第32話:ばん馬になる
ようやく修理から戻ってきた愛車での通学。
しかし、喜びも束の間、怪我を抱えた体には思わぬ試練が待ち受けていました。
さらに体育祭の花形競技への強制参加も決まり、楓の学校祭準備は肉体的にも精神的にも限界を迎えようとしています。
親にこれ以上迷惑をかけたくなかったし、なにより母さんの運転する白いスポーツカーで校門に乗り付けるのは、目立ちすぎて精神的にくるものがあった。
というわけで、俺は修理から戻ってきたばかりの本命の愛車『コレダスポーツ』で通学することにした。
……が、これが大きな間違いだった。
一般的なバイクというのは、車と違って左手のレバー(クラッチ)を何度も握り込まないと走ることができない。加速や停止のたびに、捻挫して包帯を巻いた左手に全力の握力を強いることになるのだ。
一回握るごとに、ズキリと走る激痛。
赤信号で止まるのがこれほど苦痛に感じたことはない。ようやく学校の駐輪場に着く頃には、俺は文字通りヘトヘトになり、左手は軽い痙攣を起こしていた。
こんなボロボロの状態なのだ。体育祭の競技なんて当然、全て辞退して優雅に見学を決め込むつもりでいた。
だが、世の中というやつは、そう甘くはできていない。
「りん! 騎馬戦、どうしてもお前に出て欲しいんだ」
朝の休み時間、呼び出された先で、三年生で赤翔隊(D組)のリーダー格である先輩に、がっしりと肩を組まれた。
「いや、俺は今、左腕を絶賛負傷中でして……」
「他の競技は全部休むんだろ? だったら騎馬戦くらいは出られるよな? なあ?」
……断れなかった。というより、断らせてくれる空気ではなかった。
周囲のクラスメイトたちからも、「哀れな生贄を見るような目」を向けられつつ、なし崩し的に休み時間の作戦会議が始まった。
「球技大会の活躍、見てたぜ。あの『ドゴン!』ってやつ、全校生徒が痺れたわ。お前のあのガッツと根性、赤翔隊の勝利には不可欠なんだ!」
……あれか。あの、サッカーボールを顔面でフルスイング気味に受け止めた、あの黒歴史級の迷シーンのことか。あれを「根性」と解釈されると、もはや何も言い返せない。
「実は左腕、本気でやってる(負傷中)んですけど……」
「大丈夫だ。上に乗る騎手は、めちゃくちゃ軽いから安心しろ」
そう言って紹介された騎手の霞先輩は、なるほど、風が吹けばどこかへ飛んでいってしまいそうなほど小柄で、いかにも気弱そうな先輩だった。
対して、土台となる騎馬の先輩二人は……失礼ながら、サラブレッドではない。
北海道の厳しい大地を開拓してきた力強い農耕馬――そう、一トン近いソリを引く「ばんえい馬」を彷彿とさせる、岩のような巨漢の先輩たちだった。
「作戦はこうだ。りん、お前は左側の馬を担当しろ。常に右へ旋回しながら、ばん馬こと俺(金剛)と山城が、相手の騎馬に強烈なタックルをかます」
不動高校の騎馬戦は、伝統的にルールが荒い。ハチマキを取るだけでなく、物理的に騎馬を崩して相手を地面に沈めても勝ち、というサバイバル形式なのだ。
「騎手は右側の馬の方に体重を預けるように徹底させるから、お前の腕には極力負担をかけない。俺たちがドンドン体当たりしていくから、お前はただ、押し負けないように踏ん張るだけでいい。最後まで立っていたものの勝ちだ!」
「……マジですか……」
体育祭は学祭の最終日。もうその頃には、左腕がどうなっていようが知ったことか。
試しに組んでみると、騎手の先輩は乗り方が非常に上手く、金剛先輩たちの安定感もあって、意外なほど腕への負担は少なかった。
……というか、先輩二人のパワーが凄すぎて、俺はただ横に添えられているだけの添え木のような気分だ。
あとはぶっつけ本番、気合で乗り切るしかない。
その後、放課後の部活動の時間。
局長代理として後輩のミツルにドラムの細かいニュアンスを指導していると、背後から声をかけられた。
