第43話:戦慄の白樺荘
学校祭二日目、午後の部。
焼きそば販売の当番を終えた楓は、LIMEでハルちゃんとさっちゃんに伝えていた通り、二人のクラスの「お化け屋敷」へと向かいます。
「終わったら見に行くね」という気軽な約束。
サッカー部の友人・ムツと一緒に軽い気持ちで足を踏み入れた楓でしたが、暗闇の迷路では想定外のアクシデントが連発して……?
賑やかな祭りの裏側で巻き起こる、少し騒がしくて、ヒヤリとするエピソードをお届けします。
焼きそば販売の当番を終え、ようやく手に入れた自由時間。
俺はサッカー部の友人、ムツと一緒に、ハルちゃんとさっちゃんのクラスが運営する出し物の前に立っていた。
校舎の片隅、普段は演劇部の小道具置き場として使われている薄暗い一角が、今や異様なオーラを放つ「お化け屋敷」へと変貌を遂げている。
「……なあ、りゅーたん。ここマジで雰囲気ありすぎだろ。入る前から後悔し始めてるんだけど」
ムツが引きつった顔で、入り口に掲げられた看板を見上げる。
そこには血文字のようなフォントで、今回のコンセプトが記されていた。
『ここは白樺荘。不動公園の奥に佇む、今はもう使われていない宿泊施設。数十年前、ここで恐ろしい事件が起きた。至る所に散らばる遺体の一部。けれど、上半身だけはどこにもなかった。その真相は、自らの目で確かめてほしい……』
「……お二人ですね。気をつけて、いってらっしゃいませ……」
受付の生徒までもが、隈の浮いた死んだような魚の目でこちらを見てくる。徹底した演出だ。
一歩足を踏み入れると、中はひんやりと冷たく、壁には『白樺荘の思い出』とされる古い写真が何枚も飾られていた。
黄ばんだ写真の数々。その中に、寂しげに笑う小さな女の子の写真があり、俺はふと足を止めてそれに見入ってしまった。
「……引き返して。私のように、戻れなくなる前に」
突如、暗闇の中から白い着物を着た女性が音もなく現れた。
ハルちゃんだ。
白塗りのメイクに乱れた黒髪。普段の清楚さが、皮肉にも「この世のものではない美しさと不気味さ」を完璧に演出している。
「うわあああっ! 出たあああ! 助けて、りゅーたん!」
極限状態に達したムツが絶叫し、俺の背中に向けて渾身の猛タックルをかましてきた。
不意を突かれた俺は、逃げる間もなく前方へ。
「お、おいムツ! 押すな――うわっ!」
制御不能になった俺の体は、そのままハルちゃんを巻き込んで倒れ込んでしまった。
「キャっ……!」
わずかに柔らかい感触が手に触れる。
だが、暗闇と混乱のせいで、俺はそれが何なのか瞬時には分かっていなかった。
「……りん、手が」
ハルちゃんの切ない声が暗闇に響く。
「ごめん! 変なとこ触ったか? なんか……板か何かを押しちゃったかと思って――あっ」
悪気なく、ただ状況を説明しようとした俺は、途中で気づいてしまった。
手のひらに伝わる、控えめな、けれど確かな弾力。
冷や汗が流れるのと同時に、ハルちゃんが冷静、というより冷酷な声で低く囁いた。
「……そうですか。気付きませんでしたか。すいませんね、板と間違えるほど、粗末なもので」
彼女はそのまま、スッと冷たい風のように幕の奥へ消えていった。
「違うんだ、ハルちゃん! 今のはその……!」
弁解する間もなく、俺の言葉は虚しく闇に消える。
後に残されたのは、凍りついたような空気と、俺の絶望だけだ。
「ムツ……お前、本気で後で覚えとけよ……!」
「ご、ごめんって、りゅーたん! でもマジで怖かったんだよ!」
◇
気まずさを抱えたまま、さらに奥へと進む。
まな板の上に置かれた右脚の模型。すりガラス越しに映る、蠢く青い人影。血だらけのタオルに巻かれた左脚。
クラスメイトたちの本気が詰まった空間は、確実にこちらの精神を削ってくる。
「ここまで来てしまったのですね……」
ふわっと闇の中から現れたのは、さっちゃんだ。
