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第30話:虚言と代償

 衝撃のラストから明けた翌朝。

 登校した生徒たちの間を、絶望的な報せが駆け抜けます。

 果たしてりんは無事なのか。騒然とする教室で、物語は意外な方向へと動き出します。


 初夏の朝、湿り気を帯びた風が教室のカーテンを頼りなく揺らしていた。

 いつもなら、登校するなりスマホを片手に「SNSでバズってた動画がヤバい」といった騒がしい会話で溢れかえっているはずの教室が、今日は妙に重苦しい。


「……信じられないよな」

「ああ、あいつ、あんなに元気だったのに」


 そんな断片的な言葉が、まるで通夜のような湿っぽさを伴って耳に飛び込んでくる。


「昨日、りんが……学校帰りにバイクで、派手に事故った……」


 吉川の、今にも泣き出しそうな震える声が教室中に響き渡った。

 その瞬間、女子たちの間から「えっ!」という悲鳴が上がり、直後、水を打ったような静寂が訪れた。


「……手を尽くしたけど、ダメみたいなんだ。今はもう、動かなくなっちまって……」


 吉川は机に突っ伏し、その広い肩を激しく震わせている。

 その隣で、ムツは顔を覆って頭を掻きむしり、皆ちゃんは固く口を押さえて俯いたまま一言も発しない。

 普段、俺とあまり話さないような女子たちまでが青ざめて立ち尽くし、クラスの異変を察した隣のクラスの連中までもが、野次馬として廊下に集まり始めていた。


 ふと視線を向ければ、さっちゃんとハルちゃんがいた。

 二人の瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほど大粒の涙が溜まっており、その表情は深い絶望に染まっている。


(あー……少しでも俺のことを気にかけてくれる人が、こんなに大勢いるんだな)


 教室の入り口。

 その喧騒から一歩引いた特等席で、俺は腕組みをしながらその光景を眺めていた。

 異世界転生もしないし、チート能力もない。カエルしかいない夜の田んぼ道を必死に走るだけの地味な高校生だけど、これだけの人に惜しまれるなら、きっと俺は幸せ者なんだろう。


 ……さて。

 この、完全に「俺が死んだ」ことになっている空気の中へ、どうやって入っていけばいいんだろうか。

 この状況での突撃は、不謹慎な幽霊が出たと思われるんじゃないかという不安でしかない。


 そんな俺の迷いを断ち切ったのは、一筋の鋭い視線だった。


「……楓?」


 最初に気づいたのは、さっちゃんだった。

 彼女の声が呼び水となり、クラス全員の視線が入り口に固定される。


「りん!」


 続いて、ハルちゃんが弾かれたように駆け寄ってくる。

 二人の顔は、幽霊を見たというよりは、地獄から生還した奇跡を目撃したかのような、形容しがたい表情をしていた。


「バイクで大事故に遭ったって……大丈夫なの!? 今、吉川くんが、もうダメだって言ったから……!」


 俺は苦笑いしながら、左腕を少しだけ持ち上げて見せた。

 そこには、昨夜の奮闘の証である白い包帯が、痛々しくも頼もしく巻かれている。


「うん、左腕はやっちゃったけど、大丈夫だよ。ピンピンしてる。……死んでないから」


 そう、昨日の夜。

 泥の塊に足元を掬われた俺とチャベス号は、用水路への直撃コースから、コンマ数秒の神回避で逸れたのだ。

 そのまま、バイクごと田んぼへとダイブした。


 本当に、首の皮一枚の差だった。

 たまたま激突した場所が、田んぼに入るための未舗装の農道スロープだったから助かったものの、もし数センチずれていたら、俺は今頃用水路のコンクリートに激突し、冷たい水の中に沈んでいただろう。