「りん」
振り返ると、そこにはハルちゃんが立っていた。
「腕、まだ治ってないのに……騎馬戦に出るんだって?」
「耳が早いな。まあ、半強制的に、だけどね」
「無理したら、一生楽器ができなくなっちゃうよ? 局長なんだし、もっと自分を大事にしてくれないと……」
「うん。自分でも、これで完治が大幅に遅れる予感がしてるよ」
「はぁ……もう。心配ばっかりかけて……」
ハルちゃんの真っ直ぐな心配に、申し訳なさに押し潰されそうになりながら「ごめんね」と返していると、今度は反対側からさっちゃんがやってきた。
「楓ー! LIME交換しとこーよ。学祭の準備とか、なんかあった時にすぐ連絡取れるようにさ」
「ああ、そうだな。ミツルも副局長なんだし、連絡網として一緒に交換しようか」
「あ、私も! 私も入れて!」
ハルちゃんが、負けじとそこに割り込んできた。
さっちゃんがチラリとハルちゃんを見る。ハルちゃんはわざと目を合わせないように、けれどもしっかりと俺のスマホのスクエアコード画面を凝視している。
……なんだろう、この静かにパチパチと火花が散っているような空気は。
とりあえず、その場で全員との交換を済ませることにした。
さっちゃんはとにかく仕事が早い。速攻で『よろしくね!』という元気なスタンプを送ってきた彼女は、どこか勝ち誇ったような、得意げな顔をしている。
対するハルちゃんは、なぜかスマホを握りしめたまま、少し悔しそうな表情で固まっている。
LIMEを送るスピードなんかで揉めるなよ、と内心でツッコミを入れつつ、俺は三人に一括でメッセージを送った。
『これからよろしく』
ふと思い立って、俺はさっちゃんに向き直った。
「そうだ。さっちゃん、学校祭が終わったら、ちょっと個人的に相談したいことがあるんだけど、いいかい?」
「!……いいよーっ! もちろん!」
さっちゃんの返事は、食い気味なくらいに弾んでいた。
……が、直後。隣にいたハルちゃんの機嫌が、目に見えて、物理的に分かるほど悪くなった。周囲の気温が三度くらい下がった気がする。
焦った俺は、ハルちゃんの個別トーク画面を慌てて開き、さっき手に入れたばかりのスタンプを送りつけた。
「心配してくれてありがとう」という文字と一緒に、ゆるいうさぎがぺこりと深々とお辞儀をしているやつだ。
送信ボタンを、怪我をしていない方の指で渾身の力で押す。
すると、ハルちゃんのスマホが微かに震え、彼女の表情がパッと、魔法がかかったように輝く笑顔に変わった。
「あ、そのスタンプ、私も気になってたんだ。……ふふっ、かわいいよね。……うん、いいよ」
何がいいのかはよく分からなかったが、どうやら今の対応は「満点評価」だったらしい。危うく吹奏楽局内に冬が訪れるところだった。
女心は相変わらず、深い霧に包まれた謎のままだ。
俺は、無事に送信されたトーク画面を見つめながら、これから始まる激動の学校祭本番に向けて、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
左手の激痛に耐えながらの通学、そして「ばん馬」としての過酷な役割……。
楓の体力が削られていく一方で、ハルちゃんとさっちゃんの間の空気感も、何やら放っておけない温度感になってきましたね。
スタンプ一つで機嫌が直るハルちゃんの可愛らしさに救われつつも、楓がさっちゃんに持ちかけた「相談」の行方も気になるところです。
さて、次回はいよいよ学校祭……の、前日。
嵐の本番を前にした、静かな夜のエピソードをお届けします。
祭りの前の独特な緊張感の中、楓は何を想うのか。
物語を面白いと感じていただけましたら、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いいたします!




