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第46話:主役になりたかった日

 死闘とも呼べるライブステージを終えた楓たち。

 舞台裏で分かち合う、泥臭くも眩しい達成感と、親友たちとの固い絆。


 しかし、その代償は小さくありませんでした。

 ボロボロになった両手を見て、二人のヒロイン、さつきと葵は顔を強張らせます。


 熱狂のあとの、保健室での静かな時間。


 第46話、どうぞお楽しみください。


「た、っのしかったあぁぁぁ!!!」


 最後のシンバルの残響が体育館の高い天井に吸い込まれていくのとほぼ同時に、ステージ袖に転がり込んだレンが野獣のような雄叫びを上げた。


 全身汗だくで、興奮のあまり鼻息も荒い。握っていたベースを床に置くのももどかしいといった様子で、俺の肩をバシバシと大きな手で叩いてくる。


「最高だ、マジで最高だぜ! 俺とお前が中学の時にやったライブなんて、まるでおままごとだったな。これだよ、これ! この震える感じ! たまんねえな!」


 興奮してまくしたてるレンの横で、リードギターのミヤが壁に背を預け、額の汗を拭いながら深く深く息を吐き出していた。

 あいつも普段のポーカーフェイスはどこへやら、耳の付け根まで赤くなっているのが暗いステージ袖でもよくわかった。


「……スゲー楽しかったわ。けど、人前で演奏するの初めてだったから、なまら緊張したわ。指、最初に動かなくて焦ったわー」


 俺とレンは同時に「嘘だろ!?」と力一杯ツッコミを入れた。

 あんな、一音の狂いもない、完璧なまでの速弾き完コピを涼しい顔で見せておいてよく言う。あいつの心臓は鋼でできているに違いない。


「しっかし楓、よくドラムソロ、好きにやっていいって分かったな? あのタイミング、神がかってたぜ。俺もミヤも、お前の呼吸を待ってたんだ」


 レンの問いに、俺はニヤリと笑い返した。

 言葉なんていらなかった。ただ、あいつらが俺の音の「タメ」を、俺の視線の先にある決意を、瞬時に理解してくれた。それがすべてだ。

 俺の部屋に集まって、ボロボロになるまで合わせた時間は、決して嘘をつかなかった。


「最後すごかったな。スティック、あれマジで飛ばしただろ?」


 流石にミヤも、俺が両手を空中に投げ出した時は一瞬血の気が引いたらしい。呆れたような、でもどこか嬉しそうな、複雑な眼差しで俺を見てくる。


「一瞬マジで焦ったけど、竜胆。あそこでよく指でいったな。血の気が引いたけど、客は沸いてたな」


「はは……。もうスティックが手から離れた瞬間に、素手でいった方が面白いと思ってさ。というか、そうするしかなかったんだよ。あそこで止まったら、全部台無しだろ?」


「てか、うちのドラムセットで、『かかと落とし』の練習してたの役に立ってよかったな!」


 俺が言うと、レンが我が意を得たりと拳を強く握りしめた。


「今だ! って思ったもん。ミヤと目が合った瞬間、やるしかねえって。アンプ踏み台にして、シンバルを蹴り抜く感触、最高だったぜ」


「わかるわ」

 とミヤも深く頷く。

「これ、最後にできたらカッコいいよなって、無駄に練習してたやつな。まさにここだべって思ったわ。竜胆のアイコンタクト、完璧だったわ」


 三人でボロボロの体を寄せ合い、笑い合っていた。

 日陰者三人が集まって、この学校で一番熱い時間を支配した。その事実に、まだ胸の鼓動が収まらない。

 だが、ふとレンが俺の手元を見て、その表情を強張らせた。


「……てか楓。お前、その手……。早く保健室行けよ、今すぐだ。異常に腫れてるぞ」


「ああ、それやべーわ。俺らが片付けやっとくから、お前は先に行っとけ。竜胆の手が壊れたら、吹奏楽局の連中に俺たちが殺されるわ」


 ミヤの言葉は、冗談抜きで重かった。

 確かに、アドレナリンが引き始めた両手には、ズキズキとした拍動が戻り始めていた。

 自分の手じゃないみたいに熱くて、重い。

 

「悪い。……じゃあ、ちょっと行ってくるわ」


 俺は二人に背中を向け、ふらつく足取りでステージ裏から体育館のフロアへと出た。



 体育館を抜けると、まだ熱狂の余韻に浸っている観客たちの間から、吹奏楽局の連中がどっと待ち構えていた。

 さっきまでの閑散とした空気が嘘のように、人だかりができている。


「局長! カッコよかったです! あんなドラム初めて見ました!」

「ギターの先輩、凄すぎでした! あんな速弾きできる人、この学校にいたんですね!」


 後輩たちの興奮した声が次々に飛んでくる。ミツルまでもが、どさくさに紛れて「あれ、俺のマネっすか? りん先輩、ちょっとズルっすわ。今度教えてくださいよ」なんて軽口を叩いてくる。

