第47話:小悪魔襲来
文化祭ライブを終え、ようやく一息ついた楓。
しかし、さつきと葵に伴われ保健室から出てきた彼の前に、一人の下級生が立ちはだかります。
親しげに語りかけてくる彼女の登場によって、現場の空気は一変。
ライブの熱狂とはまた違う、静かで鋭い「嵐」が巻き起こることに。
第47話、どうぞお楽しみください。
「楓くん! さっきのドラム、かっこよかったよ」
保健室を出てすぐの廊下。湿布と包帯でミイラのように膨らんだ俺の両手に視線を落としながら、前から歩いてきた一年生の女の子が、満面の笑みでそう言った。
ショートボブの裾を揺らし、人懐っこい猫のような目で俺を見上げてくる。
「おう、さんきゅー。見てくれてたんだな」
「当たり前じゃん、楓くんとレンくんが出てるんだもん。昔っから二人でやってたもんねー、そのスタイル。中学の時よりずっとパワフルになってて、びっくりしちゃった」
あまりに自然で、距離の近い会話。
幼い頃から聞き慣れたその声と、気安く俺のパーソナルスペースに踏み込んでくる態度。俺はつい、実家の近所にいる時のような、無防備な顔を見せてしまった。
だが、その瞬間。
俺の左右から漂う空気が、一瞬で「凪」から「嵐」に変わった。
物理的な室温が数度下がったんじゃないかと思うほどの冷気だ。
「……りん? ずいぶん親しそうだけど、その子……誰?」
「楓、馴れ馴れしいこの一年生……何?」
ハルちゃんの声そんなに冷たい声で話すっけ?
さっちゃん、笑顔のまま目が全く笑ってないですよ?
(二人とも、こえーよ。誰? って聞くならわかるけど、『何?』って……生き物だよ、普通の一年生。……いや、こいつの場合は『小悪魔』って呼ぶのが正解かもしれないけど)
俺は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、慌てて紹介を挟んだ。
「この子は一年生の黒崎愛美。俺と同じ小学校の一個下の幼馴染だよ。ハルちゃん、かるたの大会で会ってるだろ?」
俺の説明に、ハルちゃんの眉がピクリと動く。
「俺が『はり』やってる時、この子『つき』だったから。小学生最後の冬の大会、決定戦でハルちゃんと直接対決したの、この子だよ」
下の句かるたは三対三で行われる団体戦だ。
敵の陣地を切り裂く攻めを「つき」、状況を判断する「中堅」、そして自陣を死守する守備を「はり」と呼び、畳の上で木札を取り合う。
あの時、必死に俺にメダルを取らせたいと、最後の札までハルちゃんと戦ったのがこの愛美だった。
「あぁ……あの時の……」
ハルちゃんは思い出したようだ。
愛美が微笑んで挨拶をする。
「その節はお世話になりました。春日先輩でしたっけ? 私の楓くんに苦渋を舐めさせていただき、本当にありがとうございました。楓くん、あの後しばらく落ち込んでて、私が慰めるの大変だったんだから」
それ挨拶じゃないから!
さらりと言った「私の」という言葉に、俺の心臓が跳ねた。
よりにもよって、この状況で最も勘違いになりそうな言葉を、彼女は最も効果的なタイミングで放り込んできやがった。
『私の? 楓くん?』
二人の声が見事に揃った。しかも、ゾッとするほど低い温度で。
「昔から、『我が衣で杯』のメダルは特別だから取りたいんだって、楓くん言ってたのにね? それを奪っちゃうなんて、春日先輩も隅に置けないっていうか」
「愛美! やめなさい。それは競技の話だろ」
「だってー、本当のことじゃん。楓くんが悔しがってるのも、無理してるのも、私、一番近くで見てきたんだもん」
さらに愛美の視線が、俺の隣に立つ二人に向けられる。
「あ、もしかして……昨日、体育館でショートムービー流して、男の人たちをたらし込んでたお二人ですよね? 井上先輩でしたっけ? 凄かったですよねー、あの色気。校内の男子、みんな鼻の下伸ばしてましたよ?」
――たらし込んでた。
そのトゲのある言い回しに、さっちゃんの額に青筋が浮かぶのが見えた。
「愛美!」
慌てて止めようとしたが、愛美は止まらない。
「えー、褒めてるんですよぉ? 楓くんも、あんな公衆の面前で魅力振りまくようなお姉さんたちに囲まれて大変だねって。……でも、派手なムービーで釣るような人たちより、楓くんの本当の『思い』を知ってるのは、私だと思ってるから。……ね、楓くん?」
「愛美! やめなさい。大体なんだよ、ほんとの思いって」
