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第41話:静寂の夜、決意の鼓動

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申し訳ありません

 学校祭初日の夜。



 賑やかだった校内の喧騒を離れ、自分の部屋に戻った俺は、机の上に無造作に置かれた鹿革のプロテクターをぼんやりと眺めていた。



 母さんが夜なべして作ってくれた、世界に一つだけの防具。

 丁寧な針目の一つひとつに、息子の無茶を支えようとする母の不器用な優しさが詰まっている。

 その鈍い光沢が、どこかこれからの過酷な戦いを静かに予感させているようだった。



 ふと目を閉じると、体育館の巨大なスクリーンに映し出された二人の姿が、鮮明な残像となって網膜に蘇る。



 大きなリボンを揺らし、全校生徒の視線と眩しいフラッシュの光を一身に浴びていた、ハルちゃんとさっちゃん。

 あの日、西日に染まった部室で一緒に泣いたあの子も、いつも俺の隣で笑っているあの子も、あの瞬間だけは手の届かない「向こう側」の住人のように見えた。



 ――俺は、あんな風に笑えていただろうか。



 自分も確かにクラスのムービーに出ていたはずなのに、思い出すのはステージの端、誰も見ていない日陰で、淡々とリズムを刻んでいる自分の姿ばかりだ。

 彼女たちの眩しさが強ければ強いほど、自分の影が濃くなっていくような、えも言われぬ疎外感に胸が締め付けられる。



 そんな卑屈な思考が脳内を支配し始めた時、スマートフォンの通知音が、静まり返った部屋に高く響いた。

 画面を点けると、さっちゃんからのLIMEが届いていた。



『お疲れさま! 今日の上映会、他クラスの男子からも「あのアニメの子誰?」って聞かれまくって大変だったんだから(笑)』



 文面からでも、彼女の弾けるような笑顔と、どこか誇らしげな様子が伝わってくる。

 俺は少しだけ口元を緩め、穏やかな気持ちで指を動かした。



『お疲れさま。本当に、今日のさっちゃんは反則なくらいに可愛かったよ。中学の時からずっと見てきたけど、間違いなく今日が一番輝いてた』



 送信して数秒。既読がつき、すぐに吹き出しが返ってくる。



『急に真面目に褒めないでよ、照れるじゃない! でもね、明日は楓の番だよ。焼きそばも、吹奏楽も、それから……バンドも。最高のライブ、見せてね。信じてるから!』



 さっちゃんは、いつだってそうだ。

 俺が自分の不甲斐なさに負けて、暗い殻の中に閉じこもろうとすると、強引にその腕を掴んで光の方へと引っ張り出そうとしてくれる。

 中学の頃から変わらない、その温かなお節介に、今は不思議と救われるような気がした。



 温かな余韻に浸りながら返信を打ち終えようとした、その時だった。

 突如として、画面全体に「ハルちゃん」の名前が浮かび上がった。

 LIMEのメッセージではなく、直接の電話だ。



「……もしもし、ハルちゃん?」



『あ、りん。……夜遅くに、ごめんね。もう寝るところだった?』



 受話器から聞こえる声は、いつもの落ち着いたトーンの中に、ほんの少しだけ震えが混ざっているように感じた。

 まるですぐ隣で、大切な秘密を打ち明けられているような、そんな愛おしくも危うい響き。



「ううん、大丈夫だよ。どうしたの? 今日はお疲れさま。ムービー、本当に凄かったね。会場中のみんなが、ハルちゃんから目を離せなかったと思うよ」



『ありがとう……。でもね、実はね、すごく怖かったの。私、あんな風に目立つの初めてだったから。上映中も、みんなにどう見られてるか気になって、ずっと下を向いてたくらいで』



「そうだったんだね。スクリーンの中では、すごく堂々として見えたけど……やっぱり緊張したよね」



『うん……必死だっただけ。逃げ出したいくらい怖かった。でもね……最後、りんが手を振ってくれたのが見えたの。あ、ちゃんとりんが見ててくれたんだ、独りじゃないんだって思ったら、なんだか凄く救われた気がしたんだよ』



