第45話:日陰の花は、誰よりも高く
学校祭二日目、午後のメインステージ。
きらびやかな先輩たちの演奏が終わり、入れ替わるように楓たちがステージへと上がります。
組が進むごとに冷え切っていく会場の空気と、去っていく観客。
逆風の中、日陰で育った彼らが鳴らすのは、流行りとは無縁の泥臭いロック。
誰に届かなくてもいい。
ただ、最前列で見守る「彼女たち」にだけは、自分たちの音を届けたい。
限界を迎える身体と、壊れゆく指先。
その果てに、楓たちが掴み取った景色とは。
第45話、どうぞお楽しみください。
一番手の先輩たちのステージは、さすがの貫録だった。
流行りのアッパーチューンで会場を沸かせ、しっとりとしたバラードで空気を掴む。
演奏もまあまあの旨さで、お祭りとしてのバランスは非常に正しかった。
だが、二組目、三組目とライブが進むにつれ、体育館の熱量は目に見えて引いていった。
学校祭という場所は残酷だ。
技術の伴っていないバンドが続けば、客の反応はあからさまに冷めていく。
ギリギリ聴けるかな、というレベルの危ういピッチ。
走るリズム、外れる高音。
そんな演奏が続くにつれ、一人、また一人と、目当ての出番を終えた客が模擬店へと流れていく。
俺たちが楽器を運び込み、セッティングを始めた頃。
ステージ前には、ぽっかりと心細くなるような空白が広がっていた。
さっきまでの熱気が嘘のように、体育館の空気は冷え切っている。
まあ、先輩たちの人気や技術を考えれば、後輩の俺たちの番で客が減るのは当然の帰結だ。
そう、自分に言い聞かせる。
だが、その閑散とした空間に、迷いなく滑り込んできた連中がいた。
さっきまで一緒にステージに立っていた吹奏楽局の面々や、クラスのいつもの連中だ。
そして、最前列。
そこには、心配そうに祈るように手を胸の前で組むさっちゃんと。
拳を握りしめて、りん頑張れ、と弾けるような笑顔で声を飛ばしてくれるハルちゃんがいた。
わざわざ、来てくれたのか。
誰もいない会場だったら、適当に流して終わっていたかもしれない。
けれど、あいつらがいる。
俺を見つめる真っ直ぐな瞳がある。
胸の奥が、熱い何かで満たされていくのが分かった。
よし、あいつらにだけは、見に来てよかったと思わせる音を届けよう。
たとえ、この左手が壊れたとしても。
「よし。予定通り、ノンストップで行くぞ」
背中越しにレンとミヤに合図を送る。
一曲目、ディープ・パープルのバーン。
かつて住宅メーカーのテレビCMに起用され、聞き馴染みのある奴も多いだろうが、ありゃタマホームの曲じゃない。
魂と魂を削り合う、ロックの古典だ。
歪んだギターが最初の一音を放った瞬間、体育館の空気が物理的に震えた。
圧倒的な音圧。
心臓を直接掴んで揺さぶるような、正確無比なバックビート。
出口へ向かっていた客たちが、何事かと足を止め、次々に振り返るのが分かった。
古い曲だなんて関係ない。本物の音は、問答無用で人の足を止める。
ミヤが本来はオルガンのパートであるはずのソロを、ギター一本で凄まじい速弾きへと変換して弾き倒すと、最前列からどよめきが上がった。
俺はその爆発的な音を止めないよう、必死にリズムの屋台骨を支え続けた。
二曲目、ミスター・ビッグのコロラド・ブルドッグ。
イントロから、俺の両手足が悲鳴を上げる。
超絶技巧の連続に、さっきまで冷めていた会場が、じわじわと異常な熱を持ち始めていた。
知らない曲のはずなのに、演奏の圧倒的な完成度が、観客を無理やりステージへと引き戻していく。
ベースのレンが咆哮し、指を真っ赤に腫らしながら、人間業とは思えない激しいフレーズを叩き出す。
負けていられない。
俺もツインペダルを全開で回し、振動で体育館の床を波打たせる勢いで食らいついた。
三曲目、イングヴェイ・マルムスティーンのネヴァー・ダイ。
ここはミヤの独壇場だった。
難解な旋律を一音の妥協もなく、光のような速さで完コピしていくあいつは、本当に化け物だ。
俺の方はといえば、地響きのようなツーバスを叩き込み続けているうちに、左手に鋭い痛みが走り始めていた。
一打叩くたびに、脳天まで突き抜けるような激痛が走る。
やがてアドレナリンが過剰に分泌されたせいか、痛みは消え、代わりに指先の感覚が麻痺していった。
自分の腕が、自分のものではない何か別の生き物になって、勝手に動いているような感覚。
視界が汗で滲む。
でも、最前列でハルちゃんが俺の名前を呼んでいるのが見えた。
さっちゃんが、魂を削るような表情で見つめてくれている。
まだいけるか。
いや、やるしかないんだ。
日陰の花が、誰よりも高く咲けるチャンスなんて、一生に一度かもしれないんだから。
三曲目、最後の一打を叩き終えた瞬間だった。
静寂が訪れるはずの体育館に、予期せぬ地鳴りのような音が響いた。
手拍子だ。
最初は数人、吹奏楽局の連中やクラスの奴らが始めた小さな音が、波紋のように会場全体へ広がっていく。
アンコール。
