第37話:春日葵は気付いてしまう(前編)
さつき編を終え、物語はもう一人のヒロイン・ハルちゃんこと春日葵の視点へ。
実は二人の出会いは、吹奏楽部よりもずっと前、小学生の頃の「かるた大会」にまで遡ります。
ハルちゃんが抱き続けてきた、楓に対する「キモい」という言葉の真意。
それは、彼のあまりにも献身的で、自分を顧みない優しさへの呆れと、深い信頼の裏返しでした。
実は、彼のことは小学生の頃から知っている。
冬になると、外は一面の銀世界に閉ざされる。
そんな北海道特有の文化に、木札を使った『下の句かるた』というものがある。
雪深い冬に行われるその大会に、彼も私も、それぞれのチームの選手として出場していた。
会場の喧騒の中で、何度か彼の姿を見かけたことはあったけれど、当時の私にとって、彼は「どこかのチームの選手」でしかなかった。一度も言葉を交わしたことなんてない。
けれど、小学六年生の冬。その関係に、小さな、けれど決定的な変化が訪れた。
その年の大会で、私は順調に勝ち進み、三位四位決定戦という舞台まで残った。
三位までは、かるたの札が精巧に彫られた金・銀・銅のメダルがもらえる。
けれど、四位は賞状だけ。
負けたくない。絶対にメダルが欲しい。
その決定戦の相手が、りんだった。
冬の体育館を利用した会場は、暖房なんて気休めにもならないほど、息が白くなるほど寒い。
試合開始を待つ間、私は極度の緊張と寒さで、かじかんだ両手を必死にこすり合わせていた。
そんな時だった。
向かい合わせに座り、一度も話したことのなかったりんが、無言で、自分のポケットから取り出した使い捨てカイロを差し出してきたのは。
(……え? 敵なのに、なんで?)
正直、ちょっと不器用で変だなって思った。
でも、指先の感覚がなくなるほど寒かったから、黙ってそのカイロを使わせてもらうことにした。
試合が始まると、彼はカイロを譲ったせいで、冷え切った手を自分のポケットの中で小さく震わせていた。
でも、勝負は勝負だ。
僅差だったけれど、私が勝たせてもらった。
やっぱり、彼だってあのメダルが欲しかったんだろう。すっごく悔しがってた。
試合の後、どうしてあんなことをしたのか彼に聞いてみた。
「手が、冷たそうだったから」
彼は少し照れくさそうに笑って、こう付け加えたんだ。
「……俺って、変?」
「うん。変」
それが、私たちが交わした初めての言葉だった。
不思議な人。それが彼への第一印象。
それから中学に入って、偶然にも部活が同じ吹奏楽になった。
一緒に過ごす時間も多くなって、いつの間にか『りん』『ハルちゃん』と呼び合うようになったけれど。
やっぱり、りんは少し変わった人だった。
あいつはいつだって、自分のことなんて二の次、三の次だ。
優しいのはいいことなんだけど、度を越している。
中学三年の、秋のすごく寒い日。
部活の帰り道。風が強くて帰るのを躊躇していた私に、りんは自分の上着を無理やり押し付けた。
「俺は自転車で帰るからさ、漕いでたら暑くなるし」
私が返事をする間もなく、あいつはそのまま夜道に消えていった。
りんの家、遠いって有名なのに。
……絶対、寒かったよね。
きっと、理由を聞いてもまた同じことを言うんだ。
寒そうだったから、って。
そしてまた、少し困ったように笑うんだろう。
本当にお節介。
でも、その温かすぎるお節介に、私は何度も救われてきた。
友達だけど、ただの友達よりは、ずっと近い。
そんな私たちの関係が、ずっと続くんだと思っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ハルちゃん視点の前編、いかがでしたでしょうか。
小学生の時の使い捨てカイロのエピソード。自分が負けるかもしれないのに、寒さに震える「敵」へ真っ先に手を貸してしまう楓の性格は、この頃から変わっていませんでした。
そして、作中で交わされる「キモい」という言葉。
これは楓にとって、他の誰にも漏らさない本音であり、ハルちゃんにとっても、彼にしか使わない特別な言葉です。
二人だけの秘密の合言葉。その響きの裏にある、他人が踏み込めない二人の絆を感じていただければ幸いです。
次回、中編。
そんな「特別」な関係を信じていたハルちゃんが、何に「気付いてしまう」のか。
物語は、あの日、定期演奏会の夜へと繋がっていきます。
面白いと感じていただけましたら、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いいたします!