 暗闇の中、泥まみれになりながらも、俺が最初にしたのは自分の体の確認……ではなく、潰してしまった稲の確認だった。

 農家の息子として、同じ農家の人に迷惑をかけるわけにはいかない。俺は折れそうに痛む腕を酷使して、必死に稲を植え直した。


 自力で引き上げたチャベス号は、カウルが割れ、ライトが死に、何度キックしても二度とエンジンがかからなくなっていた。

 そう。吉川が言っていた「手を尽くしたけどダメ」で「動かなくなった」のは、俺の体ではなく、バイクの方だ。

 嘘は言っていない。あいつはただ、決定的な「主語」を省いただけなのだ。


 泥だらけの「歩く泥人形」と化した俺が帰宅した際、それを見た母親は文字通り絶叫し、近所中に響き渡る悲鳴を上げた。

 その後、家の田んぼの用水路で泥を落としたのだが、初夏の夜風に吹かれながら浴びる水は、冗談抜きで凍えるほど冷たかった。


 念のため診てもらった結果は、広範囲の打撲と酷い捻挫。

 骨が折れていなかったのは、まさに不幸中の幸いと言うべき奇跡だった。



「……本当に、心配かけさせてごめんね」



 素直に謝る俺に、さっちゃんとハルちゃんは、崩れ落ちるようにして心底ホッとした顔を見せた。

 一方で、俺の視線はさっきまで「悲劇のメッセンジャー」を熱演していた吉川へと突き刺さる。


 あいつ、俺が男子用のグループトークに送った「チャベス号がもうダメだ」という報告を、これ幸いとばかりに悪用しやがったな。

 よく見れば、俯いていたムツと皆ちゃんも、肩が小刻みに震えている。あれは悲しみじゃなくて、今にも爆発しそうな笑いを必死に堪えていただけだ。確信犯め。


 さて、嘘はついていないが最大限に紛らわしい表現でクラスをパニックに陥れた吉川に、どんなお灸を据えてやろうか。

 俺がそう決意した矢先、さっちゃんとハルちゃんが、すーっと吉川の方へ歩いていった。

 その足取りは優雅だが、二人の背中からは、言葉にはできないようなドス黒い「静かな圧力」が立ち昇っている。


 さっちゃんが、机に突っ伏したままの吉川の肩に、そっと優しく手を置いた。



「……吉川くん?」



 その声は、春の陽だまりのように柔らかく、けれど極北の氷山のように冷たかった。

 二人が吉川を挟み込むように囲み、耳元で何かを囁いている。

 俺の場所からは、その具体的な内容までは聞こえなかった。だが、吉川の顔からみるみる血の気が引き、最後には土色に変わっていくのが、遠目からでもはっきりと分かった。


 ハルちゃんの方も、見たこともないような「温度のない笑顔」で、吉川の視線の先をロックしている。

 クラス中の空気が、再び凍りついた。


 数分後。

 二人は何事もなかったかのような満面の笑みで、スキップでもしそうな軽やかな足取りで戻ってきた。



「じゃあ楓くん、また部活の時間にね! 腕、大事にするんだよ?」

「りん、放課後まで安静にしてるんだよ。また後でね!」



 彼女たちは、まるで天使のような微笑みを俺に残して、自分のクラスへと帰っていった。

 後に残されたのは、魂を根こそぎ吸い取られた枯れ木のようになり、虚空を見つめながら「……ごめんなさい、……ごめんなさい……」と壊れた機械みたいに呟き続ける、吉川の哀れな姿だった。


(……一体、何を言われたんだ、あいつ)


 女子、マジで怖すぎる。

 あんなに心配して泣きそうになっていた反動が、全て吉川への「制裁」として降り注いだのだろう。

 俺は、ジンジンと痛む左腕よりも、背筋を駆け抜ける強烈な寒気に身を震わせた。


 初夏の爽やかなはずの朝。

 俺は、命拾いをした喜びよりも、身近に潜む「本物の恐怖」を学んだ気がした。

 最後までお読みいただきありがとうございます!


 無事で本当によかった……。

 ですが、言葉の不足が招いた混乱の代償は、思わぬ形で支払われることになりました。

 女子を敵に回してはいけない、という教訓が身に沁みる朝でしたね。


 さて、この日の午後のクラス活動では、いよいよ学校祭の本格的な準備が始まります。

 怪我を抱えた楓と、魂の抜けた吉川。前途多難な準備期間の行方は……?


 次回もどうぞお楽しみに!


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