 ハルちゃんの震える本音が、じわりと胸の奥に染み込んでいく。



 光の中にいた彼女たちだって、決して余裕だったわけじゃない。

 俺が「境界線」の向こう側だと思っていた場所で、彼女たちは不安を必死に押し殺して、あの眩しい場所で「主役」を全うしようと戦っていたんだ。



『明日は……今度は私が、りんをしっかり見てる番だね。誰よりも近くで応援してるから、楽しみにしてるよ。おやすみなさい、りん』



 電話が切れた後、静寂が戻った部屋の中で、俺の心には静かな、けれど激しく燃え盛るような炎が灯っていた。



 境界線なんて、俺が勝手に引いていただけだ。

 自分は日陰の人間だからと、勝手に枠を決めて、安全な場所から眺めていただけだった。

 あんなに震えながらも光の中に立った彼女たちの勇気に、俺は「寂しい」なんて言葉で片付けて、日陰で縮こまっていていいはずがない。



 俺はすぐさま、バンドのグループLIMEを立ち上げた。

 ここからは、戦う男の顔に戻る。



「悪い、明日のセットリスト、全部入れ替えさせてくれ」



 当初用意していたのは、俺の左手の捻挫を考慮した、比較的テンポの落ち着いた、難易度の低い無難な曲ばかりだった。

 失敗しないための、怪我を言い訳にした「逃げ」の選曲。

 けれど、そんな妥協の産物を全てボツにする。



 代わりに俺が提案したのは、超絶技巧のギターソロが荒れ狂い、ドラムは万全の状態でも血を吐くような激しさを見せる、最高難易度の洋楽ナンバーの数々。



 しかも全曲MCなしのノンストップ・メドレー形式。

 これは、MCになると極端にもじもじして上手く喋れなくなるレンの弱点を、「圧倒的な演奏」だけで黙らせるためでもあった。



 そしてラストは、俺自身の限界を遥かに超えた、長尺のドラムソロで締める。

 まさに狂気とも言える、暴走気味の構成だ。



 すぐに、ベースボーカルのレンから驚愕の着信が飛んできた。



「正気か楓! この英語の歌詞、今からじゃ暗記なんて絶対無理だぞ! 練習しねえと本番で頭が真っ白になって詰む!」



「わかってる。だから、今すぐうちに来い。喉を潰さない程度に、フレーズとリリックを叩き込んでやる。明日まで一分も寝かせないぞ」



 電話越しでもレンが絶望に顔を歪めているのがわかった。

 続いて、ギターのミヤからも返信が届く。



『任せとけ、きっちり仕上げておく。……いいな、そのハードなセトリ。安全運転よりそっちの方がなまら燃えるわ。ぶっつけ本番で完璧に合わせるから、俺の方は心配すんなや。楓、お前マジでイカれてんな(褒め言葉)』



 さすがはミヤだ。この無茶苦茶な変更を、余裕たっぷりに楽しんでやがる。

 

 一時間後、レンがベースケースを担いで、今にも倒れそうなほど息を切らしながら俺の部屋に転がり込んできた。



「お前……本当に、その不自由な左手で、この爆速ビートを叩くつもりか……?」



「ああ。これくらいやんなきゃ、明日ステージに立つ意味がねえもんな」



 レンにはそれだけ伝えて、俺はスティックを強く握り直した。



 あいつらは、あんなに眩しい場所で、自分と戦っていた。

 なら、俺が安全圏で縮こまって、適当にリズムをキープして満足しているわけにはいかないんだ。

 

 あいつらの覚悟に、俺なりの、俺にしかできないやり方で応えたい。



 ステージの端だって関係ない。

 俺の叩くドラムで、会場の空気を、温度を、色を、全部ひっくり返して塗り替えてやる。

 

 あの二人の視線を、客席の誰よりも驚かせ、釘付けにして、一瞬たりとも目を離させないほどのステージを見せてやるんだ。



 それから夜を徹して、レンのブツブツと英語の歌詞を暗唱する声と、俺が叩く生ドラムの音が、北の夜の静寂を無慈悲に切り裂き続けた。



 明日の喉への負担を考えれば、今夜本気で歌わせるわけにはいかない。

 だからこそ、俺のドラムがレンの伴走者となる。

 レンはベースを抱えながら、ドラムの刻む激しいビートに言葉を乗せ、必死に脳内の回路を書き換えていく。



 幸いなことに、うちの周囲半径一キロには一軒の民家もありゃしない。

 どれだけ爆音を撒き散らそうが警察を呼ばれる心配はないが、それでも激しいリズムに空気が、壁が、家全体がびりびりと震え、猛烈な音圧が全身を叩く。



 深夜二時。レンが「……もう、単語がゲシュタルト崩壊してきた……」と意識を飛ばしかけた。

 俺は容赦なくスティックでシンバルを一発鳴らし、彼を現実へ引き戻す。



 プロテクターを巻いた左手は、時折ズキリと鋭い痛みを訴えてくる。

 だが、その痛みがむしろ心地よかった。自分が限界を超えようとしている証拠のように思えた。



 それにしても。

 ……こんな状況でも、一階のリビングや寝室で悠々と寝ていられるうちの家族は、やっぱりどこかおかしいと思う。



 俺は、汗で滑りそうになるスティックを握り直し、さらなる激震を家中に響かせた。

 明日、あの光の中に飛び込むための、魂の鼓動を。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。


 光の中に立つさつきと葵。

 その眩しさに目を細めていた楓が、ようやく自分自身の「戦い」を決意する回でした。


 失敗しないための安全な道ではなく、

 あえてボロボロになるまで自分を追い込む激しい道。

 母が作ってくれたプロテクターを手に、楓がどんな景色を叩き出すのか。


 深夜の特訓に付き合わされるレンには少し同情しますが(笑)、

 ここからが、吹奏楽局局長・竜胆楓の本当の「学校祭」の始まりです。


 次回、学校祭2日目スタート。

 ご期待ください!


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