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第31話:非日常の日常

 一晩にして「死の淵から生還した男」という尾ヒレがついた噂が広まり、楓の周囲は騒がしさを増していきます。

 不謹慎な悪ふざけの代償を払わされる者、そして怪我の功名で優しくされる者。

 学校祭準備に沸く教室で、それぞれの「格差」が浮き彫りになる放課後をお届けします。


 午後のHRが終わり、教室は一気に「学校祭モード」へと切り替わった。

 机は壁際に押しやられ、ペンキの匂いと段ボールの埃が舞い上がる。この独特の喧騒は、何度経験しても落ち着かないものだ。


 俺たちのクラスの模擬店は、紆余曲折を経て「焼きそば」に決まった。

 といっても、ただのパック入りではない。食べ歩きしやすいよう、深めの紙製ドリンクカップに入れて提供するスタイルだ。

 プラカップだと熱くて持てないが、厚手の紙カップならソースの熱も程よく遮断してくれるし、何より見た目がお洒落(だと女子たちが主張していた)らしい。

 Sサイズ五十円、Mサイズ百五十円、Lサイズ二百円。利益度外視の、いかにも学祭らしい良心価格設定である。


 とはいえ、今の俺は戦力外通告を受けた身だ。

 左腕は包帯で固定され、少し動かすだけでズキリと鈍い痛みが走る。下手に重いものを持って捻挫を悪化させてもいけないので、みんなに指示を出したり、看板のデザインに口を出したりするくらいしかやることがなかった。


 そんな手負いの怪我人(俺)に対して、今日のクラスの女子たちは、驚くほどに過保護で優しい。

 普段は遠巻きに俺を眺めているだけのスクールカースト上位のキラキラした女子たちまでもが、「竜胆くん、そこ座ってて!」「これ、冷たいお茶。無理しちゃダメだよ?」なんて、まるでお姫様扱いだ。

 女子の優しさが、包帯の隙間から染み込んでくる。


 対して、天国と地獄ほどの凄まじい格差、あるいは人権の抹殺とも取れるひどい扱いを受けている奴もいた。

 クラス中の女子から冷たい罵声を浴びながら、一人で黙々と校内のゴミ拾いをしている男――吉川だ。


 不謹慎な悪ふざけをして、女子たちをガチで泣かせてしまった代償とはいえ、あそこまで魂が抜けた顔をされると、親友として流石に不憫になってくる。

 俺が許す素振りを見せれば、周囲の殺伐とした空気も少しは和らぐだろう。そう思い、俺はゴミ袋を持ってうなだれる吉川に少しだけ声をかけてやることにした。


「なあ吉川? 『人間のクズがゴミを拾っている』って、客観的に見てなかなか哲学的な、いい構図だと思わないか?」


 俺なりのジョークだったのだが、吉川は死んだ魚のような目で俺を振り返った。


「……もう、本当ごめんって……。マジで勘弁してくれよ……。俺はただ、ちょっと空気が笑えるかなと思っただけなんだよ。お前だって今、女子にチヤホヤされて、ちょっといい思いしてるだろ?」


 ……。

 一瞬でも同情した俺が馬鹿だった。こいつ、これっぽっちも反省してねえ。


「りーん! そんなゴミクズ相手にしてないで、こっち来てメニューのデザイン見てよー!」


 教室の窓から、女子たちの鋭い呼び出しがかかる。


「あーい、今行くー」


 俺は一秒で吉川を見捨てることに決めた。


「せいぜい、徳を積んで来世に期待しとけよ、クズ」

「りん! 待ってくれよ、りん! 俺を一人にしないでくれ――!」


 背後でパンパンに膨らんだゴミ袋を抱えたクズが絶叫していたが、自業自得である。そのまま消滅してしまえばいい。



     