彼女は幽霊というよりは、事件に巻き込まれた薄幸の少女といった風貌で、こちらを悲しげに見つめている。
「うわああっ! また女の子だ! りゅーたん、なんとかしろ!」
「ムツ、だから押すなって言ってるだろ! ……うわっ!」
学習能力のないムツが、またしても俺の背中を全力で突き飛ばした。
暗闇の中で足をもつれさせた俺は、今度はさっちゃんを押し倒す形で、勢いよく床に転がった。
「痛っ! ……くない?」
顔に当たったのは、ムニッとした、驚くほど柔らかな、けれど弾力のある感触。
目を開けると、俺の顔は、さっちゃんの太ももの間に完全に挟まり込むような形になっていた。
「…………っ」
さっちゃんは顔を真っ赤に茹で上がり、口をパクパクさせている。
そして、蚊の鳴くような、けれど怒りと羞恥が入り混じった一言を遺した。
「……エッチ」
彼女もまた、そのまま逃げるように闇の中へと消えていった。
俺はもう、ライブの前に人生が終了したような気分で立ち尽くすしかなかった。
◇
重い足取りでたどり着いた最後の部屋。
そこには、ハルちゃんとさっちゃんが並んで立っていた。
二人は無言のまま、一つのテーブルの下を指差し、「答えはここにあります」と静かに告げる。
白樺荘の事件の真相。それを確かめるべく、俺が恐る恐るテーブルの下を覗き込もうとした、その時だ。
横から一人の小さな女の子が、ひょいと這い出してきた。
「えへへ、面白かったね!」
可愛らしく笑うその子は、お化けのメイクもしていない。
一般開放日だし、どこかの家族連れの子が迷い込んでしまったのだろう。
「あれれ、小学生……もっと小さいかな。迷い込んじゃったのかな」
ハルちゃんとさっちゃんも、この演出には予定がなかったようで、驚いた顔をしている。
けれど、幼い子を放っておくわけにもいかない。
「出口まで一緒に行こうか。お外、明るいよ」
俺とさっちゃん、ハルちゃんは顔を見合わせ、その子と手を繋いで出口へと向かった。
通路を抜けると、秋の暖かな太陽の光が眩しく降り注いでいる。
「迷子になっちゃダメだよ? ほら、お家の人を探そう」
俺たちが優しく声をかけると、女の子はただ楽しそうに「えへへ」と笑っている。
「ふぅ……。最後に本物の迷子が出てくるなんてな。お化けよりびっくりしたよ」
「ねー、びっくりしちゃった。でもこの子、すごく可愛いね。よかったね、一緒に出られて」
ハルちゃんとさっちゃんも、アクシデントの怒りを忘れたのか、穏やかな表情で女の子を見守っていた。
そんなほっこりとした空気が流れる中――。
ムツだけが、血の気のない真っ白な顔で、ガタガタと小刻みに震えていた。
「……りゅーたん、さっきから俺、言ってたじゃん……」
「ん? 何をだよ。怖がりすぎだろ、お前」
「あの女の子だよ……。ハルちゃんの時も……さっちゃんの時も……ずっと俺のすぐ隣にいたんだよ。壁から出てきたり、床から出てきたり……さっきからずっと俺にだけ話しかけて、『あそぼ』って笑ってたのは、ソイツなんだよ……!」
「……何言ってんだよムツ。ほら、そこにいる――」
俺が言いかけた瞬間、俺たちの手を繋いでいたはずの女の子が、陽炎のようにスゥーッと薄くなり、そのまま光の中に溶けるようにして消えてしまった。
「「「……え?」」」
残ったのは、さっきまで手を握っていたはずの「冷たい感触」だけ。
その時、お化け屋敷の受付をしていた生徒が、首を傾げながらこちらを見た。
「あ、みんな楽しかった? ……そういえばさっきから他のお客さんも言ってるんだけど、入り口に女の子の写真なんてあった? 誰も置いてないって言うんだけど……。あの小さな女の子の写真、どこから紛れ込んだんだろうね?」
入り口の、あの寂しげに笑う女の子の写真。
そして、今しがたまで俺たちの隣にいた、あの笑顔。
「「「イ、イヤアアアアアア!!!」」」
学校祭の青空に、今日一番の、そして最も心からの絶叫が響き渡った。