 一年生の女の子たちも、普段の部活動での俺とは違う、どこか野性的な姿にテンションが振り切れているようだ。


 みんなのキラキラした笑顔を見て、ああ、ボロボロになったけど、やってよかったなと心の底から思った。

 だが、その賑やかな祝福の輪を、無理やり割って入ってきた二人がいた。

 その顔は、深刻そのもの、というよりは……はっきり言って、怒りに満ちていた。


「りん、手を見せて!」


 ハルちゃんが、俺の返事も待たずに俺の右手を取り上げた。

 赤紫に腫れ上がり、ところどころから血が滲んでいる俺の手を見て、彼女は絶句する。


「楓、保健室行くよ!」


 さっちゃんが、有無を言わさぬ勢いで俺の左腕を掴んだ。

 その握力の強さに、俺は成す術もなく連行されることになった。


「……ちょ、そんな引っ張らなくても、自分で歩けるから」


「文句言わない! 何考えてるの、あんな叩き方して! バカなの!? バカなんだよね!?」


 廊下を歩きながら、ハルちゃんの鋭い声が飛んでくる。

 後ろを歩いているはずなのに、その剣幕が背中に突き刺さるようだ。


「そうだよ楓。もし指が折れてたらどうするつもりだったの? あなたが局長なんだよ? 局長がいなくなったら、定期演奏会だって困るんだからね。責任感なさすぎ!」


 さっちゃんまで加勢してくる。

 普段はあんなに優しい二人だが、一度怒らせると手がつけられない。まるで台風の目の中に放り込まれたような気分だ。

 

「いや……でもさ、あそこは止めるわけにいかなかったんだって。アンコールまでもらって、最高の雰囲気だったし……。俺たちのバンドの、最初で最後かもしれない見せ場だったんだよ」


「いいから黙って歩く! ほんと、救いようのない大バカなんだから。……後でたっぷりお説教だからね」



 保健室に到着すると、先生が俺の手を見るなり「あらあら、派手にやったわね」と顔をしかめて、手際よく大量の氷を用意してくれた。


 カーテンで仕切られたベッドに横になり、左右の手で氷嚢を持って冷やすこと二、三十分。その間、カーテンの内側には、仁王立ちした二人の姿があった。

 俺は、氷の冷たさと二人の視線の冷たさに挟まれながら、たっぷりとお説教を食らっていた。


「わかってるの? 指が動かなくなったら、大好きなドラムも叩けなくなるんだよ?」

「そうだよ。りんの音を楽しみにしてる人が、どれだけいると思ってるの。……私たちだって、そうなのに」


 やがて、氷の冷たさで手の痛みが感覚ごと消えていった頃。

 シンとした保健室の中に、俺の独り言のような本音が漏れた。

 これ以上隠し通すには、俺の心も少しだけ疲れすぎていた。


「……だってさ」


 氷嚢を見つめながら、俺は柄にもなく俯いた。


「昨日、二人がステージであんなに綺麗で、可愛くて……誰よりもカッコよかったから。なんだか、見ていて誇らしい反面、二人がずっと遠くに行っちゃいそうだったんだよ」


 二人の説教が、ピタリと止まった。

 カーテンの隙間から差し込む午後の斜陽が、静まり返った部屋をオレンジ色に染めている。


「だから、俺も今日ぐらいは……。二人に並べるくらい、主役になってみたかったんだって……」


 言い出したものの、我ながら子供染みているというか、恥ずかしくて死にそうになる。

 ライブ後の昂ぶりのせいか、少しだけ鼻の奥がツンとして、情けないことに涙ぐんでしまった。俺は自分の顔を隠すように、少しだけ枕に深く顔を埋めた。

 

 ハルちゃんとさっちゃんは俺の顔を見て、戸惑ったように顔を見合わせている。

 俺はこの気まずい沈黙と恥ずかしさに耐えられず、少しだけふざけて、子供みたいに甘えてみた。


「一生懸命頑張ったのに、二人にこんなに怒られるから……。なんだか、悲しくなってきた……」


 俺が少しだけ声を震わせてそう言うと、二人は顔を真っ赤にして、毒気を抜かれたように苦笑いした。

 そして、どちらからともなく、俺の左右から頭を優しく撫でてくれた。

 まるで、迷子を見つけた飼い主のような、温かくて丁寧な手つきで。


「楓……ずーるーいー、心配したんだぞー」


 さっちゃんが俺の頭を撫でる手に少しだけ力がこもる。


「……うん。ありがと、さっちゃん」


「ごめんね, りん。……ちょっと, 怒りすぎたかな。でも、本当に心配したんたぞ!ニコッ」


 困り笑いをするハルちゃん。


「……うん、ありがと。わかってるよ」


 いつもの二人に戻ってくれて、自分の手のことを忘れ安心してしまった。


 その後、先生に両手に厚めの湿布を貼ってもらった俺の手は、包帯でぐるぐる巻きにされ、まるでミイラのように大きく膨らんでいた。


「これ……どうやって帰ろうか。カバンすら、指先で引っ掛けるのがやっとだよ」


 苦笑いしながら廊下を歩いていると、前から一年生の女の子が歩いてきた。


「楓くん! さっきのドラム、かっこよかったよ」


 馴れ馴れしく声をかけてきた後輩女子。

 それを見た背後の二人の温度が、一瞬で絶対零度まで下がったのを、俺は肌で感じていた。

 さっきの俺の安心は一体どこへ?

 第46話、最後までお読みいただきありがとうございました。


 熱狂のライブステージを終えたあとの、保健室での静かな時間。

 二人のヒロインに置いていかれたくないという楓の、剥き出しの本音。

 

 さっちゃんが呼ぶ「楓」と、ハルちゃんが呼ぶ「りん」。

 それぞれの呼び方に込められた想いが、少しずつ形を変えていくのを感じていただけたでしょうか。


 しかし、そんな感動的な余韻も束の間。

 ラストに登場した、見知らぬ後輩女子。

 彼女の何気ない一言が、二人のヒロインのスイッチを押してしまいます。


 次回、第47話。

 この後輩女子、実は……。

 

 どうぞお楽しみに。


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