その声は、次第に明確なうねりとなって体育館の壁を震わせた。
学校祭のライブステージ。それはあくまでお祭りのプログラムの一つでしかない。
人気も実力もある三年生の先輩たちでさえ、アンコールなんて一度も起きていなかった。
目当ての演奏が終われば、客は次の出し物へと移動するのがこの場所の正しい姿だったからだ。
だが、今は違う。
出口へと向かっていたはずの生徒たちが足を止め、立ち尽くし、名前も知らない二年生のバンドに向けて、もっと聴かせろと喉を鳴らしている。
演奏した曲は、今の流行りでもなければ、誰もが口ずさめるヒットソングでもない。
それでも、圧倒的な熱量と技術の暴力が、観客の心に火をつけてしまったのだ。
「おい。用意してないよな、こんなこと」
俺は肩で息をしながら、掠れた声でこぼした。
スティックを握る両手は、すでに限界をとうに超えて震えている。
けれど、レンとミヤの瞳には、まだ消えない野心的な光が宿っていた。
レンが不敵に口角を上げ、足元から電動ドリルを引っ張り出す。
「楓。三年生ももらってなかったアンコールだぜ。ここで逃げたら一生後悔するだろ」
ミヤも、激しい運指で指先から血を滲ませながら、静かに、だが力強く頷いた。
「いけるよな、楓。よく二人で合わせてたアレだ」
最前列を見れば、ハルちゃんが顔を紅潮させ、奇跡でも目撃しているかのような表情で俺を見つめている。
さっちゃんは、感極まったように口元を押さえながら、誇らしそうに俺の名を呼んでいた。
ああ、そうだな。日陰のままで終わってやるもんか。
俺は震える手で、もう一度スティックを強く握り直した。
左手の痛みなんて、もうどうでもいい。
この異常な熱気に、俺たちのすべてで応えてやる。
「行くぞ。とっておきのやつだ」
アンコール、ミスター・ビッグのダディ、ブラザー、ラバー、リトル・ボーイ。
ミヤがソロの途中、ピックを放り投げてドリルを起動した。
回転するドリルが弦を叩く異様な音が響き渡ると、会場のボルテージは極限を突破した。
曲はクライマックスへと雪崩れ込む。
レンとミヤが同時に俺を振り返り、魂を射抜くようなアイコンタクトを送ってきた。
楓、好きなように叩け。ラスト、合わせるぞ。
ドラムソロ。
俺は、体の中に残っているすべてのエネルギーを太鼓に叩きつけた。
いよいよ最後、ラストのシンバルへと向かおうとした、その時だった。
ふっと、左手の感覚が完全に消えた。
握っていたはずのスティックが、指の間を滑り落ちて、暗闇の中へと消えていく。
あ、これ、昼間のミツルの時と同じだ。
最悪のデジャブ。
一瞬、すべてが止まって見えた。
ここで音が止まれば、ライブは失敗で終わる。
ハルちゃんやさっちゃんに、こんな情けない終わり方を見せるわけにはいかない。
俺は止まらなかった。
迷わず、右手に残っていたスティックも客席の方へ放り投げた。
伝説のドラマーがそうしたように、手のひらの付け根、指の腹、そのすべてを楽器に変える。
スネアの端の方に、渾身の力で指先を叩きつける。
パシィィン、と。
乾いた高い音が、体育館の天井を突き抜けた。
だが、最後の一打。
この腫れ上がった素手でシンバルを叩いても、鋭い音は鳴らない。
俺は一瞬、顔を上げて二人を見た。
頼む、シンバルを鳴らしてくれ。
お前らにしかできない。この一瞬を、最高にカッコよく締めくくってくれ。
言葉よりも鋭い、無言のアイコンタクト。
それを受けたレンとミヤが、今の俺の状態を、そして俺の意図を瞬時に察したのが分かった。
二人の口角が、不敵に吊り上がる。
「行くぞおおお」
レンが吠えた。
左右に別れたレンとミヤが、アンプを踏み台にして、重力に抗うように高く跳躍した。
俺の両手が最後の一撃として、ありったけの力で太鼓のヘッドを震わせた。
それと同時に、左右から飛び込んできた二人の、かかと落としが。
俺の両隣にあるシンバルを、完璧なタイミングで叩き伏せた。
バシャアアアアン。
耳を劈く、爆発のような残響。
その光景の中で、俺たちはすべてを出し切り、楽器と共にその場に崩れ落ちた。
一瞬の、真空のような静寂。
その後、体育館が物理的に揺れるほどの歓声が、俺たちの頭上に降り注いだ。
俺は、赤紫に腫れ上がった両手を膝につき、肩で荒い息を吐く。
汗が目に入って、視界が滲む。
ふと前を見ると、ハルちゃんもさっちゃんも、最高の笑顔で、千切れんばかりに拍手を送ってくれていた。
人に見せられるような、正しい演奏じゃなかったかもしれない。
でも。
これが、俺たちの、日陰で生きてきた俺たちの精一杯だ。
第45話、最後までお読みいただきありがとうございました。
技術の粋を集めた演奏、そして理屈を超えたメンバー同士の信頼。
正解や綺麗さだけではない、彼らなりの「精一杯」を感じていただけたなら幸いです。
体育館を揺らした熱狂が去り、物語は次なる局面へと進みます。
興奮のあとに訪れる、静かで大切な時間。
楓たちの物語は、ここからさらに加速していきます。
次回の更新も、どうぞお楽しみに。