「はーい、楓くんが言うならやめますー」
愛美はわざとらしく俺の腕に手を添えようとする。俺は包帯だらけの手をひらひらさせてそれを制したが、背後の二人の気配はもはや「静かな怒り」を通り越して「殺気」に近い。
愛美はさらに、俺のボロボロの手を見て、どこか優越感を含んだ目で首をかしげた。
「それにしても、ひどい格好だね楓くん。帰り送ってこうか? ちょうどママが車で迎えに来るからさ。その手じゃバイクのハンドル握るのも無理でしょ?」
「美沙さん来るのか?」
「ママのこと美沙さんって呼ぶのやめなよー。親戚でもないのに、そんな呼び方するの、楓くんだけだよ。ママも楓くんが来るって聞くと、急にメイク直し始めちゃうんだから」
「おばさんなんて失礼で呼べないよ。……でも、迎えは助かる。正直、この手じゃ原付も乗れないしな。頼むよ」
ミイラのように腫れ上がったこの手では、愛車の原付を運転することなんて到底できない。
「決まり! じゃあ帰り、玄関ね。春日先輩達、楓くん返してもらいますね。後でねー!」
愛美はチラリと背後の二人を見て、これ以上ないほど勝ち誇ったように笑って去っていった。
嵐が去った後の廊下には、俺と、おそらくイラつきマックスの二人が残された。
「いやー良かった、帰る手段見つかったわー。これでバイク置いていけるし、明日の体育祭に向けて少しは休めそうだよ」
俺が呑気に、心底安心したように言うと、左右から同時に刺すような視線が飛んできた。
「ヘー、ヨカッタネー。幼馴染の、美人の、お母様が、お迎えなんて」
「コノ、カイショーナシー……。りん、少しは警戒心を持たんかい! って話だよ、ニコッ」
「二人とも、どうしたんだよ……目が怖いよ? 言葉と表情があってないんだけど……うわ、痛っ! なんで小突くんだよ!」
わけもわからず、両側から二人に激しく小突かれ、時に無言で背中を叩かれながら、俺たちはクラスへと戻った。
その後片付けの間も、2人は毒付きながらも、俺の身の回りの世話を焼き続けてくれた。
俺が何をしたっていうのぉ?
夕闇が迫り、喧騒の去った玄関で愛美と合流し、校門の前に停まっていた愛美の母親・美沙さんの高級セダンに乗り込む。
「楓くん! しばらく見ないうちに大きくなったねー。なんだか背も伸びて、男らしくなったんじゃない?」
ハンドルを握る美沙さんが、バックミラー越しに目を細めて微笑む。
ふわりとしたパーマヘアに、優しげな目元、かなり美人なんだよな。
小学生の頃、俺が学校帰りに愛美を家に送っていった時、「楓くん、いつもありがとね」とアイスを差し出してくれたあの頃の美沙さんのままだ。
「美沙さんは、全然変わらないですね。相変わらず、愛美と並んでると姉妹にしか見えませんよ」
「ははっ、楓くんは本当に口が上手いんだから。そうやって美沙さんって呼んでくれるから、いつまでも若いつもりでいられるわー」
「ちょっとママ、楓くんズルい! 二人ばっかり楽しそうに話してー! 私のこと無視しないでよ!」
助手席で愛美が頬を膨らませて抗議する。
そんな賑やかで、どこか懐かしい昔馴染みの空気はひどく居心地が良かった。
ライブでの全力を出し切った極度の緊張と、さっきまでの二人のヒロインからの強烈な「圧」に晒され続けていた精神が、ようやく解きほぐされていく。
窓の外を流れていく夕暮れの景色を眺めながら、エンジンの心地よい振動に身を任せていると、ライブの疲れが一気に押し寄せてきた。
「楓くん、疲れてるんでしょ。少し寝てなさい。家に着いたら起こしてあげるから」
美沙さんの優しい声に甘えるように、俺はゆっくりと目を閉じた。
波乱に満ちた文化祭が、ようやく終わろうとしている。
だが、息をつく暇はない。
明日は体育祭。
あの『ばん馬先輩達』と組む、過酷な騎馬戦が待っている。
俺は眠りに落ちる寸前、包帯で巻かれた自分の手を見つめ、明日への不安を少しだけ飲み込んだ。
第47話、最後までお読みいただきありがとうございました。
突如現れた幼馴染、黒崎愛美。
彼女の小悪魔的な攻撃に、さつきと葵の嫉妬心はマックスに。
そして楓の「お母さんキラー」な一面(無自覚)も垣間見える回となりました。
そして舞台は、文化祭から体育祭へ。
負傷した両手で、楓はあの屈強な「ばん馬先輩」たちと共に戦えるのか!?
次回、第48話。
砂塵舞うグラウンドで、新たな戦いが始まります。
どうぞお楽しみください。




