け屋敷へと向かっていった。
白樺荘と名付けられたその場所は、足を踏み入れた瞬間に「本物」の気配が漂っていた。
けれど、ウチら二人の心臓を跳ねさせていたのは、幽霊への恐怖だけではなかった。
【葵の視点】
白い着物を纏い、私は暗闇に潜んでいた。
近づいてくる足音。りんが来た。
練習通り、冷たく、清楚に声を出す。「……引き返して」
完璧な演出のはずだった。
けれど、直後のムツくんの猛タックルがすべてを壊した。
(……ふぇっ!?)
押し倒され、重なり合う体。
驚きで声も出ない私の胸に、りんの手が強く触れた。
心臓が口から飛び出しそうになる。
でも、次の瞬間、りんが口にした言葉は、幽霊よりも残酷だった。
「……板か何かを押しちゃったかと思って」
(いた……? 板って言ったの、いま……?)
確かに私はスレンダーだけど、これでも精一杯、女の子としてりんの前に立っていたのに。
一瞬で頭に血が上った。恥ずかしさと、情けなさと、認識すらされなかったことへの怒り。
「……そうですか。板と間違えるほど、粗末なもので」
冷酷な声を絞り出すのが精一杯だった。
本当は叫び出したかった。自分を「日陰」だなんて卑下するくせに、私の「女」を無機物扱いするりんが、世界で一番の大バカ者に思えて。
【さつきの視点】
まな板の脚や血だらけのタオル。恐怖を煽る小道具の奥で、ウチはあいつを待っていた。
「ここまで来てしまったのですね……」
現れたあいつに、またしてもムツくんが暴走する。
(ちょっと、ムツ! 楓を突き飛ばさないでよ――って、ええええええ!?)
床に転がった瞬間、視界が楓の顔で埋まった。
正確には、ウチの太ももの間に、楓の顔が、鼻先が、ダイレクトに埋まっていた。
(……っ!?)
驚きすぎて声も出ない。柔らかな肌に伝わる楓の熱、そして息遣い。
「……エッチ」
そう吐き捨てて逃げ出すしかなかった。
あいつはまた「俺は日陰の人間だから」なんて卑下して謝るんだろうけど、そうじゃない。
あんな体勢になったのに、ウチを一人の女として意識せず、ただの事故として処理しようとするあいつの態度が、たまらなく腹立たしく、そして……狂おしいほど恥ずかしかった。
出口で出会った、あの小さな女の子。
あんなに可愛い笑顔で手を繋いできたから迷子だと思ったのに、ムツくんの告白と共に陽炎のように消えていく。
「「「イ、イヤアアアアアア!!!」」」
本物の恐怖に追いかけられ、ウチらは太陽の下へと逃げ出した。
けれど、叫びながらもウチの頭から離れないのは、太ももの間に残ったあいつの温度。
葵だってそうだ。青ざめた顔で自分の胸を抱え、怒ったような、泣きそうな目であいつを睨んでいる。
お化けの正体よりも、さっきのハプニングの方が、ウチらにとっては一生モノの事件だった。
その後の吹奏楽の合奏中、ウチらは隣同士に座りながらも、ほとんど言葉を交わせなかった。
「……葵、大丈夫?」
「……うん。さつきこそ」
お互いに、さっきの「事故」を打ち明ける勇気はない。
でも、共有している秘密의重さが、ウチらの間に奇妙な緊張感を生んでいた。
ライブも三組目までの演奏が終わり、潮が引くように客席が空いていく。
けれど、ウチと葵は吸い寄せられるように、ステージの最前列へと足を運んでいた。
【さつきの視点】
ステージに現れたあいつは、もうさっきまで焼きそばを焼いていた彼ではなかった。
ネクタイを緩め、ドラムセットの奥で冷たく、鋭い気配を纏っている。
(……やっぱり。あんたは、そっち側の人間なのよ)
中学の時、ウチが恋に落ち、そしてこっぴどく振られた時のあの横顔。
音楽にすべてを捧げ、他人を寄せ付けない孤高のドラマー。
演奏が始まった瞬間、心臓を直接掴まれたような衝撃が走った。
楓の叩き出すリズムは、体育館の空気を物理的に震わせ、逃げようとする観客の足を釘付けにしていく。
【葵の視点】
私は、祈るように胸の前で拳を握りしめていた。
アンコールの『Daddy, Brother, Lover, Little Boy』。
凄まじい熱量の中で、りんの左手が明らかに限界を迎えているのが分かった。
痛みに耐えるように歪む口元。
(りん……もういいよ。もう十分、伝わってるよ!)
けれど、彼は止まらなかった。
いよいよ最後、ドラムソロが最高潮に達しようとしたその時。
りんの左手から、スティックが力なく零れ落ちた。
「あ……っ!」
私が悲鳴を上げる間もなく、彼は残った右手のスティックさえも客席へ投げ飛ばした。
かつて、音楽室でりんがぽつりと話してくれたことがあった。
『素手でドラムを叩く伝説のドラマーがいたんだ。でも、真似しちゃダメだよ。手も指も、ボロボロになっちゃうから』
それを今、彼は自分の身を削りながら体現しようとしていた。
パシィィンッ! と、肉と革がぶつかる乾いた、けれど痛烈な音が響く。
スティックがない絶体絶命の瞬間、彼は迷わずその「素手」をヘッドに叩きつけた。
(バカだよ、りん……痛いんでしょ? 手、ボロボロになっちゃよ……!)
心配で、怖くて、でも。
手のひらを駆使して命を削るようにリズムを編み上げる彼の姿から、一瞬も目が離せなかった。
あの日、私にだけ教えてくれた「憧れ」を現実のものにしている彼が、眩しくて仕方がなかった。
【さつきの視点】
素手でのロール。
指先と手のひらを駆使して、あいつはスティックがある時よりもさらにエモーショナルな音を奏でていく。
(楓……あんた、そこまでして何を叫んでるのよ)
日陰にいたいと言いながら、誰よりも激しく「俺はここにいる」と音が叫んでいた。
最後、メンバー二人の『かかと落とし』がシンバルを叩き伏せ、爆音の残響が体育館を支配した。
静寂。そして、遅れてやってきた地鳴りのような歓声。
ステージの上で、真っ赤になった両手を膝につき、肩で荒い息を吐くあいつ。
(……すごい。何が「可愛い」練習よ)
ショートムービーで必死に作った「可愛さ」なんて、今のあいつの剥き出しの演奏の前では、あまりに幼く、無力に思えた。
【葵の視点】
(りん……。今の、私にはちゃんと届いたよ)
誰もが熱狂する中で、私だけが知っている彼の「憧れ」と「痛み」。
拍手することさえ忘れて、私たちはただ、光の中で燃え尽きたような楓の姿を見つめ続けていた。
第51話、最後までお読みいただきありがとうございました。
焼きそば越しの「お婿さん」発言、お化け屋敷での「板」発言と「太もも」の事故。
そして、全てを塗り替えるような、楓の「素手」によるドラムソロ。
華やかな光の中に立っても、結局は誰よりも「泥臭く、不器用」な楓の姿に、彼女たちは改めて目を逸らせなくなってしまいました。
平行線のまま進んできた二人の少女の想い。
この学校祭を経て、その距離に変化は訪れるのでしょうか。
次回、第52話。
祭りの余韻の中で、物語は再び楓の視点へと戻ります。
彼が手にした「真っ赤な両手」の代償、そして次なる波乱をお楽しみに。