 放課後。一応、吹奏楽局の練習に顔を出すと、部員一同から地鳴りのようなどよめきが上がった。


「局長!? その腕、大丈夫なんですか!?」

「死にかけたって聞いたんですけど……生きてる!」


 朝の吉川のデマが、局内にまで尾ひれをつけて浸透していたらしい。

 俺は「ただの捻挫だよ」と苦笑いしながら、試しに少しだけドラムセットの椅子に腰を下ろしてみた。左手でスティックを握り、スネアを叩こうとする。


「……っ、痛だだだっ!」


 ダメだ。手首に振動が響いた瞬間、激痛が脳天を突き抜けた。これではまともにビートを刻むなんて夢のまた夢だ。

 秀川先輩も引退して今はいない。となれば、この窮地を救えるのは一人しかいない。


「ミツル、やれそうか?」


 俺が後輩のミツルを呼ぶと、彼は目を輝かせて駆け寄ってきた。


「嬉しいっす! 竜胆先輩の分まで、僕が死ぬ気で叩きます!」


 ミツルは本当に真っ直ぐでいい子だな。吉川にも爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 というわけで、俺はスティックを置いてミツルの指導に回ることにした。当然、レンやミヤとのバンド練習もしばらくは見送りだ。あいつらには後でLIMEで「骨折したから無理」と盛った報告を送っておこう。



 練習が終わり、帰りは母さんが車で迎えに来てくれることになった。

 整骨院に寄る前に、学校の昇降口でチャベス号……ではなく、母さんの車を待つ。


 すると、同じく部活終わりのさっちゃんが玄関から出てきた。


「……あ、楓。本当に災難だったね、その腕」

「さっちゃん。まあ、いろいろ考え事しながら乗ってたら、やっちゃったよ」

「もう、何を考えてたの。危ないでしょ、夜道なんだから」


 腰に手を当てて、呆れたようにためシーをつくさっちゃん。夕暮れ時の光が彼女の横顔を照らして、いつもより少し大人びて見える。


「いろいろだよ。どうでもいいこととか、昔のこととか。……あとは、吹奏楽局のこれからのこと、かな」

「……ウチのこと?」


 さっちゃんが少しだけ足を止め、上目遣いになって、消え入りそうな小さな声で聞き返してきた。

 その瞳が、期待と不安が混ざったような不思議な光を宿している。


「いや、だから『吹奏楽局』全体の……アダダダダッ!」


 突如、無傷な方の右手の甲を、さっちゃんに思い切りつねられた。


「い、痛い! 何すんだよ、怪我人に!」

「……っ! 少しはリアクションしなさいよ! 恥ずかしいでしょ、今の!」

「ごめん、ナチュラルに何を期待されてたのか分からなかった……」

「はぁ……。本当に変わらないね、楓は。昔からずっとそう」


 さっちゃんは顔をリンゴのように真っ赤にして、ぷいっと横を向いてしまった。その背中からは、隠しきれない苛立ちと照れが滲み出ている。


「ん? 何が?」


 俺が首を傾げたその時、校門から一台の白いスポーツカーが入ってきた。

 田舎の農道には似つかわしくない、低く鋭い乾いたエンジン音を響かせ、俺たちの目の前でピタリと止まる。


「あ、母さん迎えに来たから行くわ。じゃあ、また明日な」

「……今日はトラックじゃないんだね。お大事にね! また明日!」


 さっちゃんは少しだけ寂しそうに、でも最後にはいつもの笑顔で手を振ってくれた。

 俺は助手席に乗り込み、エンジンの振動に身を任せる。


 女子の優しさと、女子の怒り。そして、よく分からない機嫌の落差。

 今日は今まで生きてきた中で、一番「女子」という生き物を理解できなくなった一日だった気がする。


 ……それにしても、さっちゃんはなんであんなに怒ったんだ?

 まあいい。今はとにかく、学祭の本番までに一刻も早くこの腕を治さないとな。

 

 俺は遠ざかる校舎を眺めながら、残る痛みを噛み締めていた。

 最後までお読みいただきありがとうございます!


 焼きそばを紙コップで提供するスタイル、最近の学祭っぽさがありますね。

 そして吉川……。親友の危機をネタにするのは、やはり相応のリスクが伴うようです。


 一方で、さっちゃんとの微妙に噛み合わないやり取り。

 楓の「ナチュラル・スルー」の威力は、ある意味で事故の衝撃よりも大きいのかもしれません。

 

 次回、ついにあの愛車が復活!?

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